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航空歴史館技術ノート

最終更新14/11/28

 

ボ-イングKB-50Jの空中給油

 

 

1963/09/08 北海道恵庭市上空にて

19595年ごろ立川あたりで
KB-50Jの燃料について
KB-50Jのタンクと容量資料 
関連投稿 1 B-50給油機への改造はすべてB-50D/TB-50H系列から2 

 

A1230-1 北海道恵庭市 
       
In-Flight Refueling KB-50J to F-100 and RF-101C, The sky in Eniwa City, Hokkaido  

KB-50JからF-100とRF-101Cへ空中給 油

 1963/09/08 国鉄千歳線島松駅(現恵庭市)付近から50mm標準レンズでとらえました。当時、千歳には通信関係のみで実戦部隊はいなかったので、北海道でのこのシーンはちょっと不思議です。 OKUBO

  

それは予行演習では GETA-O (03/09/17)

 私の想像ですが写真は三沢か千歳での航空祭での展示の予行演習でないかと思います。基本的には空中給油は洋上で行うものと思っています。

何やら「幽霊の正体見たり・・・」でした OKUBO (03/10/05)

 GETA-Oさんの「三沢か千歳での航空祭での展示の予行演習でないかと思う」の投稿にヒントを得て古い新聞を調べてみました。ありました!あの写真を撮った1963/
09/08は日曜日で、千歳空港では第2回空港まつりが開催されています。

 更に、丘珠空港では第13回全日本学生グライダー競技選手権大会が開かれており、競技の合間に陸・海・航空自衛隊プラス米軍の計40機が特別参加、豪快な航空ショーを展開するとあります。(北海タイムス1963/09/08夕刊)

 以上からの推測ですが、あのKB-50Jは丘珠でデモフライトをして千歳に向かい、更にデモフライトをして三沢に戻ったような気がします。何やら「幽霊の正体みたり枯尾花」ですが、インターネットの威力と皆様の熱心な投稿で一枚の古い写真からいろいろなことを勉強させてもらいました。ありがとうございました。

佐伯から :  「幽霊の正体みたり枯尾花」 おおいに結構じゃありませんか。こういう写真を見せられたら、誰でもびっくりします。そして、だんだんと事実が明らかになってくる過程が実に楽しいです。社史編集のために昔の写真を探していて偶然発見された一枚が、40年前にタイムスリップさせてくれたのです

 OKUBOさんの推察が正しければ、丘珠と千歳でダブル空中給油実演です。直線距離で40kmくらいですから、3機のジェット機をつないだまま移動するのは十分に考えられることだと思います。OKUBOさんは当時は仕事が忙しく、交通事情もわるくて航空ショーなどにはなかなか行けなかったそうです。当日は島松駅近くの油槽所建設現場でこの飛行を目撃されました。撮影カメラはニコンSP ニッコール50m/m f2ということです。参考までに地図を画いておきます

 

KB-50Jから空中給油 にがうり     立川

 OKUBOさんの写真を見て私も探してみました。カメラはWalz社のEnvoy M-35という1眼レフでレンズは 48mm標準 f4.8です。撮影時期はOKUBOさんの1963年よりは前で、1959年前後かと思います。場所も横田か立川かですが、電線が写っているので道路を歩いているところかもしれません。

 

ボーイングKB-50Jの燃料について FA300 (03/09/16)    燃料

  空中給油の写真すごいですね 撮影された方もスゴイ! ところでJ-47ジェットエンジンが回っているということは、燃料は2種類?主翼タンクの外側がジェット燃料?・・・航続距離の低下?給油用タンクから拝借?

 P2V−7のようにレシプロ燃料用に改造したのでしょうか?(P2V−7はJ34ーWE−36でレシプロ燃料で回るそうです)

 

ボーイングKB-50Jの燃料について にがうり (03/09/16)

 私も詳しくは知りませんが燃料はレシプロ用をそのままJ-47に使用したと思います。したがって燃料タンクはレシプロ用だけですみます。P2V-7でも同様な使い方をしてるし、レシプロ用は特にアンチノック向上のため4エチル鉛を添加していますが、もともとその混合には灯油(ケロシン系)も使っています。

 レシプロ用燃料をジェット・エンジンに使う場合はジェット・エンジン側の燃料コントロール調整で使用可能なのでしょう。コスト的にはレシプロ燃料が高価です。

  P2V-7を知ってる人なら詳しいと思いますが、もう現役海上自衛隊では少ないでしょうね。なお、戦闘機への給油は当然ジェット燃料であり、胴体内の特設タンクから3本のホースへ送られたのではないでしょうか。

 

ボーイングKB-50Jの燃料について GETA-O (03/09/17)

 いろいろ議論のあるKB-50Jの燃料ですがこんな写真がありました。写真は1961年の横田基地の3軍記念日(1961.5.21)での撮影です。

 写真からはグレード 115/145と読めますので機体はハイグレードの航空ガソリンを使用していたと思います。ただし給油先はジェット機ですので爆弾倉につけた給油用燃料タンクには想像ですがJP-4のジェット燃料を入れていたと思います。

