142074 AD-7 VA-95 NG-512 VG-9 CVA-61(空母レンジャー)
142010 AD-7 VA-95 NG-501 CV-9 CVA-61(空母レンジャー)
142060 AD-7 VA-95 NG-507 VG-9 CVA-61(空母レンジャー)
● 人物は小山靖明さん
解説 山内秀樹
ちょうどこのころ厚木基地は工事中で、海軍機は立川等近傍の米空軍基地で展示されました。これらのAD-7もその一部で、攻撃空母レンジャーの2回目の西太平洋展開時(1960年2月6日〜8月30日)に搭載してきたCVG-9[NG]の一構成部隊であるVA-95の所属機です。
一番手前が、142074/AD-7/VA-95/NG-512/CVG-9/CVA-61、その次はVA-95のAD-7
NG-507のBu.No.が142081(72機生産されたAD-7の最終号機
・つまりスカイレイダーの最終号機)、攻撃空母レンジャーの2回目の西太平洋展開時(1960年2月6日〜8月30日)に搭載してきたCVG-9[NG]の一構成部隊であるVA-95の所属機です。 一番向こうは、142010/AD-7/VA-95/NG-501/CVG-9/CVA-61で、これは72機生産されたAD-7の第一号機です。
つまり、この写真はAD-7の1号機と72号機(最終号機)が並んでいる偶然にも珍しい写真です。
当時のVA-95は12機のAD-7で編成されており、任務は超低空飛行で敵地に侵入して核攻撃を敢行すること。そのために、朝鮮戦争や、ベトナムでドンパチやったのとは異なる装備を施されています。
あくまで奇襲攻撃で、対空砲火の制圧とか、対空砲火に撃たれることすら想定外で、本来は外翼にも装備しているM3
20mm機関砲を外し、内翼の2門のみとしているほか、左右外翼下面に6基づつ装着できるAero14エジェクターラックを2基(左右合計4基)を残して取り外し、エンジンの補機部分から操縦席側面と下面に貼り付ける装甲板もすべて撤去し、(それで、操縦席側面の胴体に蹴り込みのステップが見える・・・装甲板を取り付けるとこれが隠れるので、装甲板の外側にステップが突出する形で取り付けられる)、軽量化と空力抵抗の低下を図った核攻撃専用のいでたちを示しています。
核爆弾は胴体下面に1個取り付け、(一般にMk.7核爆弾もしくはMk.1
BOAR核ロケット弾を搭載)往復10時間余りの核攻撃に宛てられていました。燃料は胴体内部の380Galと、写真にある通り内翼下面のAero
1D 300Gal増槽2本で、合計980Gal。航続性能を制限したのは、燃料搭載量ではなくエンジンのオイルの量 でした。
核爆弾を抱えて空母を発進し、飛行甲板の高さで海を
渡って、敵のレーダサイトから離れた海岸から陸上に上がり、レーダに引っ掛からないように、谷間を抜け、超低空を目視で有視界飛行をしながら目標に到達し、LABSを用いて、核爆弾を投げ上げて空中爆発させ、スタコラサッサとまた、超低空を空母に逃げ帰る任務
でした。
実際に演習をしてみると、その成功率はかなり高かったらしく、ベトナム戦争直前まで核攻撃任務に当たってい
ました。当然空母レンジャーにはこれらの核兵器が搭載されていたと考えられます。
●
●