判り易いように写真に矢印と番号を付記しておきました。
先ず、@のカウルフラップにプロペラガバナー調整用のロッドと干渉しないための切欠きがあります。これは、零戦の22型や32型と52型に見られる特徴です。
Aではプロペラは無くなっているものの、基部が残されており、形状から3翼のプロペラと認めれます。また、プロペラ基部にはスピナーの残骸らしき物も確認できます。
Bはカウルフラップですが、単排気管の場合は大きな切欠きが存在するので、集合式排気管の機種であり、零戦の32型か22型と思われますが、52型の極初期には集合式排気管を装備されていた機体が存在していたことが渡辺洋二編著の「戦う零戦」で写真が紹介されてます。
Cは気化器ですが、丸メカニックNO.4の零戦第2集で紹介されている中島二連降流100甲気化器と形状や配管類の口金位置が同じです。そして減速室の大きさから判断して「栄21型」と推測できます。
Dでは、プロペラに同調した胴体取り付けの機銃が装備された事を示す二つの機銃弾条溝が有ります。つまり、現在の自衛隊機や民間機用では無く胴体機銃を装備した機種であったと推測できます。(エンジン後部の写真を見ると、気化器下にある筈の機銃連動カム装置は失われてしまってる)
Eはプロペラ調速器の取り付け部分なのですが、綺麗にネジを外して取り外されており、防錆塗料が全て剥れてしまっている他は腐食や損傷が少なく、撮影されたのが1979年となっておりますので、戦後間もなくの頃に戦地となっていた海外に放置されちたものを持ち帰り、保管されていたものを持ち込んだのでは無いでしょうか。
Fの真鍮製と思われるホース取り付け部分は、錆も見られず接続がパイプを外されたばかりのように見えます。放置後から少しずつ部品を剥ぎ取られた印象を受けます。
矢印の先のプレートは燃料ポンプの一部と思われるのですが、画像の解像度が荒くて解読困難ながら、「注」と云う漢字らしき文字が見えます。「CAUTION」で無く「注意」と書かれているなら、確かに日本製エンジンです。
写真のGに示す通り、シリンダーヘッドカバー(給排気バルブのカムカバー)が取り外されていますが、本体側でカバーと接合される部分の腐食の程度が他と同じであるので、カバー類を取り外されてから野ざらしにされたのでは無いでしょうか?
バルブ駆動カムなどの錆の程度もシリンダーやエンジン外部のネジ類の錆具合と変わらないです。エンジン下部のシリンダーヘッドカバー(カムカバー)は取り付けられたままですので、野ざらしにされてから部品を剥ぎ取られたり腐食が進行してしまったのでしょうか?
レストアすれば地上運転出来そうな状態だけに、その後のエンジンの行方がたいへんに気になります。