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ヒコーキマニア人生録
私のヒコーキ人生と航空情報
創刊号から264号まで一括販売に添えて
戸田保紀
2017年現在、日本の航空雑誌といえばまず名前が挙がるのは『航空ファン』だろう思いますが、オールドマニアにとっては『航空情報』こそがそれだろうと思います。
私は中学一年生/1953年の時、当時住んでいた宮城県古川市(今は大崎市古川)の佐々栄書店という本屋さんで買った中 正夫著「航空の驚異」と言う本を読んだのが、航空ファンとなったきっかけです。
毎日のようにこの本屋さんに行っては立ち読みをしていましたが、なかなか当時の小遣いでは買う事が出来ず、年末になってやっとおばあちゃんからの資金援助でこの本を手にする事が出来ました。
この本はハードカバーで、戦後の航空界の話題を紹介する一種の啓蒙書のような感じでしたが、どんどん進化する航空界のニュースを知るには、毎月刊行される航空雑誌を買わなければなりません。それで当時は『世界の航空機』、『航空ファン』、『航空情報』の三誌が出ていましたのでこの順に買ってみました。
『世界の航空機』は鳳文書林という会社から出ていましたが、どうも中学生には読みにくく、 次に買った『航空ファン』は後半の頁がUコンなど興味が無い事に使われていて、最後に買ってみたのが『航空情報』で、これだな、と思って以後定期購読をするようになりました。
最初に買った『航空情報』はNo.27 と言う番号がついた、1954年の1月号で表紙はF-100 スーパーセイバーでした。以後何十年と続けて購読する事になりますが、それから5年後の1959年には『航空ファン』でアルバイトをすることになるとは、当時の私にはまったく思いもよらないことでした。
1959年には東京の写真の学校に入学したのですが、ある日講堂で何かの催しがあり、その合間に『航空情報』を読んでいたら、別の学科の生徒から声をかけられました。「うちの学科にも飛行機が好きなのがいるよ」と言うことだったと記憶していますが、それで連れてこられたのが武田正彦さんだったんです。
武田さんの名前は投稿写真で知っていましたのでその奇縁に驚きましたが、もっと驚いたのは卒業したら『航空情報』に入りたいと思っている、と言う言葉でした。その武田さんに連れられて銀座の交詢ビルにあった、『航空情報』編集部を訪ねたのは1959年の6月頃だったと思います。編集長の関川栄一郎さんが会ってくれて、私が持参した厚木で撮った写真を見せると、すぐ8月号に2頁で6、7枚の写真を載せてくれました。
写真の使用料はなく掲載誌を一冊頂いただけでしたが、『航空情報』に載せてもらったと言うだけでうれしくて、今でも連れて行ってくれた武田さんには感謝しています。
武田さんは初心を貫かれて、1961年に学校を卒業するとすぐ『航空情報』を発行している酣燈社に入社し、1974年に『航空ジャーナル』の設立メンバーの一員として退社するまで、多くの写真を『航空情報』の誌上に発表されています。
以後『航空ファン』を引き継いだワールドフォトプレスに移動して、『航空ファン』の編集長になったかと思うと、イラストレーテッドシリーズの編集長に異動したり、また『航空情報』に編集長として戻るなど、私の頭ではどうにも理解不能な波乱の多い人生ですが、ともかく長く航空雑誌の編集に携わっていたのはうらやましい限りです。
一時期この武田さんと私が不仲になったことがあるのですが、それは私が『航空ファン』にも写真を提供するようになり、そのことは『航空情報』に対して義理をかく行為だと武田さんが言われたからなのです。
以前このヒコーキ雲に「先代航空ファンと戸田万之助さん」という記事を書 きましたが、文通をしていた大野芳希さんに連れられて『航空ファン』の編集部を訪ねたのは、『航空情報』を訪ねた時から、ほぼ一ヶ月後の1959年7月のことでした。
このときも社長の戸田万之助さんに横田で撮った写真を見せたら、すぐ使ってくれました。新橋で毎月開かれていた『航空情報』友の会の例会で、発売前の『航空ファン』を取次店で見た横森さんから、「戸田君の写真が『航空ファン』に載っているよ、タイトルは「横田基地を下から見れば」だよ」と笑われましたが、その後しばらくして東中野の下宿先に現金書留が送られてきました。
