元航空自衛隊幹部のご子息が遺品整理で見付けられたものです。時は1956年1月13日、場所は東京国際空港、MATS
(Military Air Transport Service)のボーイングC-97に乗ってハワイのヒッカム飛行場経由、シャヌート空軍基地へジェット戦闘機整備の研修に行かれたそうです。出発前に記念に撮影されたものの中の1枚です。
撮影1956/01/13 提供坂井協二
参考 シャヌート空軍基地での記念写真
搭乗前にC-97を写した場所は米軍専用ターミナル(図A)の前です。建物は、終戦まで東京飛行場の事務所や大日本航空の旅客待合室として使われていたもので、羽田の一等地を米軍が占用していたわけです。
因みに、当時の日本航空は図のN、P、Qなどの格納庫を使っていましたが、日本ヘリコプター輸送は、わずかにH(旧海防義会)とI(占領下のマッカーサーハンガー)など
(一時朝日格納庫Cも借用)でダブやDC-3の整備を行っていて非常に手狭でした。米軍施設が全面返還されたのは、これから2年後の1958年7月で、以後K、L、Mが全日空に、Jが日本遊覧航空に貸し付けられました。