これほど急ピッチで成長した航空会社は世界でも例がありません日本航空躍進のスタート 1967年
1967年を締めくくる12月号第4表紙の広告から
1954年
1955〜1956年
1957〜1958年
1960年
1961〜1962年
1963〜1965年
1966年
1967年
1968年〜
そして、翌1968年新年号第4表紙には
日替わりメモ2013/12/13 〇 広告に見る自制と自画自賛
” 2014年3月30日より羽田発着の国際線が大増便。ビジネスもバカンスも羽田からの海外旅行がとても便利に! ”
これは、全日空の最近の広告です。羽田の発着枠を日本航空に優先して増やして貰ったうれしさを秘めております。もっと率直に表現したいところでしょうが、自制していますね。
日航には、今のところ、この広告を蹴落とせるほどのサービスポイントが無いので面白くないでしょう。では、JALファンのお怒りを鎮めるために、日本航空が世界レベルで輝き始めた年の広告コピーを。
1967年、日米航空交渉が妥結してニューヨークへの乗り入れと大西洋への以遠権が認められ、遂に世界一周線を実現した時の広告です。
時、あたかも年率12.4%という経済成長真っ只中にあり、ナショナル フラッグ キャリアたる日航が経済大国日本のリーディングカンパニーなりという自信と誇りに裏打ちされた、まさに自画自賛の文句です。日航と一心同体で米ロなどと難しい交渉を進める政府は勿論のこと、国民一般も素直にこのコピーを受け入れられる環境でした。ちなみに、この広告が第4表紙に載った航空情報1967年12月号のグラビアページ末尾にある全日空の広告は、日航に先駆けて導入したボーイング727の1号機が飛行6000時間に達してD整備に入ったという紹介でした。
日航は、おっかぶせるように翌新年号の第4表紙に”太陽を追い越すジェット”としてコンコードを3機、ボーイング2707を8機発注したとJA8101を付けたSSTの絵をのせています。昇竜の勢いです。
両社の差は歴然としていますが、自画自賛の日航の中に没落の芽が生まれつつあったかもしれず、驕る平家は久しからずと世の無常を感じるのであります。羽田発着枠を優先して貰った全日空は、今の自制した広告の精神を忘れないようにしないと‥。