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航空歴史館

 

4402-1 T-33A空輸のエピソード
4402-2 かかみがはら航空宇宙博物館はパワーリフト歴史の展示館でもある
4402-3 UF-XSの改造母機について

 

思い出 T-33A空輸のエピソード   2003/10/25 Norio Aoki

 飛行機の懸吊輸送について話題になってますね。かかみがはら航空宇宙博物館でも、T-33AをKV107で吊るして運びました。

 私のホームページにも、その様子を写した写真を一枚だけ掲載しています。よろしければ、お使いください。(下の写真)

 航空機の設計においても、擱座時等を考慮した懸吊やジャッキアップは大事な検討項目で、スリングしたときの荷重計算や、所要地上設備の検討など、意外と作業内容があるものです。

 添付のテキスト・ファイルは、T-33A空輸のときの思い出話を綴ったものです。


かかみがはら航空宇宙博物館へ搬入されるため、KV107に懸吊されて運ばれるT-33A
1998/07/14 撮影:Norio Aoki
AIRCRAFT of JAPANの T-33中等練習機のページから転載

 

 かかみがはら航空宇宙博物館収蔵のT-33Aも、岐阜基地エプロンからKV107ヘリコプタで懸吊して運びました。いろいろ苦労もありましたが、貴重な思い出の一つに、こんなエピソードがありました。

 当初、博物館へのT-33A搬入については、岐阜基地の場周道路で陸送することも検討しました。その場合、基地のフェンスを一部撤去・復元する費用や、クレーン借用の費用などがかかります。一方、ヘリによる空輸費用の見積もり額は、業者が岐阜飛行場ベースで出張経費が発生しないため、陸送と同程度でした。もちろん、安全性などの観点からも検討したのですが、結果的にはヘリで運ぶのが良策との結論を出しました。

 問題は、エンジンを載せたままのT-33AをKV107で吊るせるか、ということでした。調べてみると、T-33Aの重量とKV107の懸吊能力は、ほぼ同じでした。ただし、仕様書上の数字は実測とは異なりますし、気温の高い夏でしたので、ヘリの懸吊能力は低くなります。空輸を委託したヘリ会社に調べてもらい、T-33Aは懸吊輸送可能という回答を得たので、飛行計画と搬入計画を決めて、報道陣にも取材の案内を出しました。

 空輸当日の朝、私は博物館側の受入担当として館に待機していました。私の上司にあたる学芸責任者は、懸吊準備と搬出作業に立会うため基地に向かいました。
 そこへ、ヘリ会社のY部長から電話が入ったのです。

 「すいません。計算を間違えていました。これでは吊れません。」

 私は一瞬固まりました。「オイオイ」なんてツっ込んでいる余裕もありません。なにしろ空輸は昼に行う計画で、もう時間はないのです。報道陣も呼んでしまいました。その電話を切るとすぐに、T-33Aの修復を指揮してくださり、搬出現場の責任者であったF准尉(当時)に電話しました。

 「申し訳ありません。すぐにエンジンを卸(おろ)してください。」

 面倒な押し問答はありませんでしたが、私は自分が言っていることの意味を、少しは理解していました。T-33Aのエンジンを卸すには、後部胴体を取り外さなければなりません。そのためには、まず操縦系統や電気系統を分離する必要があります。それからドーリーをあてがって、後部胴体を外して、エンジンと燃料系統や電気系統を切り離し、エンジン・マウントからエンジンを切り離し、再び後部胴体を・・・。
F准尉は、少しだけ間をおいて、「わかりました」とだけ言って電話を切りました。

 報道陣がカメラを向ける中、予定通りの時間に、T-33Aは空輸されました。
 航空自衛隊の皆さんに、感謝しています。

ロッキードT-33A 61-5221

 

A4402-3 岐阜県  Gifu Prefecture   各務原市  かかみがはら航空宇宙博物館

UF-XSの改造母機について 寄稿 Norio Aoki 

 UF-XSの改造母機は、もともと海軍向けUF-1アルバトロスではなく、空軍向けSA-16として製造された機体です。それがUF-1として日本に供与されたのには、以下のような経緯があります。

 海上自衛隊がUF-XSの母機としてUF-1の供与を要請した際、米海軍には余剰のUF-1がなかったそうです。そのため、空軍の保管していたSA-16Aを海軍へ移管し、管理用の(for administrative purposes only)登録番号 BuNo149822 を付し、UF-1として海軍籍に入れたうえで、日本に供与したとのことです。

