本書の写真キャプションに誤りが多く、一体どのような資料を基に書いておられるのか首を傾げます。
昨今は、一次資料(公式史料)を無料でダウンロードできる環境にあり、それ以前の出版物の多くの誤記が十分訂正できる環境にあると思うのですが、安易に既存の出版物に依存され、吟味することなく、孫引きによる誤情報を「世傑」を通して拡散させ、読者に迷惑をかけている現状は、真剣に記事内容の質向上に努めている我々にとって辛いものがあります。
何より、他の記事、例えば私の記事と矛盾が発生します。一般の読者は「何を信じればよいのか?」迷うことになると思います。
p3右 VF-31がF8FからF9F-2に機種転換を開始したのは1949年12月ではなくて1949年10月(ちなみに完了は50年2月)。空母レイテが朝鮮に向けて再出港したのは9月5日ではなくて9月19日。
p4左 空母ボクサーとともにサンディエゴを出港したのは1951年3月27日ではなくて、3月9日(ちなみに3月26日には既に参戦している)。
p5中段 VMF-223のパンサーは左右主脚扉にテイルレターを入れていたのではなく、左主脚扉にテイルレター、右主脚扉にはノーズナンバーを入れていた。(脚を引き込んだ状態で下から見れば「WP
1」と読めるようになっていた。)
p6左 VF-781はNAS
ロスアラミトス予備役飛行隊ではなく、NAS OAKLAND(オークランド)予備役航空隊だった。
p6右 NASマイアミで発足したのではなく、MCASマイアミで発足。(ちなみにMCAS
MIAMIは3rd MAWの本拠地であった)。
p9下 VF-113が1954年に空母ケアサージで西太平洋に展開した時はF9F-6ではなく、まだF9F-2を装備していた。(ちなみにVF-113はF9F-6を装備したことは一度もない。VF-113は1955年5月からF9F-2よりF9F-8に機種転換開始、1956年3月にVA-113に改編)。
p31中 F9F-2BではなくてF9F-2(123497)。(この時期にはF9F-2Bの呼称は廃止されていた。)
p31下 トライメトロゴン・カメラを搭載したとあるが、ウソ。F9F-2Pにはカメラ窓は左側面と下面に各1か所しかなく、トライメトロゴンカメラは搭載できない。(添付写真参照。鈴木先生がp88にF9F-2P機首下面の図にカメラ窓を前後に二つ並べて描いておられるが、これは間違い。)
p36上 翌月の1953年8月に2機のF9F-6Pが配属されている。
p37下 「当時の戦術核兵器Mk.8、11、12等が搭載可能となっていた」とあるが、ウランを使用したガンタイプの核爆弾であるMk.8は3,250lb、Mk.11は3,500lbもあり、Aero22Aの容量1,200lbを大幅に超過するため物理的に無理。よってウソ。搭載可能だったのはプルトニウムを使用したインプロージョンタイプの核爆弾Mk.12のみ。
p.38下 トリムタブと書かれているが、トリムタブは動翼に取り付けるもの。これは主翼本体に取り付けたトリマーとするのが正しい。
p66上 「空母エセックス(CV-9)艦上で訓練を行うVF-51のF9F-2B(S107)」とあるが、これはF9F-2が正しい。同様に「写真に見られるように兵装パイロン付きのF9F-2Bとなったため」とあるが、これは「写真に見られるように兵装パイロン付きのF9F-2B仕様のF9F-2となったため」が正しい説明。
p68上 VF-71のF9F-2Bとあるが、正しくはF9F-2。(この時期にはF9F-2Bの呼称は廃止されていた。)
p68中 VF-72のF9F-2Bとあるが、正しくはF9F-2。(この時期にはF9F-2Bの呼称は廃止されていた。)
p70上 VMF-311のF9F-2Bとあるが、正しくはF9F-2。(この時期にはF9F-2Bの呼称は廃止されていた。)
p70中 J48エンジンとあるが、正しくはJ42エンジン。(F9F-2系列でJ48を搭載している機体はない。)
p70下 VMF-115のF9F-2Bとあるが、正しくはF9F-2。厚木にストックされていたのもF9F-2BではなくF9F-2。(この時期にはF9F-2Bの呼称は廃止されていた。)
