撮影2019/04/18 山本晋介
航空ジャーナル1983年7月号 |
鳥羽市菅島町大山 |
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右手鉄塔脇の三角形の頂点辺りが1番機墜落地点のハズです。 この辺りに第一慰霊碑がありましたが、4年ほど前に第二慰霊碑の脇に移転されました。
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C-1 58-1009号機殉難者慰霊碑
C-1 58-1015号機殉難者慰霊碑
破片
航空情報1983年10月号p.120-121には「第1輸送航空隊C-1事故調査結果」と題する記事が掲載されています。ウィキペディアに記載されていない情報が多数ありますね。
この事故の前に指揮官クラスが「より実戦に近い状況で訓練せよ」と訓示したそうな(時期的には新年度の挨拶時か?)。事故後に「事故スレスレで訓練せよという意味ではなかった」という発言をした旨が10年くらい前の「軍事研究」誌に書かれてました。当時の関係者(特に階級が下位の方)が口を濁すのも、そういう経緯があったからかな、などと思ってます。
航空ジャーナル1958年10月号