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航空歴史館 いしぶみ  鶉野飛行場 姫路海軍航空隊跡
都道府県展示機総覧 鶉野飛行場 姫路海軍航空隊跡  ノースアメリカンSNJ-5 

 Soraかさい  旧名称 加西市防災備蓄倉庫 鶉野飛行場資料館
     紫電改 実物大模型
     九七式艦上攻撃機 実物大模型

 

A5626-02 兵庫県加西市鶉野 鶉野飛行場、姫路海軍航空隊跡
              Old, Uzurano Airfield, Uzurano, Kasai City, Hhougo Prefcture

◎ ノースアメリカン SNJ-5 6130
1956/09/214 c/n121-? USN52039 海上自衛隊へ引渡 
1963/10/31 第201航空隊で用途廃止
  鹿屋航空基地史料館に展示
  台風により尾翼を破損
2019/09 兵庫県加西市鶉野飛行場跡に搬入 修理

 

 

 2022/04
 HAWKさんからT-6塗装補修中の写真が届きました。
 『著変は有りませんがポランティアの方が丁寧に塗装のやり直しを行っておられました。 
この熱意には頭が下がりますね。』 HAWK

 撮影2022/04/23 HAWK






2020/06
  HAWKさんよりT-6の色が塗り替えられているとの情報が入りました。
 旧軍のような塗装です。

撮影2020/6/7 HAWK

 

 

 

 神戸新聞の記事によると 、鹿屋基地航空史料館で台風で破損とありますが、2015年春の時点では破損があるようには見えませんでしたので、2015年夏から2017年秋の間に破損したのでしょう 。また 、記事によると濃緑色に塗装するとありましたので、オリジナルの塗装が残っているうちと思い出かけました。機体の背後に見える土手みたいなものが掩体壕一部でしょうか 。(KUPANBA)

撮影2019/12/27  KUPANBA


尾翼の修理





後ろは無蓋掩体壕か


P&W R-1340発動機修理の銘板



鹿屋航空基地史料館での説明板 撮影2005/04/28  KUPANBA
 


日替わりメモ2019/12/31 〇 鶉野飛行場、姫路海軍航空隊跡  SNJ-5を展示

 神戸新聞NEXTが、大東亜戦争開戦記念日の12月8日に、トラトラトラにも使われたSNJが鶉野にあると写真入りで報じで皆さんに知られました。鹿屋航空基地史料館で台風で破損したので、鶉野平和祈念の碑苑保存会が借り受けて修理し、来年3月ごろ正式展示する予定ということです。
 KUPANBAさんの写真では、方向舵を新調している程度であり、鹿屋航空基地の工作隊で修復させればお手の物だったでしょうに、史料館が初期海上自衛隊パイロットを育てたこの貴重な機体を手放した気持ちが理解できません。鶉野では、紫電改模型と同じ深緑色に塗装するそうで、多分、零戦もどきにしたいのでしょう。それも、用廃機がたどる運命の一つですから仕方ないですね。


 

 

A5626-02 兵庫県加西市鶉野 Sora かさい (旧名称 防災備蓄倉庫 鶉野飛行場資料館)
              Uzurano Airfield Museum, Uzurano, Kasai City, Hhougo Prefcture

防災備蓄倉庫(格納庫を模した形状)

紫電改原寸大模型の初公開

 初日なので結構な人出でした。レプリカの出来もさることながら保管場所の災害物資備蓄用の建物も昔の格納庫風でしかも木造!趣がありました。今回の事業で中心的な役割を担われた上谷昭夫さんもお元気な姿で受付をされておられました。
 1500万円もの費用をかけてのレプリカの製作・展示にはいろいろと意見もあるようですが、日本の技術遺産として、歴史を伝えるという視点で考えると意義深いと思います。実物大の「形」として残すことは重要だと思います。公開日は毎月第1・第3日曜日の午前10時から午後3時まで。

撮影2019/06/09 高尾 真


水戸市の建設会社「広洋社」が約2年かけて完成させました



 2019/06/16公開

撮影2019/06/16 HAWK










撮影2020/6/7 HAWK

撮影2020/6/21 笹島柚子

 



 九七式艦上攻撃機 原寸大模型の公開

   2022年03月07日にふるさと納税の特典として現場見学会がおこなわれたそうです。
 この機体も茨城県にある 日本立体(広洋社)で制作されたものです。
 製作の過程が 加西市のホームページに記載があります。 (編)

HAWKさんからの展示状況報告です。
 『2022年4月23日にSoraかさいに行ってきました。 待ちに待った九七式艦上攻撃機はこんな感じです。立派な出来だと思います。 ただ少しだけ残念なのは紫電改の周りをこんな風に展示物で囲ってしまいましたので 以前の様に屋外に引っ張り出しての展示は不可能になってしまいました。 仕方ないんでしょうけど残念です。』(HAWK)

 撮影2022/04/23  HAWK

















 

〇 鶉野飛行場資料館

 こぢんまりとした資料館ですが内容物はなかなか興味深いものでした。ここのトピックですが、現在鹿屋基地史料館に展示されているT-6を近々ここに移設するとのことでした。これは楽しみです。また現在実物大の紫電改を製作中で来年の春には公開予定だそうです。
しばらくは要注目です。(2018/03/24記)

