HOME・SITEMAP 日替わりメモ 神奈川県
◎:現地に展示中のもの ×:過去のもの △:現状不明
事故は、1950/04/21に沖縄から立川に向かっていたダグラスC-54が蛭が岳山頂付近の南斜面に墜落したもので、搭乗していた35人全員が死亡しました。
撮影2010/11/25 リブ
上部の銘板の判読 追憶 一九五〇年四月二十一日USA機 蛭が岳に墜落操縦士ジェームズの子息 デニシ・フェニシーにより現地追憶す 二〇〇〇年五月二十日 蛭が岳山荘 杉本憲昭
日替わりメモ2011/09/08
〇 蛭が岳の慰霊碑 1950年に蛭が岳に落ちたダグラスC-54の操縦士の息子さんが、その50回忌にあたる2000年に父親の慰霊碑を建立していました。墜落地点は山頂から南へ500mという資料もあるので、地形図を見ると等高線がびっしりと詰まっている急峻な斜面で、蛭が岳山荘主人の協力を得たようですが、かなり苦労したことでしょう。 険しい丹沢山系に墜落した飛行機の中には、まだ未発見のものがあるかもしれず、見付かってもわずかな手掛かりから機名が推測される程度で、せいぜい登山家が手を合わせて通るくらいですから、この息子さんは感心なことです
〇 蛭が岳の慰霊碑
1950年に蛭が岳に落ちたダグラスC-54の操縦士の息子さんが、その50回忌にあたる2000年に父親の慰霊碑を建立していました。墜落地点は山頂から南へ500mという資料もあるので、地形図を見ると等高線がびっしりと詰まっている急峻な斜面で、蛭が岳山荘主人の協力を得たようですが、かなり苦労したことでしょう。 険しい丹沢山系に墜落した飛行機の中には、まだ未発見のものがあるかもしれず、見付かってもわずかな手掛かりから機名が推測される程度で、せいぜい登山家が手を合わせて通るくらいですから、この息子さんは感心なことです