この後、霞目に保存展示されることもなく、たまたま、駐屯地祭だけでの展示だったと思われます。LMは米国から域外調達という形で供与されましたので、用途廃止後は手続き上米国に返還され、国内に残さない形をとったのでしょうか、よくわかりません。
佐伯から : 21051は、LM-1(21016)のコンチネンタル225馬力をライカミング340馬力に付け変えた改造第1号機です。資料によると用途廃止は1983年3月18日となっているので、この1982霞目駐屯地祭の展示よりも後になりますが、実質的には
おっしゃるように用途廃止状態にあったようですね。
(付) ライバルの競争
について
学生の時に、通常授業でない飛行機に関する特別講義があるということで聴講したことがあります。空自の次期超音速練習機が三菱T−2に決まり、量産機の生産が佳境中の1970年代後半の時代でした。
富士重工から講師が来られたのですが、何と、T−38の模型を手に一生懸命講義されていました。そして、講義の中でさりげなく「三菱のT−2やMU−2は補助翼がなく、横操縦はスポイラーを使って行うので確かにキレがいいが、(気流が悪い時に?)安定性がよくない。」の様なことも言っていたようでした。
たしか、次期超音速練習機に富士重工はT−38ベースを提案していた記憶があったので、このT−38の模型とスポイラーの話に思わずにやりとしてしまいました。一緒に聞いていた聴講生はこの事をわかるかな〜と思いながら。
佐伯から : ライバル会社の大変興味あるお話しをありがとうございました。富士は、三菱の政治力に負けたのだと思いますが、結果として、T-2は既に完全消滅しましたが、T-38系はいまだに練習機として使われ、空自の航空学生も卒業後アメリカでAT-38Cの訓練をうけているなどをみると、当時の選択はさて?