1964年1月22日、全日空はボーイング社との間で、ボーイング727をリース1機、3機購入、オプション2機の契約を締結しました。
リース機N68650は同年4月に到着し、5月25日から就航して好成績を挙げており、次いで待望の購入一番機のJA8301(c/n18821)が翌1965年4月30日に岡崎社長以下総出で出迎える東京国際空港に到着しました。
以下、その当時の興奮を体に染み込ませているにばさんが、思わず手を出した
のが次の模型でした。
・ にばさんのメールから
最近はやりのミニチュア・モデルプレーンの1/500に導入時の全日空の旧塗装のB727−100が店にあったので思わず購入しました。
私の入社時の機体のカラースキームで懐かしさと出来の良さもあります。ただNo.2エンジンの噴出口がやや小さいように思います。それと当時は今のように非常口やドアの枠取りはありませんでした。
【ものすごい説明文】
何と言っても、売りは蓋裏の説明文です。これほど詳しい説明のあるミニチュアモデルは無いと思います。
冒頭の「・・・昭和39年に導入された初めてのピュアジェット機である。・・」との説明は最近の人に何だろうと思われるかしれません。
今でもその傾向はありますが、プロペラ機かジェット機かの区別が一般的です。当時は国内線をヴァイカウント、フレンドシップとターボプロップ機を就航させていた全日空は、ジェットエンジンでプロペラを回していること、したがってピストンエンジンと比べて振動が少ないことを宣伝していました。YS−11の一号機にも胴体に大きくPROP−JETと描いていました。
社内では日航が飛ばしているジェット機を意識して
、近いうちに、ピュアジェットを飛ばすと言う目標がありました。言うならばプロペラのないジェット旅客機をピュアジェット機と呼んでいました。当時の整備関係者には懐かしい言葉です。
佐伯から
説明文は、著作権があるので小さい写真でご勘弁頂きますが、1960年代の民間航空界と全日本空輸の状況から書き下ろして、727導入の経緯、発注、シアトルでの製作と航空局の検査などが微に入り細に入り記述され、JA8301が東京へフェリーされた時の乗員名から経由地のこと、距離、時間まで書かれているという、まさに模型の説明としては異色のスケールであります。
当時の興奮が伝わってきます。
これほどの内容が書けるのは、全日空で社史を扱った人間だろうと思いますが、ただし、句読点が打ってない、いわゆる平文なので、まともには読めません。
興味ある方は、模型を買って拡大複写して自分で句読点を打ちながら読むほかありません。そうまでしても、なおかつ価値ある歴史解説だとお墨付きを与えておきます。
在庫販売業者 http://item.rakuten.co.jp/teduka/4961506500110/