@ 産経WEST2016.1.20
19:17 (奥原慎平)
零戦、再び日本の空を舞う!「先人が築いた技術をみよ」
零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、思いをはせるきっかけにしてほしい」と語った。
飛行予定日は27日、周囲から見学を
飛行予定日は27日で、28、29を予備日としている。基地内への立ち入りは禁止だが、周辺で飛ぶ様子を見ることはできる。パイロットに、零戦の飛行免許を持つ米国人を招く。
機体は、ニュージーランドを拠点に、フライトジャケットの製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(54)が所有する。現在、飛行可能な零戦は世界中に6機ある。所有者のうち日本人は、石塚氏だけという。平成22年5月、国内で零戦を飛ばす「零戦里帰りプロジェクト」を設立した。
トラブルから夢実現へ
プロジェクトのきっかけは、トラブルだった。
19年半ば、石塚氏のもとを、北海道小樽市の関係者を名乗る男性が訪れた。博物館で展示するために、零戦を入手したいが、その交渉を手伝ってほしいという依頼だった。石塚氏は、米国の飛行機収集家やパイロットに人脈があった。石塚氏は仲介を引き受けた。零戦を保有する米カリフォルニア州の有名バイクレーサーと売買契約を結んだ。彼が所有する機体は、パプアニューギニア・ラバウル近郊に放置されていた零戦22型で、米国人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた。
だが、契約後にリーマン・ショック(2008年9月)が発生した。男性が持ち掛けた零戦展示構想は、景気悪化のあおりを受けて、中止になったという。売買を取りやめれば、米国人レーサーから億単位の違約金を求められる。石塚氏は訴訟も考えたが、相談した弁護士に「零戦を生かす方法を考えた方が、自分の人生のためではないか」と諭された。
石塚氏はもともと、飛行する零戦を日本人に見てもらいたいと夢を抱いていた。「それなら、日本で零戦を飛ばそう」。腹をくくった。3億5千万円かけて零戦を購入した。ニュージーランド・クライストチャーチにある牧場や自宅、車などを売り、借金もした。
購入から4年半が経過した平成26年9月、機体が横浜港に到着した。駐機先は、隊員の研修用機材にすることを条件に、鹿児島県の鹿屋航空基地に決まった。鹿屋市までの輸送費などとして、インターネット経由で寄付金約2340万円を集めた。昨年7月初旬にエンジンテストも終え、いざ公開飛行を待つだけになった。
省庁との交渉難航
だが、関係省庁との交渉は難航した。安全保障関連法案の国会審議が進む中で、戦中を思い起こさせる零戦の飛行に、関係省庁の中には難色を示す担当者もいた。安保法成立直後、機体の設計図や復元の課程を示す資料を全てそろえて国土交通省に飛行許可を申請した。実機検査を11月末に終え、12月18日、1カ月以内を目安に飛ばすことを条件に、飛行許可が下りた。基地上空の飛行も今月19日、鹿屋航空基地と調整を終えた。
石塚氏は「単に零戦が好きだからではない。先人が作り上げ、終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術をみてほしい。彼らの努力が、現在の日本の繁栄を築いたことを多くの日本人が気がつくきっかけにしたい」と語った。ようやく公開飛行にこぎ着けたが、米国人パイロットと整備チームの滞在費や機体の送料などを考えると、まだ約2千万円が足りないといい、プロジェクトではスポンサーも募っている。問い合わせは同プロジェクトウェブサイト(https://www.zero−sen.jp)から。
A 2016/01/21付
西日本新聞
零戦ついに鹿屋の空へ 27、28日に試験飛行
[鹿児島県]
2016年01月21日
03時00分
昨春、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)に運び込まれ市民向けの公開飛行の機会を待っていた零式艦上戦闘機(零戦)が27、28の両日、同基地で試験飛行することが決まった。安全保障法制をめぐる影響で「戦争賛美の誤解を受けかねない」とスポンサーの撤退が相次ぎ一時は頓挫しかけた計画だったが、「平和を考える契機に」との思いをあきらめきれない主催者が自ら経費を工面、試験飛行までこぎつけた。
機体はニュージーランドでフライトジャケット製造会社を経営する石塚政秀さん(54)が所有。戦後70年の昨年、零戦を生んだ時代背景について考えてほしいと国内での飛行を計画した。
しかし安保法制成立が現実味を帯びる中、「戦争肯定」の批判や中韓での不買運動を恐れるスポンサーが手を引き、計画断念の危機に陥った。国の飛行許可の期限が今年1月末と迫り、石塚さんは「今飛ばないと計画がいよいよ困難になる」と試験飛行に必要な約750万円を負担することを決意。今回の飛行が成功すれば計画の真意もスポンサーに伝わり、目標とする公開飛行実現の可能性も高まると期待する。石塚さんは「平和の空を飛ぶ姿を多くの人に見てほしい」と話している。
B YAHOO JAPAN!
