はじめまして。エンボイについて調べ物をしていて、たまたま貴サイトの記事を読みました。新立川の絵葉書に載っているオックスフォード機の素性について、解決には至っていませんが、参考情報をお知らせします。
まず、当該機体については、日本航空協会航空遺産継承基金のギャラリーに、1953/12/05藤沢飛行場撮影の鮮明な写真が掲載されています。前の方>のページにはR-52も写っています。
http://www.aero.or.jp/isan/gallery/takahashi-album-01/photos/07-023-001-014-03.html
機体番号のAS703については、英空軍の機体で当該番号が存在しました。これはオーストラリア空軍に供与され、第二次世界大戦を生き延びて、1947年に民間に払い下げられたところまで、以下のページでデータを確認できます。
http://www.adf-serials.com/2a25b.htm
AS703はオックスフォード
AS10 Mk.Iとのことで、これは日本国内で撮影された機体の写真と矛盾しません。
1950年に朝鮮戦争が始まり、東南アジア、オセアニアからは、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイが派兵したため、付随して(民間機として)来日した可能性は排除できません。また、日本は特需景気で沸き立ちましたから、商機とした可能性もあります。
その後、AS703はフィリピンの登録記号 PI-C415 となったらしく、1955年3月にはマニラに所在した等の情報は、以下のリストに記されています。
http://www.ab-ix.co.uk/pdfs/airspeed_oxford_&_consul.pdf
PI-C415について、さらに調査しましたが、フィリピン当局が公表している登録>リストは、古い時代のデータが載っておらず、また、航空ファンの投稿サイト等でも今のところ確認できておりません。
私の仮説では、1947年に民間放出された豪空軍機が、いったんは日本の会社が買う等の話があって1953年に来日したものの、結局、フィリピンに売られていったのではないかというものです。民間に放出されたあとも空軍の登録記号で運航していたのか確認できていないので、さらに調査を続ける必要がありますが、ここから先はかなり手間取りそうですので、中間のまとめとしてお伝えします。
* 鳳文書林刊1954年版日本飛行機全集航空年鑑の銃塔付きの三面図について
AS703は1942年末にNo
3 Bombing and Gunnery School(第3射爆学校)に配備され、銃塔を後付けする改造を受けています。銃塔をはずした時期は明らかでありませんが、1945年にアンセット航空に割り当てられて、改造工事およびオーバーホールを行った旨の記載がありますので、その際に元の輸送機仕様に戻したと思われます。よって、三面図はあながち誤りとは言い切れません。