 それから給油ポッドの写真もありましたので送ります。給油方式は現在の海軍機が使用しているプローブ&ドローグ方式ですが、かごの大きさは人と比較すると現在の海兵隊のKC-130Fより大分小さいような気がします。

余禄 ボーイングKB-50Jについて 佐伯邦昭 (03/09/16)

 ボーイングB-50は、B-29のエンジンをパワーアップして後継を狙いましたが、時すでにジェット時代に入って爆撃機としての使い道はなく、偵察型RB-50、気象観測型WB-50、乗員訓練型TB-50として200機あまり製造されました。

 またKB-50Jは、ジェット戦闘機のスピードに適合する空中給油機を求めていたTAC(戦術戦闘航空団)が、B-50にJ-47ジェットエンジン2基を付加して高速化したもので、112機のRB-50とTB-50をHays Aircraft Corpo.で改造し、KB-50Jの1号機は1958/01/16にTACへ引き渡されました。

 しかし、ここでも既に本格的空中給油機のボーイングKC-135の引渡しも始まっており、KB-50Jは一部ベトナムで活動したこともあるそうですが、1965年には全機引退しました。

基本エンジン

プラットアンドホイットニイ R-4360ワスプメジャー 4基 (B-29はライト R-3350 4基)

追加エンジン

ジェネラルエレクトリック J-47GE-23 2基
フルパワーの場合 高度約6000mで時速710Km

高空において高速で給油できるので受ける側のジェット機の操縦が非常に楽になりました。

 

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KB-50Jのタンクの配置と容量   提供イガテック   配置

 補足資料が手元にありました。タンクの配置と容量が書かれており、結論として給油先の飛行機に合わせてレシプロ用燃料とジェット燃料JP-4に使い分けができたようです。
 本体のジェットエンジンはレシプロ燃料が使えるタイプと考えられます。
 





    
 


B-29の資料中にフェリー時に使用するタンクが記載されたものがありますので合わせて添付しておきます。

   ボーイング社発行 発行年不明

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関連投稿    

   2006/08/25 渡辺孝義

B-50給油機への改造はすべてB-50D/TB-50H系列から


 このコーナーの内容とは離れますが、佐伯さんの余禄のKB-50の改造について 「112機の
RB-50とTB-50を」となっている箇所について、従来から航空雑誌などの説明で気になっており、RB-50Dの1機を除くRB-50系からの改造は無いと思うので私の調査結果を書いてみます。

参考資料
Post World War Bombers:USGPO
U.S.Millitary Aircraft Designation and Serials since 1909
Boeing Aircraft since 1916
United States Military Aircraft scince 1909
航空ファン1995年12月号
Aircrft in Action B-29
Cold War Regacy

最終的には、
British Aviation Review 1999.02. p151-162
British Aviation Review 1999.03. p242-251
British Aviation Review 1999.04. p364-372”
The B-50 Superfortress in Europe、 1955-1965
 

■ TB-50A : 改造は多くの資料と同様11機で、ATCに配備の後にMATSの気象部隊55WRSへ配備された、さらに一部の機体はMATSの訓練部隊1707ATWへ配備されている。

■ B-50B : 45機生産。WADC(Wright Air Development Center)へ引き渡された2機がEB-50Bとなった以外の43機は最終的に偵察型となる。
 偵察型装備を持つ12機が1949年7月から8月に91SRGに配備される。
 B-50Bのままの10機は1949年にシアトルからサクラメントAMAに引き渡され一時的に保管された。
 さらに1機はWADCへ引き渡されEB-50Bとなる。
 従って爆撃機として使用されたB-50Bは存在しない。

■ RB-50B : シアトルで生産されたB-50Bの20機(上記25機以外)は完成後すぐにウィチタに運ばれ1949年中に本格的な偵察型RB-50Bへと改造され、1950年初頭に91SRGに配備された。
 そして既に部隊配備されている12機の内の8機が同様の改修を行いRB-50Bとなる、従ってRB-50Bの改造機数は28機ということになる。これら28機中20機が55SRGと91SRGに実戦配備された。
 残る8機のRB-50Bの内1機はWADCに引き渡されERB-50Bとなる。もう1機は3200PTWへ引き渡され、残る6機はOCAMAに渡り後にRB-50Fとなる。

 

          B-50Bの改造割り振りは以下のようになる。
              B-50Bのまま保管         10機
                                        └─10機→RB-50G
                                              ├─1機→JRB-50G
                                              └─1機→TB-50G
              B-50Bのまま偵察型改造   12機
                                        ├─ 8機→RB-50B→RB-50F
                                        └─ 4機→RB-50G
              RB-50Bへ改造             20機
                                        ├─ 1機→ERB-50B→JRB-50E→NRB-50E
                                        ├─13機→RB-50E
                                        │    └─3機→RB-50F
                                        └─ 6機→RB-50F
              EB-50Bへ改造              3機
                                        ├─ 1機→B-50B
                                        ├─ 1機→JTB-50B
                                        └─ 1機→RB-50G

