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航空歴史館  川崎キ61 三式戦U型改 飛燕の戦後史 その2 

 

平成の修復  知覧から各務原へ

その2 平成の修復 知覧から各務原へ

2014/11/26 南日本新聞の報道
2015/01/06 日本航空協会が公式発表
2015/05 修復に当って現地調査
2015/09/03 各務原市へ向けて積み出し
広報各務原 平成15年11月1日号
お願い 主銘板が失われる前の写真を探しています
2016/08/05 川崎重工岐阜工場で修復中の飛燕見学会
原製作所(長野県上田市)が3D計測で参加

2016/10/14 川崎重工創立120周年記念展に展示  神戸ポートターミナル大ホール 

日比谷公園の展示から63年ぶりの再会

日本航空協会航空遺産継承基金によるレポートの一部
2016/11/19 かかみがはら航空宇宙科学博物館収蔵庫で公開  式典の模様

2017/02/23 収蔵庫展示位置の変更
2017/04/01 プロジェクション・マッピングによる国籍マーク投影


 

〇 2014/11/26 南日本新聞の報道  鹿児島市の白土師さんから

11月26日付け南日本新聞に次の記事がありました。

 [要約] 知覧特攻平和会館では、今夏、日本航空協会から「重要な航空遺産であり、修復して保管展示したい」との申し入れがあり、来年秋にも返還する見通しとなった。撤去後の後には、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で作製された一式戦隼の9/10模型を置くことにしている。

 知覧の飛燕が返還されるという 南日本新聞の記事は、歴史派・記録派マニアにとってビッグニュースです。特に、私は世界で唯1機の歴史的航空遺産を本来在るべきところに返還すべきだと主張し、市長や会館に手紙を出したりしていたものですから、やっと希望が受け入れられたのかという感慨があります。 (佐伯邦昭)

〇 2015/01/06 日本航空協会が公式発表  公式発表

 知覧の飛燕を各務原市に 

 日本航空協会会長野村吉三郎氏が年頭の挨拶において次のように正式に発表しました。知覧特攻平和会館館内での隼との交換時期、即ち飛燕の搬出時期は本年秋が予定されております。

 本協会が所有しております三式戦闘機「飛燕」二型は現在知覧特攻平和会館に展示させていただいておりますが、航空遺産を次世代に伝える取り組みの一環として、今年後半から川崎重工業様のご協力を得て約1年間の予定で修復を計画しています。修復後はかかみがはら航空宇宙科学博物館に展示させていただく予定です。

各務原市へ向けて積み出し

〇 2015/05 修復に当って現地調査    調査

 図書室  航空遺産としての飛燕の修復 航空と文化2015年夏季号 参照

〇 2015/09/03 各務原市へ向けて積み出し   積み出し

 飛燕が解体梱包され、9月3日午後7時過ぎ3台のトラックに積まれて知覧を後にしました。

撮影提供  南九州市一市民


 

〇 2015/09/03 各務原市へ向けて積み出し   積み出し

 飛燕が解体梱包され、9月3日午後7時過ぎ3台のトラックに積まれて知覧を後にしました。

撮影提供  南九州市一市民



        



   本来の機体にあるまじき塗装と特攻機に仕立て上げられた展示に疑問を抱き、貴重な航空遺産を生まれ故郷のかかみがはら航空博物館の最高の展示物とすべきだと主張してきたヒコーキ雲としては、知覧市長への 要望をやっと聞き届けて貰えたものと感慨無量であります。

 ”29年間ありがとう「飛燕」”の横断幕を用意して見送った知覧の人々もまた感無量でありましょうが、川重で可能な限り元の姿に修復されて、あるべきところに座ることについて、その大きな意義を十分に理解されているものと信じます。ありがとうございました。 (佐伯邦昭)

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〇 平成の復元に伴って博物館のリニューアル  広報各務原平成15年11月1日号  提供高田和彦 広報

かかみがはら航空宇宙博物館のリニューアル

飛燕修復プロジェクト

〇 2015/12/14  お願い 主銘板が失われる前の写真をさがしています    質問

中村泰三さんから依頼

 私は、日本航空協会の依頼で平成の復元に末席ながら協力をさせて頂いています。 調査の結果、シリアルナンバーが6117と判明しました。
 機体は、まさに後世に残すべき重要な航空文化財であると確信しているのですが、残念ながら、長い年月の間に屋外での保管状況等破損・腐食等と合わせ失われた部品等も多くあります。 

 そこで、失われた部分などを撮影した写真があれば非常に有用な情報となります。

 機体の主銘板もその一つです。
 飛燕としての銘板は現在3種確認されており、現存するキ100(五式戦)の物と同じ銘板がこの機体に装着されていたと個人的に推測しています。(ピカレッラ著 エアロディテール32 川崎キ100 5式戦闘機 p23 71参照)

