HOME SITEMAP 日替わりメモ 伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き
新 1939年(昭和16年) 往路4月9日〜15日 復路5月15日〜27日
1939年 イラン皇太子 モハレッド・メザ・パハラウィ殿下 のご結婚記念のため4月9日から国産機 三菱式双発輸送機(元 三菱中攻)「そよかぜ」号(イラン名 ナスイーム) 登録機体番号 J-BEOA 実施会社 大日本航空株式会社 がイランに向けて飛び立ちました。 中継地点である台湾 台北飛行場で撮影された写真をいただきましたので紹介します。 提供者は ナツコ・シイアさんで当時の写真に写っている2歳のお子様御本人です。 現在もご健在でカナダからの一時帰国時に写真を直接届けてくれました。 ナツコさんのお父上は 南波辰夫さんで航空官、大阪飛行場長、極東航空運航部長などを勤め大阪大学、近畿大学の講師なども兼務されていたそうです。 朝日新聞社から1967年に訳書で 「ジェット機はなぜ落ちるか -世界の航空事故と安全性」 をナツコさんと共訳されております。 写真は台湾に居た当時に撮影されたそうです。 新 1939/04/10 台湾 台北飛行場 撮影 南波辰夫 提供 ナツコ・シイア 新 1939/04/10 台湾 台北飛行場 撮影 南波辰夫 提供 ナツコ・シイア 写真裏面 上記写真 左から 経歴など 当時年齢 岩堀庄次郎(33) 一等飛行士 日航社員 総飛行時間2600余り ハインケル空輸 楠木健次郎(35) 航空技術員 三菱重工業社員 清都誠一(31) 第一級通信士 日航社員 ハインケル空輸、乃木号日 飛行に参加 (情報資料 東京朝日新聞、東京日々新聞 S14,4,1記事より抜粋) 当機はヒコーキ雲にて過去に当時の機体下面の塗色の話題で紹介されていました。 掲載ページ リンク 三菱中攻 J-BAOY そよかぜ 1939/04 テヘラン飛行場 提供産田健一郎 当時の資料から飛行にあたり下記のことが明記されており、他国の上空通過にたいし細心の注意が払われていたことが判ります。 武器、写真機、弾薬等携帯せず フランス パリにて当地総督府に対し(植民地)飛行に対し便宜を依頼している フランスからは通過場所を厳重遵守ありで指定「ソンタイピン」「ジャムジャン」「ハイドウショ」「ウイアンチアン」の線と指定されていた。 登録記号 J-BEOA 翼の表面及び裏面共に赤丸(日の丸)ありその内側にJ-BEOAのマークあり。 尚胴体の中央部に機首より尾部にかけて太き赤線あり。 (資料 アジア歴史センター 7.日本、「イラン」親善飛行ニ関スル件(そよかぜ号) その1リンク その2リンク) そよかぜ号 写真掲載HP紹介 文化遺産オンライン 日本郵政株式会社 郵政博物館所蔵写真 リンク