1987年 航空神社や有料呼出駐車場などの風景
1988年 反転フラップ式案内表示機やプラットHOME・SITEMAP・サイトマップ上のマーシャラ―など
撮影と文 井上 剛 飛行場に行って飛行機の写真を撮るのは当たり前なので、本日はその中に混じっていた、撮っていそうで案外撮っていない、当たり前すぎる羽田空港の情景をいくつか送ります。
○ 羽田航空神社(昭和62年1月25日撮影)
当時の航空神社はとてもお詣りし易い場所にあり、羽田を訪れた際にはほぼ必ずお詣りしていました。現在の社殿は第一ターミナルの一室にあったと思いますが、わかりにくい場所にあり、数度しかお詣りしたことがありません。
○ 穴守稲荷神社(昭和62年1月25日撮影)
小振りですが、立地場所からしてこちらが本家本元といっても良いのかもしれません。こちらが新ターミナルに移されたかどうかは、ちょっと記憶にありません。
○ 送迎デッキから見た国内線ターミナル(昭和62年4月21日撮影)
送迎デッキの国際線ターミナル側から国内線ターミナル正面が見通せました。「国際」空港らしい、大好きな眺めでした。
○ いすゞ自動車工場と第2有料呼出駐車場(昭和62年12月24日)
今や対岸のいすゞ自動車の工場も無くなってしまいました。「呼出駐車場」という言葉ももう滅多に使われない言葉かもしれないです。
↑ 下部拡大 (第2有料呼出駐車場は1971年4月に開設された)
○ JASチェックインカウンター(昭和63年4月1日)
東亜国内航空が日本エアシステムに社名変更した当日の同社チェックインカウンターです。電子チケットが当たり前になった現在では最早懐かしい光景です。
○ 反転フラップ式案内表示機(昭和63年4月1日)
これも今はあまり見られなくなったパタパタです。伊丹空港はまだこのタイプの表示機を使っているようです。
○ 搭乗待合室(昭和63年4月1日)
○ 搭乗待合室から見たバス(昭和63年4月1日)
所謂「沖留め」の多かった当時の羽田空港では、ターミナルに着ける極一部の便を除いて、一旦このような待合スペースに集められてバスで搭乗機まで連れて行かれるのが当たり前でした。
○ マーシャリング作業(昭和63年10月20日)
ターミナルビルに着ける便は、スポットによっては、高いプラットフォームに上ったマーシャラーに誘導されました。これも、いろいろな補助装置が備えられた現代では珍しい光景かもしれません。
以上9葉、当たり前すぎる光景ですが、今となっては羽田空港の歴史に仲間入りさせてもよいかなと考え、お送りする次第です。