 そこで、銘板が失われる前の写真を探しています。
 たとえ不鮮明でも、3種の銘板と比較すれば判別できる可能性が高いと思っているわけです。どうか、皆さんのご協力をお願いします。

銘板の参考写真

 イギリス五式戦の銘板公開許可が出ましたので公開します。サイズをピカレッラさんと協力関係にある方に情報提供頂いたところ、6117号機とイギリス五式戦の銘板サイズが合致しました。
 これで残るは二種の銘板となりますので、文字が読めなくとも段数が解る写真があれば確定できます。
 もう一方の銘板写真(岐阜基地所蔵)も添付しておきます。




 

◎ 飛燕見学会   詳細は小牧・各務原旅行記各務原編に記載    見学会

川崎重工業葛yびかかみがはら航空宇宙科学博物館見学会記念写真 撮影2016/08/05

見学記念品



 

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信濃毎日新聞

原製作所(長野県上田市)が3D計測で参加  2016/11/01付け信濃毎日新聞
      

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0周年展

川崎重工創立120周年記念展  神戸 ポートターミナル大ホール  2016/10/14〜11/03

撮影  西山太成, 飯尾剛弘, KUPANBA,  濱野善行

○ 修復飛燕 川崎重工創立120周年記念展に展示

 オリジナルを損なわずに、一般鑑賞に耐える外形を復元するという難しい課題は、機体内部には手をつけず外側の欠けた部分を新しく作り、塗装はプロペラとスピンナーだけにして、日の丸などはシートを貼り付けていることで克服されたようです。

 オリジナル性を維持した日本軍用機の展示としては、鹿屋にある川西二式大艇、太刀洗にある九七戦等と並ぶ歴史遺産であると言えるのではないでしょうか。

 撮影した西山さんは、機能美を感じたとコメントを添えてきました。土井武夫技師がデザインを考えた机には、メッサーシュミットの写真か図面があったのではないでしょうか。水冷エンジンを付けた戦闘機の中では、一二を争う美しい姿態ですね。(Me109は橋本画伯筆)


撮影 西山太成


撮影 KUPANBA

展示の趣旨

撮影 KUPANBA


 

飛燕について

撮影 KUPANBA










修復の実際

撮影 KUPANBA

撮影 西山太成










      





      







 撮影2016/10/19 濱野 善行








風防

撮影 西山太成




撮影 KUPANBA



発動機覆

撮影 西山太成



撮影 KUPANBA


痕跡

撮影 KUPANBA







水冷発動機

撮影 KUPANBA





撮影 西山太成





ハ-140用過給機カットモデル 

撮影 西山太成

撮影 KUPANBA






DB603過給機部品

撮影 西山太成


水・滑油冷却器

撮影 西山太成
      

撮影 KUPANBA



 


計器盤

撮影 飯尾剛弘






配電盤

撮影 飯尾剛弘


計器類

撮影 飯尾剛弘



撮影 KUPANBA      






 

 

    

知覧特攻平和祈念館での惨憺たる状況から、よくぞここまで !  

    撮影1998/11/30 佐伯邦昭
    

記念展の最初へ

 

2016/11/10  日比谷公園の展示から63年ぶりの再会  にばさん  にばさん

 神戸で飛燕を見てきました。中学1年の時、日比谷公園に展示された、飛燕、剣、桜花を見に行きました。生まれて初めて見る日本の戦闘機でした。それ以来63年ぶりの再会で感激し、もう夢中で写真をとりまくりました。

 日比谷公園での展示は、当時の狭い道路を運ぶため両翼が途中で切断され、展示は切断部分はそのままで、切り離した翼を台で支えてそれらしく全体が展示されていました。米軍のやることは荒っぽいと腹が立ちましたが、敗戦国だから仕方がないのかとあきらめました。
     切断主翼の支え棒
    

 今回の展示では、修復された主翼の部分が光っていてすぐわかりました。(前縁黄色の外側)
 撮影 西山太成
 


 川崎重工は本気で修復作業に取り組んだ様子がパネルの説明でよくわかりました。

 見事に修復された飛燕を見て、設計者の土井武夫氏がご存命中ならさぞ喜ばれたことだろうと思いました。私も、出来れば機体をなでさすりたい気持ちでした。勿論だめですが・・・。

   記念展の最初へ

 

〇 2017/01 日本航空協会発行 航空と文化 2017新春号から  2017新春号 

飛燕の修復について 航空遺産継承基金によるレポートから一部転載

 佐伯邦昭の名前を出してもらったことには感謝しますが、資料提供は佐伯個人ではなく、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の川崎キ61三式戦U型改飛燕(6117)の戦後史 のトップページにお名前を掲げているすべての協力者によるものであることをここに明言しておきます。



