56年度航空総隊総合戦技競技会で小松基地に結集したたF-4の迷彩は、冬の日本海に合わせたのか、全般的に暗い色調でしたが、その中にあって明るい明細の第303飛行隊がF-4の部総合で第1位になったというから皮肉なものでした。
参加部隊の中で最も迷彩度が高かったのは第302飛行隊で、細かな注意ステンシルまで消すという徹底ぶりでした。第306飛行隊は、写真のパターンをベースに若干細部の異なる5機を参加させていました。第301飛行隊は、地色とブルーを組み合わせたパターン、第303飛行隊は、モノトーンに近い2色迷彩、第304飛行隊は、ブルー迷彩とライトグレー迷彩の種類、それに加えてF-1迷彩機も参加させていました。 撮影は1981年11月
第301飛行隊(百里) 斜めに分断して前方のみブルー迷彩
第301飛行隊(百里) 全面ブルー迷彩
第302飛行隊(千歳) 縁取りのぼかしに特徴
B参照
第303飛行隊(小松) 地色と水色の明るいパターン インテークベーンにVの白文字
第304飛行隊(新田原) ライトグレー迷彩
第305飛行隊(百里) 全面ブルー迷彩
第306飛行隊(小松) 2パターンのブルー迷彩
この写真を特にここに掲げた理由は、佐伯が紙機関誌CONTRAIL編集者としての最終号であり、かつ7枚の写真が第3表紙と裏表紙に文字通り最後の最後を飾ってくれた印象深いものであるからです。また、経費の都合上、ご覧のように上下をカットしているので、元の写真のデジタル保存を機会に発表しました。
当時は、電子投稿など夢にも知らない時代ですから、投稿はオール紙焼きでした。毎号たくさんの写真を頂きましたが、この109号についてみれば、表紙の見事なストレーキを引くマルヨンの写真(新田原航空祭、熊本の興野さん)をはじめ
として、きれいに仕上っていま す。併せて、中身の編集もタイプと写植の併用で、素朴ながらも専門誌に負けない濃い内容になっています。自前のガリ切り謄写印刷りから始めた19年間の蓄積の成果でした。
これが最後でなく、以後もずっと続けていたらヒコーキの会は、数千人の会員を擁するまでに発展して、私は専従スタッフとしてそれで食っていけたかもしれません‥ とでも言いたくなりますが、それは言い過ぎか! (2017/10/21 佐伯邦昭)
編集が最終となった事情は 「赤字解消の努力を無視され、即刻編集から手を引く」をご覧ください。
TOP