撮影2018/03/18 HAWK














 

資料館

鶉野飛行場、姫路海軍航空隊跡

 

 鶉野飛行場跡地現況

鶉野飛行場跡地に関する写真をいただきました。
 まだ滑走路がかなりの部分残っていることは驚きでした。Googl Mapから長さもほぼ当時のままのようです。

撮影 2020/6/21 笹島柚子

Google Mapから滑走路の残存状態を確認しました。
黄色破線枠内が滑走路跡地のようですが長さを縮尺から確認したところ約1200mとなり後述資料の長さと一致します。

鶉野飛行場跡地および施設配置    イガテック

滑走路脇 姫路海軍航空隊記念碑

撮影 2020/6/21 笹島柚子

弾薬庫 滑走路から南側の離れたところにある弾薬庫です。上記地図掲載部分よりも南側です。

撮影 2020/6/21 笹島柚子

 

 鶉野飛行場について精力的に研究してこられた高砂市の上谷昭夫さんの許可を得て、 CONTRAIL No.165 1996年Winter号以降に掲載された記事と図版の一部を転載します。

JAHS CONTRAIL No.166 1996年Winter号から

     

紫電21型甲(紫電改) 第2001海軍航空隊姫路分隊

天山12型 姫路海軍航空隊 岩本機

     鶉野飛行場のあった当時の村民が献納した報国第1818号機の写真     

     
      本部庁舎の取り壊し 1991年産経新聞
      


上谷昭夫さんが編集した本の書評

評 ・ 佐伯邦昭 CONTRAIL No.181 2000年Winter号に発表

書名 「いまに残る姫路基地」 この鶉野の大地には姫路海軍航空隊・川西航
                   空機鶉野組立工場があった
編集資料収集 上谷昭夫
発行  平和の碑建立実行委員会


・ 海軍姫路基地の百科辞典

 この書物の性格を端的に表現するならば、海軍姫路基地の百科辞典であり、かつ地域から全国民に発信する鎮魂のメッセージです。姫路海軍航空隊と川西航空機組立工場のあった兵庫県鶉野での基地建設から終焉までの歴史が、歩いて集めた実資料と関係者の聞取りで収集整理され、豊富な写真とともに一冊にまとめあげてあります。
 一読してよくも丹念に史実を踏査したものだと驚かされます。 鶉野の姫路基地に関することなら何でもわかる百科辞典というにふさわしいのです。

・ 魂の呼びかけがあったに違いない

 私は、上谷昭夫さんと協力者達が戦中の航空隊や工場の跡を今に残す鶉野から魂の呼びかけを聞いたに違いないと確信しています。魂の呼びかけが、史実の発掘と建立の原動力となりました。平和祈念の碑は地元を始め旧航空隊、川西の関係者など全国から多額の浄財が寄せられ、昨年10月鶉野の一角に建立されました。 併せて刊行されたのが本書です。
 終戦とともに過去の遺物となった姫路基地、その全貌を記録し出版することは、ここから特攻隊として出撃していった若者への鎮魂であり、基地建設のために犠牲となった人々や過酷な労働を強いられた人々の歴史の上に、今の私どもがあることへのメッセージにほかなりません。 

・ 精力的な調査と資料収集

 

 鶉野の海軍航空隊は、甲種飛行予科練習生の訓練等から始まって、戦局の急迫とともに実戦部隊も配備され、遂には神風特別攻撃隊白鷺隊が編成されて鹿児島串良基地経由で沖縄に出撃するに到ります。また、川西航空機鶉野組立工場は、姫路で製作された紫電(466機)と紫電改く43機)の組立てを行いました。
 本書でのこれらに関する資料は多彩です。例えば基地建設のくだりでは、用地を担当した内務省の内局から近畿土木出張所まで資料や写真がそろっています。 したがって基地施設の詳細から海軍施設隊の編成名簿まで網羅してあり、この種の航空史では異例の幅の広さです。 
 ですから、本書の骨格を成す航空部隊と川西組立工場についてはここでは紹介しきれません。ぜひ実書にあたってほしい。一地方のわずか34年余りの基地であっても、東北から九州までのさまざまな航空隊と関わりがあることがわかるし、鶉野で練習機に使われた97艦攻を始め、紫電と紫電改の製作記録、連絡用の白菊、天山、零式輸送機、零戦、彗星、雷電なども登場し、墜落事故なども詳しいのです。

・ 若者に知って貰いたい
神風特攻隊白鷺隊

 

 全314ページの中の約五分の一を占める神風特攻隊白鷺隊の資料と写真は目頭を熱くして読むほかありません。私は 、若い人に対して強制はしませんが、君達と同じく自由を謳歌したかったであろう若者達の死地に赴むく心境はいかばかりであったか、多少とも触れてもらえ ればと願います。 
 振り返れば、全国には鶉野と同じ状況の基地が無数にあったのです。上谷さんの労作は、鎮魂のメッセージであると同時に、鶉野が、五十数年前の日本における重い史実の一典型であることを教えてくれるのであります。