1978年 要人訪日の特別機 VIP Visits Planes
撮影1978/05/15(月曜日) ハロースクエア 1978年5月15日に来日したネパールのビエンドラ国王特別機、ロイヤル・ネパール・エアライン(RA/RNA)のB727-1F8(9N-ABD)です。Yeti(雪男)と名付けられたこの100型は当時たった1機の虎の子のジェット機で、特別機として使われていた間、定期便はどうしていたのだろうと思ったものです。
Boeing727-1FS 9N-ABD Royal Nepal Airlines
関連記事 Z38 VIP機を撮り続けて32年 参照撮影1978/10/22( 日曜日) ハロースクエア chaina 中華人民共和国 ケ小平副主席特別機
中国空軍 ホーカーシドレーHS121 Trident-2E
特別機 Hawker Siddeley Trident-2E 50055
随行機 Hawker Siddeley Trident-2E 50054
撮影1978/10/30(月曜日) ハロースクエア mexico メキシコ共和国ロペス大統領特別機
メキシコ空軍 Fuerza Aerea Mexicana ボーイングB727-51
特別機 Boeing727-51 TP-01 QuetzalcoatlT
随行機 Boeing727-51 TP-02 Quetzalcoatl U
機体名の“Quetzalcoatl ”(ケツァルコアトル)は、 古代アステカ文明の「風の神」だそうです羽毛のある蛇の姿をしているそうなので、TP-01の尾翼に描かれているのがそうだと思われます
撮影1978/12/06(水 曜日) ハロースクエア がぼn ガボン オマールボンゴオンディンバ大統領特別機
ガボン政府 ダグラスDC*8-63CF
DouglasDC-8-63CF Republique GABON TR-LTZ
日替わりメモ2013/05/11〇 写真で見る東京国際空港の歴史 1978年のVIP機
久々に東京国際空港の歴史をアップしました。1978年というと日中平和友好条約が締結された年です。8月に園田外務大臣が北京へ行って調印し、10月のケ小平副主席来日を期して発効しました。
当時の日本は官民挙げて歓迎ムードでしたが、したたかなるケ小平は、日本の高度経済成長をしっかり学んで帰り、更にアメリカで興りつつあった電子工業などを勉強して、支那を経済大国にする基盤をつくったのでした。経済大国化を正面から支えてやったのが日本の巨額の経済援助であり、そのモトになるのが日中平和友好条約でありました。向こうの腹は、上っ面だけでにこにこしてやればお人好しの日本は幾らでも金を出してくれるという実利主義でした。それが今頃になってやっと日本人に分ってきたのですね。私を含めて。・ 懐かしの風景
さて、35年ぶりにその時の羽田の情景をヒコーキマニアとして眺めますと、特別機以外にいろいろと興味深いものが写っています。先ずは、トライデントの周りを警備する警察官(P)の数、今でもVIP機周りはこんな間隔で立っているのでしょうか。
冲のスポットに駐機するボーイング747。この機体かどうかはわかりませんが、この年の6月にJA8119が伊丹で尻もち事故を起し、後の御巣鷹山墜落事故の第一原因をつくりました。
遠くAランを見ると、おー、あのマークは中日本航空ではないか! YS-11試作2号機JA8612が2年間だけ中日本にリースされていた時代の数少ない羽田の写真です。
YS-11の歴史中日本航空参照 手前はモヒカンのANA機。
ケ小平副主席の8日後にやってきたメキシコのロペス大統領のボーイング727。その向こうに、ずらっと駐機している全日空のトライスター、こういう過去もありましたね。