日本における民間のグラマンG21
グースとしては唯1機の輸入直後と思われる貴重なショットです。同機は、7席でプロペラは2枚の姿で輸入されましたが、以下の写真を見ると、神戸市の新明和興業
甲南工場で、胴体に波浪観察のためのラインを書き入れてテストを行い、併せてプロペラと座席の改造を行い、形式をG21からG21Aに変更して耐空証明を受けたものと思われます。
撮影は1960年10月頃と推定されます。
甲南工場のスベリに上陸 撮影碇 紀夫 提供関西航空史料研究会
足場を組んで整備中のマーチンP5Mの前に停止か
(注) 3枚ペラ10席に改造され中日本航空のはくちょう号となってからの写真は水陸両用機参照
カラーとモノクロの写真について、撮影者は、1965年頃長く放置されていたと記憶しているので、カナダへの売却待ちで新明和甲南工場へ繋留されていた時期(1965年3月まで)の撮影と推定されます。上記下郷リストに長崎航空移籍の年月日の日付がないのは、中日本航空からのリースであったと思われます。隣のダブ(長崎航空JA5023)も中日本航空の所有であり、1965年11月に韓国へ売却されています。
カナダへ売却
新明和甲南工場における定期検査で、航空局検査官がフローとの支柱を指で突いたら、ずぼっとめり込んだ等々の老朽化が発見され、日本での使用をあきらめたのが抹消登録の一つの理由でした。そういうことを隠してカナダへの売却し、1965年2月に解体して横浜港から積み出しました。(川村保敏氏証言)
モノクロ 長崎航空 撮影碇 紀夫
カラー 同じ位置に繋留 撮影碇 紀夫
カナダへ売却
1965年2月に解体して横浜港からカナダへ海上輸送されました。売却の交渉は中日本航空が行なったと思います。(川村保敏氏証言)
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