まさか『ヒコーキ雲』で『化女沼』という名前を聞くとは思いませんでした。
レジャーランドが出来たとは聞いていたのですが、全く関心が無く一度も行かないうちに閉鎖されてしまったんですね。 2005年になって『化女沼古代の里』と言う近くの別の施設には行きましたが、レジャーランドの方は上で紹介されたサイトを見て、初めてその内容を知った次第です。
実は、この化女沼があるところは大崎市小野(おの ではなく この
と読みます)と言う所なんですが、私が小学生の頃住んでいた所の近くなんです。
今では大崎市という名前で、古川や鳴子、岩出山などを含んだ大きな地域になりましたが、私の小学生の頃はこの化女沼のある所は、宮城県栗原郡長岡村という名前でした。
この長岡村にはいくつかの部落があり、私が住んでいたのは長岡村荒谷で、化女沼のあたりは朽木橋という部落でした。私は昭和19年に疎開で東京の豊島区大塚から、母親の実家があるこの長岡村の隣の宮澤村と言うところに引っ越したのですが、昭和21年になると長岡村に再度引っ越すことになりました。
翌年の昭和22年小学1年生になり、この長岡小学校に入学しました。残念なのは入学した時期が終戦後の物資の少ない頃だったせいか、入学式の記念写真が無いんです。私の場合は5年生の半ばで転校したため、この長岡小学校にいたという証拠の写真が一枚もありません。
一学年に2クラスしか無い小さな小学校でしたが、余り楽しい思い出が無かったので、そのため足が向かなかったのだと思います。この長岡小学校から北の方になりますが、化女沼までは2キロくらいの距離で、小学校時代にも何度か行ったことがあります。
当時は沼の周りには何もなくて、一年に一度沼の水を落として、魚を捕る行事(かいほりと呼ばれていたように思います)があるくらいの静かなところでした。子供の頃は化女沼と呼んだことはなく、『けしょぬま』と言っていましたので、『化粧沼』のなまった呼び方だとばかり思っていました。
長岡小学校のすぐ北には『斗蛍稲荷神社』という神社がありますが、ここも『とっけさま』という名前で呼ばれていて、『とけいいなりじんじゃ』と呼ぶ人は誰もいませんでした。この神社の近くには
『千葉周作生誕の地』だったかと思いますが、江戸末期の剣豪 千葉周作がこの地に縁があるという、立て札が立てられています。
化女沼の周辺が開発されたのは東北自動車道が出来てからだと思いますが、『長者原パーキングエリア』が近くて、交通の便が良くなって賑わったんだろうと思います。この長者原は東北自動車道が出来る前は辺鄙なところで、終戦後開墾されて多少農作物が取れるようなりましたが、それまでは行くだけでも大変な過疎地帯でした。
グーグルアースで見るとレジャーランドのFA-200はまだ見られますね。長岡小学校から化女沼までの道も大きくは変わっていないようですし、亡くなった祖母と一緒にたきぎひろいに行った権現山の名前を見つけると、つい懐かしくなってしまいました。
昭和25年には市制施行で長岡村はなくなって、私が住んでいたところは古川市荒谷という地名になりましたが、私は小学5年生の二学期から4キロほど離れた古川小学校に転校しました。ここは一学年に8クラスという大きな学校でしたが、全くいじめが無かったのはうれしかったですね。
すみません、飛行機に関係のないことでしたが、化女沼なんていう超ローカルな地名が出てきましたので、ついいろいろ書かせて頂きました。
化女沼レジャーランドとは別の施設 古代の里の一部 撮影2005 戸田保紀