探していたネガがひょんなところから見つかり、写真に起こしてみました。
その頃はSS(コニパン)で撮っていたため、ビネガー現象にやられておらず、カビとゴミを処理して何とか見られる状態に戻せた次第です。(ビネガー現象の被害はほとんどネオパンF)
最初にヒコーキの写真を撮ったのが1960年8月。当時800円の玩具カメラ(フィルムはボルタ版使用)で撮ったTu‐104でしたが、残念ながらネガ、写真共紛失しています。
そして中学2年時、1961年8月、普通の35oカメラを持って初めて撮ったのが以下の写真です。
撮影1961/08 Douglas C-54B N30048 SEVEN SEAS AIRLINES
撮影1961/08 Douglas DC-7CF N8216H RIDDLE
撮影1961/08 Lockheed L1049 KLM DE VLIEGENDE HOLLANDER
日替わりメモ20111019から
〇 ”DE VLIEGENDE
HOLLANDER” の謎について
たくさんの方から
ご教示を頂きました。ありがとうございます。それで航空史探検博物館の中を探してみましたら、戸田保紀さんから1960年の写真を頂いていました。足元暗しです。
スターボードサイドの文字 DE VLIEGENDE
HOLLANDER
ポートサイドの文字 THA
FLYING
DUTCHMAN
”DE VLIEGENDE HOLLANDER” ”THA
FLYING
DUTCHMAN”
さまよえるオランダ人=幽霊船、KLMはこのスーパーコニーだけでなく他のプロペラ機にも画いている例があるようです。
伝説では、喜望峰で神に逆って呪われた船長1人が幽霊船となって最後の審判の日までさまよい続けるのだそうで、オランダ国民がそんな呪いの名前をつけて平気でいられるのは、何か特別の理由があるのでしょうか。日本なら、番町皿屋敷号みたいなもんです。更に物知りおじさんのご教示をお願いします。
61年9月12日撮影のエアロコマンダーは、Nレジがはっきり見えませんが、この機体もやはり国内機になったのでしょうか。
(判読をお願いします)
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