ニュース 20160121配信 関
賢太郎
前人未踏「日本で飛ばし続けること」
この零戦の現オーナーである石塚政秀さん(ゼロエンタープライズ・ジャパン)は「日本における零戦の動態保存」を目的に、3億5000万円の私財を投入してそれを購入。2014年11月4日深夜に日本への入国を果たし、その2週間後の11月21日、分解状態ながら日本で初めて一般公開されました。
そして2015年2月には、インターネットを活用した募金活動「クラウドファンディング」によって1018人の支援者から2344万4000円を集めることに成功。日本の空へ零戦を飛ばすため、その資金を元に機体の組み立て、法的な問題の解決にあたっていました。
ただ本来、早ければ戦後70年の節目であった2015年中に飛行できる予定でした。それが延びた理由について、オーナーの石塚さんは次のように話します。
「零戦の整備、エンジンの始動も地上走行も2015年7月初旬には完了。国交省航空局の実機検査を行って8月にも飛行が可能な状態にありましたが、残念なことに諸般の事情から断念せざるをえない状況になりました。また、航空局の担当者が交代になったこともあり、再び最初から実機検査を行いました。そして12月18日に許可が下り、度重なる折衝を経て1月15日に飛行の日程が決定。今度こそ初飛行の段取りが全て整い、ようやく皆様にそのご報告ができるようになりました」
旧軍の戦闘機が日本を再び飛ぶこと自体は、これまでしばしばありました。しかし「日本で飛ばし続けよう」という試みは、全てが頓挫しています。
しかし今回、ついに「零戦を日本で動態保存する」という難事業が、前人未到の一歩を踏みだそうとしています。
零戦はある意味、寺社仏閣と同じ
このプロジェクトの今後について、零戦の現オーナーである石塚さんはさらに次のように語ります。
「飛行のための実機検査までで、クラウドファンディングや募金による資金は底を突いてしまいました。また折衝の問題から情報発信が不可能だったため、一切の支援募集活動ができませんでした。現在の活動は、全て自腹で進めている状況です。これから色々な情報を出していけると思いますが、半年のロスは零戦の国内動態保存、そして日本の近代における技術革新とその背景にある歴史をより多くの人々に知っていただくという目的には、大きなブレーキになってしまいました。
ここからどれだけプロジェクトを立て直せるか分りませんが、我々ができる限りのことはしたいと思っています。今後もより多くの皆様にこの活動の意義を知っていただき、零戦の動態保存が可能になることを心から希望しています」
1月27日(水)に予定通りこの零戦が日本の空を飛んだならば、今後は日本各地のエアショーでの飛行展示、動態保存を行っていくための新たな事業が始まります。
しかし事業の主たる収入は、有志による寄付金に頼らざるをえません。また本機はアメリカ連邦航空局に登録された米国籍の機体であるため、一旦、アメリカに機体を戻す必要があるといいます。
プロジェクトを進めるゼロエンタープライズ・ジャパンは企業や団体、個人などから幅広くスポンサーを募集しているといいますが、今後はたして日本で零戦を半永久的に飛ばし続けることができるのか、そのゆくえが注目されます。石塚さんは私財の多くを処分してまで、なぜ零戦を日本に持ち込みたかったのでしょうか。それはひとえに、寺社仏閣や城塞と同じように「日本の遺産」である「零戦」を守りたかったからだといいます。