p73上 「ブラストフェンス」とあるが、正しくはブラストデフレクター。
p73中 「核爆弾Mk.8の模擬弾」とあるが、これはMk.12核爆弾の模擬弾。以下Mk.8核爆弾の説明があるが、F9Fには一切搭載ぜず無関係なので不必要。(核爆弾の外形識別能力はキャプション担当者に必須です。)
p73下 NSルーズベルトロードとあるが、NS
ROOSEVELT ROADSの発音はルーズベルトローズと表記するのが妥当。
p76上 VF-111のF9F-2Bとあるが、正しくはF9F-2。(この時期にはF9F-2Bの呼称は廃止されていた。)
「パンサー/クーガーの誕生と発達」の記事中では、
p19右中ほど 翼厚比は付け根で14%、翼端で12%というのはウソ。(F9F-2/-3の系列は翼根から翼端まで一貫して12%、F9F-4/-5の系列は一貫して10%が正しい。)
p26左上 実戦部隊で初のF9F-2装備となったのはMCAS
CHERI-POINTの海兵飛行隊VMF-115で8月末に受領したとあるが、実戦部隊で最初にF9F-2を受領したのはVF-51で1949年7月〜10月、F9F-3、FJ-1とともに使用していた。VF-111がF9F-2を初めて受領するのは1950年1月で、1949年12月31日の時点ではF8F-2ベアキャット6機の編成だった。また、VMF-115は1949年9月16日にMCAS
EDENTONでF9F-2を受領したのが正しく、日付、配属基地とも間違っている。このパラグラフはウソばっかり!
p26左下 F9F-2D(改造)とあるが、F9F-2Dの存在自体が疑わしい。(F9F-2系列全機の来歴簿を1機残らず調べたが、そのような型式名はない。) 逆に実存したF9F-3Pに関して全く記載がない。
p26中 F9F-2P(改造)の記事で後部カメラベイ(回転式マウント)とあるが、F9F-2の機首には回転式マウントを装備できる余地はなく、後部カメラベイには垂直写真用のカメラ窓もない。
(だからF9F-5Pでは機首を延長して回転式マウントと垂直写真用のカメラ窓を新設した。)
p27左 F9F-5K(改造)とあるが、F9F-5Kの存在自体が疑わしい。(F9F-5系列全機の来歴簿を1機残らず調べたが、そのような型式名はない。)
p28左 F9F-6D(DF-9F、改造)ドローン管制機とあるが、当初は核弾頭戦略巡航ミサイルSSM-N-6レギュラス誘導機で、戦略核ウェポンシステムの一部を成すことを書くべき。
p28中 のF9F-6PDも同様、核弾頭戦略巡航ミサイルSSM-N-6レギュラス誘導機で、戦略核攻撃用ウェポンシステムの一部を成すことを書くべき。
「GRUMMAN
F9F Color Profiles」
p14左 CV-11イントレピッドとあるのは、CVA-11。
p14右 F9F-8クーガー(141089)とあるのはF9F-8B。
「グラマンF9Fパンサー/クーガーの塗装とマーキング」
p86中 F9F-8クーガー(Bu.No.144313/NK213)の図のGはF9F-8Bではなく、正しくはF9F-8。
我々も、与えられた滅多にない絶好の機会なので、執筆原稿の質を向上させるため最善を尽くすよう努力しております。執筆の注文を受けてから、締切までに間に合わすためには、膨大な原典資料・一次資料を一から見直す時間的余裕はありません。
そのために平素から膨大なリスト(年表、搭載機器のリスト、エンジンに関するリスト、各種兵装に関するリスト等)に記入・加筆・修正を加えながら、執筆時には躊躇なく参照・引用できるよう、整備努力を続行しております。
自分のパンツは自分で縫い上げる努力が必要です。他人の褌で相撲をとると上記の通り、まことに恥ずかしいことになります。
私もF9Fに関する既刊書は買い揃えておりますので、執筆者がどの既刊書を引用されたかは、容易に検討がつきます。しかし、「世傑」は既刊書の後追いではありません。一歩進んだ記事を詰め込まなければ、価値がありません。
航空ファン編集部は、執筆は孫引きではなく、執筆の準備が整っている方にお願いしてください。