  

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〇 2016/11/19 かかみがはら航空宇宙科学博物館収蔵庫で公開  収蔵庫

 19日から博物館のリニューアル・プレオープンとの位置付けで新・収蔵庫にて「飛燕」の一般公開が始まりましたので、その状況を一報します。私自身が来場者対応をしていたので、あまりいい写真は撮れなかったのですが・・・(小山澄人)

 飛燕は主翼と胴体が分離された状態、神戸展示の際にあった日の丸などの塗装は全て剥されて銀無垢の状態になっています。本リニューアル・オープン後も塗装やマーキングはされないとのことです。





 9時からオープニング・セレモニーがあり、古田岐阜県知事、浅野各務原市長の挨拶の後、再来年春のリニューアルオープン後の博物館新名称が発表されました。
 「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」となるとのこと。"科学"が抜けて頭に"岐阜"が付きました。名称が長いことには変わりはないのですが、おかしな名称にならなくて、まずはホッと一息といった感じです。

  

  

 

 撮影2017/02/23  高田和彦    2017







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プロジェクション・マッピングによる国籍マーク投影  投影

かかみがはら航空宇宙科学博物館 こやまの支援ボランティア活動報告から許可を得て転記

 収蔵庫で行われている特別展示ですが、2017年3月29日〜31日のメンテナンス工事休館中に、展示物の追加が行われました。
 まずは無地無塗装となっている「飛燕」の胴体に、プロジェクション・マッピングによる日の丸マーク&米空軍マークの投影されるようになりました。2分おきに「日の丸」と「米空軍マーク」が切り替わるようになっています。

胴体の「日の丸」は・・・


主翼の「日の丸」は・・・

「米空軍マーク」の場合は・・・



 個人的に気になった点で、本来無地無塗装の「飛燕」の「日の丸」に白縁は付かないのですが、収蔵庫内の照明が明るいためか、プロジェクションの色が薄くなって日の丸の赤色の境界がハッキリしなくなってしまうそうで、やむなく白縁が追加されたとのこと。
 うーん、痛し痒しといった感じです。

 当然のことながら、来館者から『「飛燕」になんで米軍機のマークなの!?』という質問が多かったですが、
これは、展示の二型試作17号機は終戦後に米軍に接収され、横田基地の展示機になっていたのですが、その一時期に米軍のマークが描かれていたことがあったためとのこと。

 (本機の戦後の経歴は、飛燕の戦後史その1詳しくまとめられています)
 
 プロジェクション・マッピングなら、マーキングは自由自在に変更できますから、本機が戦後に辿ってきた歴史(機体のマーキングの変遷)をプロジェクション・マッピングで示すことができる・・・という思惑。

・・・ただ、やってみたものの「日の丸」から「米空軍マーク」への切り替わりタイミングや時間配分に、改善の必要ありです。例えば、「飛燕」をバックに記念撮影しようと構えていて、シャッター切ろうとしたら「日の丸」から「米空軍マーク」に変わっちゃった、なんていう場面が何度もみられました。

 また、「飛燕」と米軍マークの組み合わせ理由についての説明が、現時点では展示の中に用意されていないため、説明対応するボランティアも四苦八苦。この辺、来年のリニューアル・オープンまでにどう改善していくか、課題ですね。

 プロジェクションマッピングは、【時空間を演出する】新しいコンテンツ。その場所に行かなければ遭遇できない、体験型アートです。物の形状にあった映像をプロジェクターで投影し、あたかも実際の物があるような印象を与えたり、違う存在になってしまうかのような印象を与える映像表現技法の一つです。映像と音を同期させ、屋外広告や屋内広告、イベント、舞台、ライブなどにインパクトの高い演出で、ブランデングに寄与し、高揚感の共有を生み出します。

日替わりメモ2017/04/03

 プロジェクション・マッピングの映像が可動である特性を活用したい思惑と、我が方が詳しく紹介している横田基地時代の展示を意識した考え方のようですが、この6117号機の歴史にとって(横田に残してもらった意義はとても大きいというものの)現在の展示に米軍マークを同等に扱う必要があるのかどうか、一般人に誤解を与えるもとでもあり、やめた方がいいのではないかと愚考いたします。館長さん、日本航空協会さん如何ですか?

 


 収蔵庫展示では、昨年夏に寄贈された、戦時中の「落下タンク二型(木製)」が展示に加わりました。群馬県伊勢崎市の寄贈者のお話しでは、四式戦闘機「疾風」のタンクとのことでしたが、一式戦「隼」、三式戦「飛燕」、五式戦など、戦時中の日本軍戦闘機に共通して使われていました。

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