 

■ EB-50B : 3機のうち47-0118は1951年2月にB-50Bへ戻る、もう1機はJTB-50Bとなり1959年4月にMASDCに入る。もう1機はRB-50Gへ改造される。

■ JTB-50B : EB-50Bを改造、WADC使用。

■ ERB-50B : RB-50Bを改造、後にJRB-50Eとなる。

■ WB-50D : 多くの資料は36機改造としているが“Post World War Bombers:USGPO”では78機とし、“British Aviation Review”では74機が改造されたとしている。

■ JWB-50D : WB-50Dの1機(48-0104)が1957年1月22日に名称変更。

■ RB-50D [Half Track] : 3機のB-50Dを改造した特殊偵察機。1号機(48-0107)はグッドイヤーで改造、1955年11月7日に完成、引き渡し時は名称はB-50Dのまま、後にKB-50へ改造される、2号機(49-0312)はEB-50D、3号機(49-0307)はJB-50Dの名称だったが、1956年10月1日以後はともにRB-50Dとなる、49-0307は1958年11月にTB-50Dとなる、49-0312はARDCに移管後JTB-50Dとなる。

■ JRB-50E : ERB-50B(47-0119)を1951年初頭にアップグレード、後にNRB-50Eとなる。

■ RB-50E : 13機(47-0120、0122〜0132、0135)のRB-50Bを改造。当初47-0122はテスト機としてエグリンで使用される。RB-50Eの改造機数14機はJRB-50Eを含めたものとしている。実戦部隊配備は47-0122とJRB-50Eを除く12機。
 1954年6月に55SRWは7機(47-0120、0127、0128、0130、0131、0132、0135)のRB-50Eを退役させMASDCに保管、10月から11月にティンカーに送り整備後1955年1月から横田の6007RGに再配備。
 2機(47-0123、0125)は1954年8月に97BWからAPCSに引き渡される。
 残る3機(47-0124、0126、0129)は97BWからティンカー経由で6007RGに再配備された。

■ RB-50F : 14機(47-0121、0134、0137〜0142、0144、0146、0158〜0160、0162)のRB-50Bを1951年に改造。
 55SRWに在籍する13機(1機は既に在籍していない)は1954年5月にAPCSに引き渡される。1956年に既にAPCS配備となったRB-50E(47-0123、0125)と47-0122がRB-50Fへと改造された。その後APCSへは横田から戻った47-0128、0131が加わった。

■ RB-50G : 1950年秋から1951年夏にかけて15機が改造された。内訳はEB-50Bから1機(47-0133)、B-50Bのまま偵察型改造されていた機体から4機(47-0136、0156、0157、0161)、そして保管されていた10機(47-0143、0145、0147〜0154)のB-50Bということで、今まで伝えられたようにRB-50Bからは一切改造されていないということ。
 1954年末には12機のRB-50Gが97BWに在籍。

■ JRB-50G : RB-50G(47-0147)を改造、WADCで使用。

■ TB-50G : RB-50G(47-0148)を改造、1707ATWで使用。

■ RB-50G [Dream Boat]/B-50G-2 : テムコで改造したAPS-23レーダーを追加した特殊型。47-0157等。

 

 空中給油型はB-50D/TB-50D/TB-50Hから改造、総数は135機。内24機がTB-50Hからの改造機で残りの111機がB-50D/TB-50Dからと説明している。

■ KB-50  : TB-50Dから11機、RB-50Dから1機、JB-50Dから1機、B-50Dから83機の96機がB-50D系列から、そしてJTB-50Hから1機、TB-50Hから23機の総計120機が改造された。TB-50Dから改造された1機(48-0052)は引き渡される前にダメージを受け、修理されずに廃棄され、空軍に引き渡されていないためか“Post World War Bombers:USGPO”では給油型の総数を134機としている。
  これら改造機は単にKB-50と呼ばれシリーズ記号が与えられていない。

■ KB-50D : KB-50DはB-50D 47-0170、TB-50D 48-0046を改造としている資料があるが、これらは2機ともTB-50DでKB-50へと改造されており“British Aviation Review”ではKB-50Dに関しては述べていない。1958年5月に横田基地の三軍統合記念日に展示された機体49-0344にはJKB-50Dと記入されていたと言われているので、B-50Dから改造された機体には元の記号の“D”が残ったままであった可能性がある。

■ KB-50J : 翼下燃料タンクに替えてジェットエンジンの追加がされる、プロトタイプは49-0391。KB-50(D系列)から89機、B-50Dから新たに15機、合計104機が改造された。

■ KB-50K : KB-50(H系列)から24機が改造された。

 

 このように給油型は、RB-50系からの改造(RB-50Dを除く)は全くなく、B-50A/TB-50Aからも改造されてはいない。すべてはB-50D/TB-50H系列のみである。給油型の総数はKB-50(B-50D/TB-50H等改造)が120機でB-50Dからの改造が15機で計135機となる。

 以上が調べた結果です。

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