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質問箱013 質問14/09/02
回答14/09/15


立川キ-106 木製戦闘機の車輪

 

回答1,2,3,4
江別市郷土資料館のキ-106車輪の文
関連の意見 更に気になる点

   

A5314-1 三重県伊賀市 某氏宅 旧軍機車輪
       Old Japanese Airplane wheel, Iga City, Mie Pregectur
                 

質問 2014/09/02



  十年ほど前から第二次大戦機、とりわけ陸軍機のコレクションを始めています。中でも皆さんご存知のように旧軍機の車輪は敗戦時、運搬機器の車輪として剥ぎ取られたり放出されたりして現存しているものがたくさんあります。

 今回、尋ねる車輪は、7年ほど前に群馬の方から『疾風の車輪一対』として譲り受けたものです。確かに写真として見ればスポークの本数や外見はそれと思えるものでしたが、届いた実物は疾風よりひと回り大きなもので、実際タイヤに残っているタイヤサイズ刻印は『700×200』でした。

 しかしながら製造刻印は宮田製作所ですし、陸軍機である証拠の星刻印や車輪の裏に残存する黄土色ペイント、一式戦から四式戦に共通するホイールの造りなど、どう見ても単発の小型機としか思えないものです。

 『700×200』というタイヤサイズは、旧軍機では『秋水のドリー』『海軍の烈風』『満飛のキ98』があったということですが、現実的にいずれでもなさそうです。

 諸先輩方にこの車輪の持ち主(機体)は何なのかご教示いただければ幸いです。
                                         (質問者 sohei
 

 タイヤの表面はゴムの劣化とひび割れで、文字が写らないので、チョークでなぞってみました。







 

・ 所有している車輪との比較

 左から三式戦(600×175 リム部にキ-61の刻印あり)、中が四式戦(650×170)、右が不明機(700×200)の車輪
 

疾風の車輪については埼玉県久喜市某氏宅のページを参照してください。

2014/09/11  回答

 下記4つの回答及び江別市郷土資料館の提供写真を総合的に検討して、この車輪を木製戦闘機キ-106のものにほぼ間違いないのではないかと結論付けておきます。佐伯邦昭

 

 

回答1  田中昭則

1 製造メーカーの刻印で歯車の中のMは宮田製作所のマークです。


2 五亡星マークは、陸軍向けの製品を表します。製品合格又は受領のサインか?
3 高力アルミニュウム合金を示すと思われます。

 

回答2  大石治生

 ホイールの「一〇六」は、キ-106を示すのではないでしょうか。以前、なんでも鑑定団で一式戦のタイヤに機体形式を示す刻印があると紹介されたことがありました。

 陸海軍各種航空機のホイールを手掛けていた宮田製作所の製品であれば、キ-106のものが群馬県や栃木県に保存されていた可能性もあると思います。

 

回答3  横川裕一

 車輪は、エンジンと同様に官給品と認識しています。恐らく、基礎設計自体は機体メーカーが行って、その製造を軍が車輪メーカー(宮田製作所や岡本工業)に発注していたものと思います。  

回答4  皆さんから

下記書籍に、キ-106の主輪のサイズが出ています。

世界の航空機 1955年5月号 全木製戦闘機キ-106 秋本 実より


丸メカニック 1982年刊 マニュアル特集四式戦闘機疾風データ表のキ106欄より



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参考 江別市郷土資料館のキ-106の車輪    江別

キ-106の車輪   2014/09/11 江別市郷土資料館提供   

 質問のタイヤと金属リム部分の刻印についてお答えします。終戦後、王子製紙で荷車などに使用していたらしいので、はっきりと判読できる部分は少ないです。

タイヤ部分のの判読 「700  200    4.5  NO」(2輪とも)

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金属リム部分「アルミ 700 × 200 − 334  岡本  工業株式会社 No11」






















金属リム部分「アルミ 700 × 200 − 334  岡本  工業株式会社 No17」



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関連の意見  

2014/09/12 大石治生

 江別市郷土資料館に展示保管されているki-106の車輪について詳細を知ることができ感謝します。

 ホイールのリム部分に機種(キで始まる番号)を刻印しているのは、製造メーカーで行われたのか、軍に引き渡された後に部隊で行ったのかも。現存しているホイールの刻印調査である程度の傾向が判ると思います。

 零戦などは、三菱と中島で製造されていた訳ですから、部品調達の関係からホイールなどは傘下の会社で作られた物を使用していたものと想像しますが、これらパーツのメーカー刻印情報から各地に保存されている機体や残骸の製造時期や製造会社(工場の場所など)が判明していくのではないかと期待しております。

 旧軍の航空機の残骸を展示している所では、機種不明であったり何でもかんでも零戦と紹介していますので、旧軍機について詳しく調査できるようなデーターベースが欲しいですね。

 来年は、終戦から70年と云うことで、木製戦闘機キ106について模型での復元を行っている岐阜県高山市の高校も有ります。太平洋戦争末期に高山航空工業学校で富山のキ106生産工場向けに木製の胴体と翼を製作していたことから復元作業を行っています。
     http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014081202000070.html

2014/09/12 中村泰三

 タイヤの件で情報を。
 漢数字の番号は部品合わせ番号と考えています。(と言うか私の確認したものはこれしかない)
通常は数字ですが陸軍物は漢数字のタイプが在りますので。

 陸軍は、ホイル裏面に機番号を刻印する傾向があります。同型でもキ61とキ100などがよい例です。勿論、今回の物みたいに裏面に刻印されていないものもあります。
(参考はカ号と同サイズタイヤ・ホイル)



以下千葉県松戸市中村氏宅のページから再掲

◎  オートジャイロ 萱場カ号T型観測機のものと推定されるタイヤ

 カ号のタイヤとサイズが同じで、ブレーキドラムの放熱性を高くしているタイプです。リヤカー等で利用されていて残った様ですが、程度が良いので殆ど使っていなかったようです。





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2014/09/15 大石治生 関連

どうも気になる点があります。

 ホイール車軸のベアリングを固定するカバーの止めネジが、キ-84などでは3本なのに対して調査対象のホイールでは4本になっています。江別市郷土資料館のki-106のものも3本に見受けられるのですが、これは製造メーカーの仕様なのか、それとも重量が掛かる機種に用いるために車軸のシャフトを大きくしてベアリングの直径を大きくしたために、このように4本のネジで固定するようになったのか非常に気になっています。

・ もうひとつ中村さんの推論の漢数字ですが、カ号観測機は、陸軍航空本部ではなく技術本部の仕様に則って採用された機体ですので、キ番号は与えられず航空機と云うよりは砲兵や船舶の兵器と云う位置付けで有ったために特殊な規格に則った刻印を付けていたのかも知れません。 例えば車両と同じ方式とか。

 カ号観測機は、98機が軍に納入されたとの記録があるみたいですので、ホイールの刻印が製造ナンバーだとすると約190番台前後や以降の物は、陸軍に納品される前に終戦となり、五亡星マークの刻印が無いものが払い下げられたのかも知れません。

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