A2330-1 宮城県栗原市(旧栗原郡瀬峰町) 瀬峰場外離着陸場 通称栗原飛行場 元北日本航空大学校
Semine Airport, Kurihara City, Miyagi Prefecture
|
× 北日本航空大学校
北日本航空大学校(専門学校)は、瀬峰場外離着陸場(1977/05設置)にありましたが、内容等はよくわかりません。悪徳商法の豊田商事が買収し
、1985/06/18に同社会長刺殺事件 後に学校も閉じられた模様です。
|
× 富士FA200-160 JA3491
JA3491の経歴
1969/12/19 |
c/nFA-200-58 JA登録 (佐藤製菓) 定置場茂原飛行場 |
1978/01/ |
京葉航空 定置場大西飛行場 |
1983/08/28 |
七浦邦雄 定置場瀬峰場外離着陸場 |
|
事故を起し東日本航空大学校の教材になったと思われる |
2012現在 |
抹消未登録 現状不明 |
東日本航空大学校教材と推定 撮影1985/07 遊佐 豊
 |
×
セスナ310 JA5041
JA5041の経歴
1957/04/10 |
c/n33534 |
1957/07/15 |
JA登録 産経新聞社 愛称はぶさ 定置場東京国際空港 |
1971/05/14 |
有馬商事 定置場名古屋空港 以下個人遍歴 定置場小松空港など |
|
写真では草地にH-19など共に置かれ、翼端タンクの汚れなどから見て飛行不能状態で教材にされていたものと思われる |
1990/10/25 |
抹消登録 |
東日本航空大学校教材と推定 撮影1985/07 遊佐 豊
 |
× ノースアメリカンF-86F-40 92-7939(正しいナンバーは不明)
92-7939の経歴
1959/12/23 |
c/n256-59 US57-6396 航空自衛隊へ引渡 |
1976/06/08 |
第4航空団第7飛行隊で用途廃止 |
|
? |
瀬峰場外離着陸場 北日本航空大学校校教材 下記写真 |
|
下郷資料によれば92-7939を62-7437と記入して別府市A
リンドバーグ病院に展示したとある |
62-7437の経歴
1956/05/12 |
c/n227-14 US55-3829 航空自衛隊に引渡 第1航空団第1飛行隊 |
1980/10/21 |
第8航空団第6飛行隊で用途廃止 |
1981/03 |
別府リンドバーグ病院に展示 |
|
日本文理大学教材機 |
撮影1984/03 遊佐 豊

撮影1989/08 シシオ

撮影1978/11/11 伊藤憲一 4W 7SQマーク ・キャノピーのNo.は92-7877となっていた
 |
× シコルスキーH-19C 40030
40030の経歴
1962/06/16 |
c/nM55-042 陸上自衛隊に引渡 |
1976/12/24 |
東北方面ヘリコプター隊で用途廃止 |
|
北日本航空大学校に展示 |
撮影1984/03 遊佐 豊

撮影1978/11/11 伊藤憲一

所属記号の記入位置に「D」とありました。陸上自衛隊で、用途廃止機を示す記号なのでしょうか。
|
△ パイパーPA-32-260 N5298A 本田宗一郎氏の乗機でした
N5298の経歴
1965 |
更 c/n32-70 製造 |
1995/03/27 |
更 FAA登録 所有者 GUAM HAYASHI CORPORATION グアムにて登録 |
2012/09/24 |
更 FAA登録抹消 |
|
以下不明 |
撮影2002/05 樋口佳弘
 |
× ビーチクラフトD18S V4 航空大学校使用機
JA5010とJA5102と思われます。福島県郡山のD18S V4の解説参照
JA5010の場合
|
c/nA-966 N21110D |
1953/08/05 |
JA登録 産経新聞社 定置場東京国際空港 |
1955/06/10 |
航空大学校 定置場宮崎空港 |
1968/12/10 |
ボルパーキットにより前輪式に改造 |
1972/05/30 |
定置場仙台空港 |
1974/06/18 |
抹消登録 |
|
瀬峰場外離着陸場 北日本航空大学校校教材 |
撮影1989/08 シシオ


|