〇 陸奥湾で引き揚げられたF4Uコルセアのその後の行方
昭和61年の東奥日報に、陸奥湾で撃墜されたF4Uコルセアのパイロットの娘さんが、その海岸を訪れて花束を捧げた記事が載っています。
連合国海軍による日本本土攻撃というホームページを展開しているmtさんは、陸奥湾墜落機の関係者とも接しているそうで、関連してヒコーキ雲のAT-B727の末尾の「漁師小屋の奥にF4Uの破片が眠っているかもしれませんよ」について照会がありました。
その元にになっている55年前の航空ファン誌を改めてみて見ましたら、同誌へ情報を投稿した鵜島国治さんは当時中学生なのに、引き揚げられた残骸の観察に並みの中学生とは思えない的確な報告を書いています。
そこで、航空ファン編集部の許可を得て、その投稿と写真を転載することにしたのは、第一に、廃棄処分された機体の一部を地元漁師さんなどが保存しているのではないかという淡い期待で広く質問しておきたいことと、第二に、中学生にしてこれだけの知識で観察したという事績を残しておきたいと考えたからです。.
鵜島少年は、その後、航空の道に進んだのでしょうか? 消息等ご存知の方はお知らせください。