 米海軍がかくも好意的な計らいをしたのは、戦前の二式大艇など、日本の飛行艇技術に対する敬意と期待の表れだとも言われます。今日では考えられませんね。

 幸運にも、UF-XSの機内にはグラマン社の製造銘板が残っていて、本機がSA-16として製造されたことを証明しています。しかし、プレート表面が劣化しているため、製造番号および製造年度は判読できていません。

撮影2003/11/10  佐伯邦昭 岐阜県A4402参照 
 


 

UF-XSの操縦席と製造銘板 撮影2003/03/17(撮影許可済み)  CROW

 

A4402-4 岐阜県  Gifu Prefecture   各務原市  かかみがはら航空宇宙博物館

かかみがはら航空宇宙博物館はパワーリフト歴史の展示館でもある 寄稿 横山晋太郎

日替わりメモ2005/02/23 2005/02/24  から転記

私のアイデア 博物館展示機の玉突き異動 佐伯邦昭

国立科学博物館筑波倉庫にあるといわれる剣を知覧特攻平和祈念館へ
知覧特攻平和祈念館の飛燕を生まれ故郷のかかみがはら航空宇宙博物館へ 
かかみがはら航空宇宙博物館のUF-XSを変身故郷の神戸新明和工業へ
かかみがはら航空宇宙博物館の空いたスペースに飛燕とT-2CCVを

こういうトレードはいかがなものでしょうか。


博物館展示機の玉突きトレードについて

かかみがはら航空宇宙博物館参事 横山晋太郎さんから

佐伯 様
 
 博物館のトレードの記事拝見しました。なかなかのアイデアですね。

 UF-XSを変身故郷の神戸新明和工業へとありますが、各務原の博物館が、わざわざ静岡の三保から高い運送経費をかけ、新明和を動員して修復復元し各務原に展示したのは、下記の理由によります。博物館でこの機体を収集し修復を担当した当時者として、その理念を理解してほしくメールしました。

 確かに各務原にはUF-XSは関係ないように見えるかもしれません。

 しかしそこには深い訳があるのです。この訳が分かれば航空ファンが確実に一人は増えると思っています。風が吹けば桶屋式の説明にも聞こえるかもしれませんが、要は技術の変遷を博物館の飛行機で確認できるようにしたかったからです。
 このような技術の変遷を実物の飛行機で展示するのは、わが国の博物館では初めてだと思っています。ではUF-XS展示のねらいは何か。それはわが国がお得意とする高揚力技術の展示です。

 もっと詳しく言うとパワードリフト技術,つまり動力式高揚力装置、そうです。飛鳥はパワードリフト技術のかたまりのような飛行機です。そのルーツをたどっていくと次のようになります。

 飛鳥→US-1/PS-1→UF-XS→技本高揚力実験機(サフィール改)になり、この機体のすべては各務原の博物館で確かめることができます。展示のねらいとUF-XSの位置付けをご理解いただけたでしょうか?

 ちなみに飛鳥からの発展は以下のようになります。ただしパワードリフト技術そのものはUS-1A改へと発展し、パワードリフト技術の制御系としての発展として 飛鳥→BK117デジタル制御→OH-1(設計思想) ただし、その前にP2V−7改VSA→飛鳥の流れがあります。
 これらの技術の集成として、現在開発中のCX・PXがあると思いますが、この件については私自身検証しておりません。

 人と技術のかかわりや発展の話をすれば長くなりますので。これくらいにします。本来なら、物と場所があるならば下記のような展示をしたいくらいです。
 
九〇式二号飛行艇
→九七式飛行艇
→二式飛行艇
→UF-XS
→サフィール改
→飛鳥
→US-1/PS-1
→US-1A改

 一見して関係のない飛行機がなぜそこにあるのか、その理由が見つかれば、飛行機の見方も変わります。佐伯さんの各種発掘調査が剋目されるゆえんです。

 

佐伯から : 横山さんありがとうございました。パロディ発想を正面から直視していただいて冷汗三斗、そしてたいへん勉強になり、かかみがはら航空宇宙博物館が目指しているひとつの目標が理解できました。改めて図書室の書評2横山晋太郎 富士T-1初号機の保存復元についてを読み直した次第です。

 なお、パロディ発想のついでですが、知覧の飛燕を生まれ故郷の各務原へ、知覧には特攻機の剣をというトレードには賛成の声も来ています。日本航空協会(飛燕所有)、少飛会(知覧展示の斡旋)、国立科学博物館(剣保管)、知覧市長あたりが冷静に話し合ってくれないものですか