その時生まれて初めて現金書留を手にしたのですが、送り先は『航空ファン』の戸田万之助さんで、一枚300円で6枚だったか7枚だったかの写真使用料でした。当時の小遣いが一月3000円でしたから、何ともうれしいボーナスで、「写真が使われると使用料がもらえる」というので、以後はもっぱら『航空ファン』への写真提供となったのは無理もないことと御理解を頂きたいものです。
『世界の航空機』は全くつき合いがなく分かりませんが、『航空情報』はU-2の着陸の写真も掲載誌を頂いただけです。お金よりも名誉、と言うのか、『航空情報』に載ったというのは当時のファンには喜びでした。
私自身は以後は『航空ファン』とのご縁が出来て、自然に『航空情報』とは単なる読者という関係になりましたが、今にいたる航空ファンとしての基礎を作ってくれたのは、紛れもなく『航空情報』です。
残念ながら今では本屋さんに並ぶ『航空情報』は毎号わずかで、探すのに苦労するくらいの存在となっていますが、ある時期大変御世話になった『エアワールド』の様に消えないで、これからも長く続くことを願っています。
航空情報bP〜264 217冊揃いでお譲りします
今回佐伯さんのお許しを頂きましたので、少し私の所にある『航空情報』の初期のナンバーについてお話しをさせてください。
私も武田さんに劣らずいくつかの職業を経験したのですが、1980年に模型販売の仕事を始めて、2005年にやめるまで25年間働きました。それからもう12年になりますが、2005年の4月からはヤフーオークション専門で、手持ちの在庫品や、お客様からの委託販売などを、各種の病気の合間にやっています。
変な書き方ですが、2006年からは次々と新たな病気が発生し、2011年の大地震のショックからなのか、2012年6月には丸一日の記憶が全くない「一過性全健忘」と言う症状が出たのですが、その後も難病にかかって、いつの間にか30年分くらいの記憶が消えてしまいました。
幸い東北大学病院の先生方のおかげで、この記憶が消える症状は2016年からは大分減ったのですが、一度消えたものは戻りませんので、沢山の写真や本を前にしても撮った時の情景や、本を買ったときの状況がほとんど思い出せません。
私のお客様から長年にわたって買いためた『航空情報』の初期のナンバーを、どなたかにお譲りしたい、と言う相談を受けたのはもう1年以上前のことです。
当初はヤフーオークションに出品をして販売しよう、と思いましたが、『航空情報』の創刊号1951年10月号から、1969年の12月号までの217冊が揃っていますので、出来れば『 ヒコーキ雲』の読者のようなマニアの方に、お譲りすることができたらと、佐伯さんに相談し、今回ご案内をさせて頂く次第です。
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航空情報』は別冊にもナンバーがつきますので、本誌だけですとナンバーが飛んでいるのですが、月別ですとちゃんと揃っております。
本の状態は玉石混淆、といいますか、程度の良いのもあれば悪いものもあります。また色んなところで買われて揃えていますので、表紙に値札が貼られているものもあります。また一部破れているものもあります。
こうした諸状況をすべてご了解の上で、入手を希望される方がおられましたら、是非お譲りをさせて頂きたいと思います。
最低販売希望金額は 『航空情報』の本誌、創刊号から1969年12月号まで、217冊欠号無しで 4万円です。それに宅急便5個口でお送りいたしますので、送料として別途大体5000円から6000円がかかります。
この最低販売希望金額の4万円、プラス送料というのを目安にして頂いて、ご希望の方はどうぞご自分の希望価格をお知らせください。オークションではありませんので入札は一回限りで、最高価格を提示して頂いた方にお譲りいたしたいと思います。
佐伯さんに余計なお手間をかけたくありませんので、ご希望の方は6月16日までに直接私、戸田保紀に直接メールでご連絡ください。
メールアドレスは hobic◎world.interq.or.jp (◎に@を入れる)です。
電話は耳が悪いので勘弁してください。
結果は『ひこうき雲』で終了後報告させて頂きます。
売れました 2017/06/21 おかげさまで神奈川県の方にお求めを頂きました。6月16日の締め切りまでにご照会は何件か頂きましたが,具体的に購入の意思をお伝えいただいたのはこの方だけでした。
今回は、貴重なスペースをお貸し頂きましたヒコーキ雲の佐伯さんに感謝申し上げますとともに、ご覧いただきました読者の方々にお礼を申し上げます。大変ありがとうございました.
戸田保紀