最近まで進入防止のトタン板で遮蔽されるだけで何の説明もなかった野島の隧道式格納庫入口でしたが、西口の公園整備にあわせたのか立派な説明板が設置され、公園の工事完了後に近くで見ることができるようになるみたいです。説明板には、防衛省技術研究所が持っている素掘り状況の写真が添付され、同時進行の夏島の隧道と併せて小型機100機を格納する予定であったとあります。
横須賀海軍工廠で大和型戦艦を急きょ超大型航空母艦に切り替えた信濃(塔載機数約50機)が、完成直後の昭和19年11月にいとも簡単に撃沈されてしまい、あわてた海軍が虎の子の戦闘機を守るために100機格納のトンネルを計画したのでしょうか。
「隧道式格納庫」を横浜市が「掩体壕」と正式に呼称しているのはちょっと気になります。技研の資料に準拠しているみたいですが、根拠があるのでしょうか。もし、一般に通りやすい固有名詞で説明しているとすればせっかくの立派な説明板が画龍点睛を欠きますね。隧道工事を担当した海軍設営隊が日吉の連合艦隊司令部地下壕や松代の大本営地下壕に加わった精鋭部隊であったという文言も気になります。第一線で掘り進めた労働の主力が誰であったかまで言及する必要はないにしても精鋭部隊とは? いささか?
以上、あくまで佐伯の主観的感想ですが、構造物の今後の管理を含めて、そのあたりの事情を金沢区役所に聞いてみたいです。
この件について、横浜市環境創造局公園緑地整備課長さんから次のとおり回答がありました。
野島の掩体壕の説明板について、ご質問にお答えいたします。
→ 「掩体壕」という言葉については、野島公園を記事にした新聞(神奈川新聞H21.9.7/東京新聞H18.8.15)の見出しで「掩体壕」という言葉を使用しており、市民に説明する際には、一般的な言葉遣いであると考え、これに準じて使用しています。
→ 「精鋭部隊」については、「神奈川県立
金沢文庫」発刊の「目でみる近代の金沢」の中にある記載を参考にしています。
横浜市環境創造局 公園緑地整備課長 上原啓史
公園緑地整備課 電
話:045-671-2653 FAX:045-671-2724
佐伯から : まずは、速やかなお答えに接し、横浜市役所の顔が市民の方を向いているなという率直な印象を受けました。その面で敬意を表します。ただし、小さな問題ですが、素直に受け入れがたい気持もあります。
1 野島や夏島の隧道式格納庫は、単機を隠ぺいするための有蓋掩体又は無蓋掩体とは明確に区分されるものです。2で引用されている「目でみる近代の金沢」60頁の写真にも地下格納庫と記され、掩体壕という文字はありません。新聞記者が考証もせずに誤った用語を使うのも困ったことですが、公共機関が史跡の説明に新聞を安易に受け入れるのは如何なものでしょうか。
2 精鋭部隊に関しては、「目でみる近代の金沢」を参考にしたと答えていますが、60頁の写真解説をそっくり転記したものであって、こういうのは参考とは言いません。そもそも「海軍の将兵に技術者を加えた精鋭部隊でした。」という原書執筆者の考えを聞いてみたいところです。
山口県岩国市において、紫電改生産のために掘った延長2キロメートルの岩国地下工場については、「掘削や建設は寄せ集めの隊員で編成された海軍施設部隊が担当」と資料にあり、こちらは精鋭部隊のニュアンスではありません。
しかし、将兵や技術者に如何に優秀な人を集めようとも、彼らが重機を使って鮮やかに掘り進んだという訳ではありません。人海戦術で鶴嘴(ツルハシ)とシャベルと軽籠(もっこ)の苦しい労働に明け暮れた下級兵士、民間人、外国人らのことが「精鋭部隊」という言葉の中から完全に欠落しています。
そのことを説明板に書けとまでは主張しませんが、戦争末期の大愚作ともいえる隧道を前にして「精鋭部隊」の文字に違和感を覚える人もいると思います。横浜市には市史資料室があり、金沢区には精力的に郷土史を発掘しておられる方もいます。公園緑地整備課長さんには、その人たちの意見を幅広く聞いて頂きたいところです。