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図書室 掲載16/04/30

書評 世界の傑作機

No.171 ロッキードU-2ドラゴンレディ

No.172 ミコヤンMiG-25MiG-31

山内秀樹

 

(海軍倶楽部会報No.33から転記)

 一読者として「世傑」の近刊を熟読したところ、海軍倶楽部会員必読の書と考えたので、「私ならこう書く」という観点からの補足を加えてご紹介する。

● 世界の傑作機No.171 ロッキードU-2ドラゴンレディ

 U-2CIAと米空軍の航空機という印象が強いが、そもそも極東に展開した最初のU-2AU-2Cは米海軍厚木基地を拠点として活動した。1959924日に藤沢飛行場に不時着したU-2は論外として、厚木基地の滑走路工事のため196027月米空軍横田基地に拠点を移動した以外は日本の米空軍基地にはほとんど離着陸することが無かった。U-2DET.C (分遣隊C)というれっきとしたCIAの所属機であったが、表向きには米空軍のWRSP-3という部隊の所属機で、米海兵隊の格納庫に挟まれた一格納庫を占有していた状況は、一般向けの厚木基地のガイドブックにも記載されていた。

 数あるU-2派生型の中でもU-2GU-2Hは着艦フックを備えて空母から運用可能な艦上機であり、U-2R/Sは開発当初から空母での運用を考慮して着艦フックと折り畳み構造の主翼を備えた艦上機仕様の機体である。ドゴール政権下のフランスは折からNATOと一線を画し、独自に核開発を進め、大気圏内核爆発実験を南太平洋のムルロア環礁で実施した際、米国はその開発内容の詳細を調査する必要に迫られ、高高度の大気サンプリングを行う必要があり、陸上を基地とする米軍気象観測機の行動半径外に位置するムルロア環礁周辺でのサンプリング飛行に供するため改造されたのがその発端。一言苦言を呈すれば本書では技術面の説明に終始しており、当時のフランスと米国を含むNATO諸国との微妙な外交関係について記述されていないため、U-2G/Hの出現の必然性が説明できていない。

 また、U-2の低圧・低温環境の高高度での長時間飛行用特殊燃料(低蒸発、低凝固性)として米空軍が使用したMILスペックのJP-TSの記載はあるが、CIAが使用したP&W社推奨燃料LF-1Aに関する記載はない。後続性能向上のため空中給油受油装置を備えたU-2EU-2FU-2Gの説明はあるが、特殊燃料を給油した母機に関しての記述も一切見当たらない。

 さらに、米海軍関係では米海軍の予算でU-2R(s/n 10339)を改造し、機首にRCAXバンドレーダ、左翼のポッドにはT-35トラッカーカメラ、右翼のポッドにはAN/ALQ-110 ELINT受信装置を装備したEP-Xについて本書では一切の解説がなされていない。EP-Xは艦上のCICから遠隔操作で作動する海洋監視センサーのプラットフォームとして1973年に試験飛行し、高い評価を受けたものの、U-2R派生機としては生産されず、そのコンセプトはBGPHS として同じロッキード社製のS-3Aヴァイキングを改造したES-3Aシーシャドーの開発に繋がり、1990年代一杯空母に搭載され、空母機動部隊の前哨ウエポンシステムとなったことで重要である。また、LAMPS Mk.III (SH-60B)や海上自衛隊のHSS-2BSH-60JSH-60Kもそのコンセプトの延長線上にある。

 U-2AU-2Hの系列から大幅に改設計されたU-2Rについても詳細に解説されているが、改造目的に@信頼性の向上、A整備性(搭載装備へのアクセス性)の向上、互換性部品の増加等の項目が脱落している。

 U-2RのターボジェットエンジンJ75-P-13BをターボファンエンジンF101-GE-29(後にF118-GE-101と改称)に換装してU-2Sとした経緯は述べられているが、それに伴う改善点(整備時のエンジン脱着の簡素化、油圧系統のアクセス向上、エンジン取外し時の油圧・電気系統の独立作動能力、故障個所特定法の改善、発電容量の増加)等や、困難となった空中再始動にヒドラジン・システム(無色無臭で人体有害)の搭載で対処した点についても触れられていない。

 以上、いろいろ指摘したが、かつて海上自衛隊岩国基地で共に「PS-1戦力化」で尽力した旧友、海老浩司君の手によるU-2搭載の偵察・センサー機材の解説も詳細を極め、U-2を総合的に理解するには実によくまとめられた珠玉の一冊であり、ぜひ購入・熟読することをお勧めする。

 

● 世界の傑作機No.172ミコヤンMiG-25MiG-31

 MiG-25と言えば197696日のベレンコ中尉による函館空港強行着陸・亡命事件で有名。その際、海上自衛隊の大湊地方隊の各艦艇の出動はもとより、P-2Jは「有事」に備えて5in HVAR (航空機搭載用高速ロケット弾)を装備して八戸基地から離陸、津軽海峡の東西に展開し、大湊航空隊のHSS-2はソ連潜水艦の潜航状態での津軽海峡侵入阻止に備えて連日・終日厳戒を極めた生々しい状況は当時の海上自衛隊関係者から耳にすることである。

 同年11月15日に日立港からソ連貨物船に積まれて日本を去るまでの2か月余りにわたって、当時のソ連防空の最新鋭機であるMiG-25がほとんど無傷で日本政府の管轄に置かれ、飛行試験こそされなかったが、機体構造はもちろん、極秘事項である搭載装備の詳細が日米の専門家の手で調査・分析・試験されてしまったことが、ソ連の防空システムにどれほどの打撃を与えたものかについても詳述されている。この「亡命事件」がソ連の防空システムに大穴を開けたのは事実で、機体返還前の11月4日には搭載した防空システム関連装備品を大幅に変更したMiG-25PDの開発命令が下るなど、ソ連側の対応に「事の重大さ」を読み取ることができる。この貴重な「亡命MiG-25」をソ連艦艇が頻繁に通峡する津軽海峡に面した近い函館空港で、ソ連側に容易にMiG-25を奪還あるいは破壊させなかった海上自衛隊部隊の役割は大きかったと言える。

 MiG-25/-31系列についてこれほど完全に網羅され、詳述された刊行物は海外にも一切ないが、この記事内容を記述するために、ロシアの各所に眠る一次資料をインターネットでいかに入手し、それをロシア語→英語の自動翻訳を駆使して読み下すかという藤田勝啓氏の手法についても執筆者の「座談会」中で明らかにされており、大いに参考にすべきである。これは日本周辺に出没するロシア艦艇、かつて出没したソ連艦艇を研究する上でも十分応用できる手法であろう。

 本書の内容はソ連機あるいはロシア機に詳しい会員にとってはMiG-25/-31系列の派生型の開発関係を即座に理解することができるだろうが、その方面に疎い私にとっては、記事を読みながら各派生型開発の系統樹を時系列的に描いてようやくその全貌を理解した。願わくは時系列的系統樹を文中に添えてもらえば、一般の読者も理解しやすかったと考える。

 まさに「知恵熱」が出るほどの根性で熟読すべき内容であるが、多くの「目から鱗」的な記述があり、北方4島返還云々を論じる前に、現時点でロシア極東の防空任務に就いているMiG-31を理解するためにも、ぜひご一読いただきたい。