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仙台市若林区
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陸上自衛隊霞目駐屯地 防衛館 飛翔
  航空歴史館 逓信省仙台地方航空機乗員養成所の赤トンボ
航空歴史館 1967年 東北大博覧会の展示機
航空歴史館 陸上自衛隊LM-2 最後の展示

   

A2301 宮城県 Miyagi Prefecture 仙台市 陸上自衛隊霞目駐屯地防衛館 飛翔
    
 移動 陸上自衛隊霞目駐屯地防衛館 飛翔 

 防衛資料館が独立の建物から別の建物の一室になっているとの情報が佐伯さん経由で届きました。
 YYさんから頂きました写真を紹介します。(2021/06/18 情報入手)
 展示品について内容が変わっていますので下側に追記します。

 X 撮影2007/05/20  伊藤憲一 


 ◎ 陸軍九五式1型乙練習機 赤とんぼ の模型(長さ、幅、ともに約50〜60cm)

 仙台地方航空機乗員養成所は1935年10月に臨時航空機乗員養成所として設立され、正式には1938年6月に米子地方航空機乗員養成所と共に発足しました。練習機は、陸軍の各飛行学校と同じく石川島(立川)95式1型練習機が用いられました。

撮影2007/05/20  伊藤憲一                    


 撮影2021/06/12 YY


 この展示模型は、脚柱の形状とエンジン右後方の滑油冷却器などから95式1型乙と推定できます。乙型では、下翼にも補助翼が設けられたため、N型の支柱の後ろに上下の補助翼をつなぐ連接稈があるので、これが省略されてなければほぼ完ぺきでした。

養成所のマーク                    仙台市のマーク


 尾翼のマーキングは、明らかに仙台地方航空機乗員養成所を示すものです。  さて、胴体に記されたJ-AJYSの登録記号ですが、写真な何かに根拠があるものなのか、誰かの記憶によるものなのか出典が不明です。手掛かりとして、日本航空協会発行「J-BIRD 写真と登録記号で見る戦前の日本民間航空機」をお借りしておきます。



 常識的には赤で記入している箇所に入ります。 以上のことから、当該模型は、逓信省航空局所有で、仙台地方航空機乗員養成所が使用していた95式1型乙練習機J-AJYSを模したものに相違なしとみてよいのではないでしょうか。
 模型では根拠が薄いと言われればそれまでですが、「J-BIRD 写真と登録記号で見る戦前の日本民間航空機」のリストの空白がひとつ埋まるのではないでしょうか。
 参考文献 文林堂1998年刊「世界の傑作機 73 陸軍95式練習機」 日本航空協会2016年刊「J-BIRD 写真と登録記号で見る戦前の日本民間航空機」

逓信省仙台地方航空機乗員養成所の機体 詳細は

◎ 仙台飛行場の金属製プレート 撮影2008/04/20  YS-11

額入り説明文から切り取り

 
 2021年新規展示場所でも展示あり
海軍一式陸上攻撃機のプロペラ(金属性、鋳物?) 九五式1型練習機(通称「赤とんぼ」)のプロペラ(木製)

◎ 
撮影2007/05/20  伊藤憲一



 撮影2021/06/12 YY  旧軍機としてまとめて展示 赤とんぼのプロペラは上に展示


◎ スピナー

撮影2007/05/20  伊藤憲一




 スピナーの説明文について
 正確には、プロペラ軸の先端に取りつける覆いで、フックは始動車の始動棒を引っ掛けてプロペラ軸を回転させるもの、とでも表現 すべきでしょうか。知覧にある疾風のように、これは日本陸軍機特有のスピナーであり、図示されている零戦など海軍機にはフックがありません。
 貴重な資料だと思うので、わかりやすく正しい解説 を行ってほしいのと、でき得れば寸法などから機種を探ってみていただきたいものです。(佐伯)

更 X 機銃掃射跡のある格納庫鉄骨

撮影2007/05/20  伊藤憲一

 

◎ LM−1のプロペラ

撮影2007/05/20  伊藤憲一


 撮影2021/06/12 YY
 


 その他展示物


 撮影2021/06/12 YY

H-19, HU-1B  Tail Rotor



一番手前は OH-6J  Tail Rotor


航空局航空機乗員養成所同窓会旗


宮城県少飛会旗


飛行服


軍刀類


軍用無線機





霞の目飛行場の格納庫が仙台市交通局のバス車庫に 2006/09/21伊藤憲一

 航空に関する話題をひとつお知らせします。
 それは、戦後まもなくの話ですが、仙台市交通局のバス車庫に霞の目飛行場の格納庫を移設して作ったという話題です。ただし、写真は送れません。航空とは関連の無いHPで偶然発見したものです。

 このHPは、「仙台市完全非公認・仙台市営バスのページ」という、rondoさんという方が主宰されているものです。
 メニューの[昔のおもひで]→[バスのある光景]でたどり着きます。上から4番目、5番目の2枚の写真に車庫を解体している写真があり、これは、霞の目飛行場の格納庫を移設したというコメントがあります。この写真は手前の古いバスを見せるのが主題と思うのですが、私は、このコメントにもひっかかりました。
 なぜ、また、どのようにして移設したのか知りたくなったのですね。

 実は、これを発見したのは2年ほど前なのですが、これは、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の話題に値するものかなと思い、管理人のrondoさんに、私の実名を出し、貴誌を紹介させていただきました。そして写真提供をお願いし、また移設理由とその方法も分かれば教えていただきたいと申し出たのですが、丁重にお断りの回答をいただきました。
 確か、rondoさん自身の写真でなく提供写真であったこと。また、その提供者にも話をしていだだいたようですが、提供者自身もその写真の所在が不明との理由だったと思います。

 そこで、私も、仙台市交通局50年史などの書物や新聞などを調べたのですが、その範囲ではこの広瀬車庫は霞の目の格納庫を使用したとの話しは見つけられず、確証は得られませんでした。分かったことは、この広瀬車庫の開所は昭和25年、閉所は昭和52年とのことです。

 写真から見ると、確かに格納庫のような形をしているし、これが本当ならば、戦後まもなくの話でもあり、物資不足等の理由とも思えるのですがどうやって運んだのか非常に興味があります。それとも、このような例はこの当時、普通にあったのでしょうか。現在の陸上自衛隊・霞目駐屯地の格納庫から、広瀬車庫のあったところまでは、おおよそ北西の方向、仙台駅をはさんで、約5.1kmです。

 まずは、このHP「仙台市完全非公認・仙台市営バスのページ」をご覧ください。ちなみにこのHPはローカル(一地方の公営バスを中心に扱っているという意味で)なものですが、延べアクセス者は150万人を超えており凄いHPと思います。