厚木を中心としたマニア達AGC(ATSUGI GOMBEI CLUB)による活動の記録集に更に新たな1冊が加わりました。
既刊
CHECKER TAIL アメリカ海軍機写真集 1964〜1970 カラー版
CHECKER TAIL2 懐かしのアメリカ海軍機たち 1963-1970 モノクロ版
CHECKER TAIL3 伝説のアメリカ海軍機たち 1954-1966 モノクロ版
在日アメリカ空軍機写真集 1946-1969 モノクロ版 (図書室26に紹介)
新刊
CHECKER TAIL 4 在日アメリカ海軍機写真集
モノクロ版
内容的には既刊のCHECKER
TAIL3部作にだぶるものですが、それを敢て発行するにいたった理由は、赤塚薫さんの次の冒頭の文章で明らかです。(
筆者の転載許可済み)
は じ め に
まさか“カットラス”の着陸写真が出てこようとは夢にも思わなかった。
いままで、航空雑誌や専門誌などに発表されたものを含め、多くのマニアやオフィシャルが撮影した在日米軍機の写真を半世紀に渡って見続けてきたのだが、F7Uが厚木に『着陸』する写真は一枚もなかった。
この、とてつもなく貴重な写真発見のきっかけとなったのは、一昨年5月、既刊「チェッカーテイル2・3」購入問い合わせ電話からだった。その電話の方が大和市にお住まいということで、厚木基地のランウェイエンドの近くでお会いした。
その際、ご自身が撮影されたというアメリカ海軍機の写真をまとめたアルバムを見せて下さったのだ。
表紙を開いたとたん、私は一瞬わが目を疑った。
何十年も探し続けてきた『カットラスの着陸写真』がそこにあるではないか。
それだけではない、厚木に着陸するバンシー、フユーリー、タイガー、そして戦闘・攻撃型のクーガーなど、今まで見たこともない、厚木で撮影された写真が、樺色に変色した台紙の上に所狭しと貼られていた。
それは、個性豊かな1950年代の米海軍機が次から次へと現れるまさに『夢のアルバム』だったのである。
時間を忘れ、くい入るように数十枚の写真を見、何とか、この貴重な写真の存在をより多くの海軍機フアンに伝えなければとの思いを強く持った。ところが、いざ写真集として出版するのには枚数が足りない。
ならば、と以前所属していた写真クラブTSPC(東京スカイフォトサークル)の先輩会員に声をかけ、1960年前後に撮影された写真を新たに提供していただいた。加えて、その会員の方々が文通しておられたという数名のベテラン・マニアの消息も判明。
その方々にもご協力いただけることとなり、ようやく出版までたどり着くことができた。
特に50年代の空母の写真は神戸にお住まいの艦船フアンから提供されたもので、現役時代の艦載機が飛行甲板にピッシリと搭載されている“生”の空母の姿を掲載できたことも非常にうれしい。
そもそも、今とはまったく違って、1950年代の厚木基地といえば想像をはるかに越すほど警備が厳しく、たとえば、三軍統合記念日(1958年)の一般公開時でさえゲート入口でカメラを預けなければ入場できなかったほどだ。ふだんの日は、実弾入りマガジンを装填したMlカービン銃を肩から下げた警備兵が軍用犬を従え、本気で周回道路を見回っていたし、ときにはSP(ショアー・パトロール)の車が基地の外まで出てきて撮影している者を連行。身柄等をしつこく取り調べた上にフイルムを没収してしまうこともあった。
「ジラード事件(1957年)」や「ロングブリ一事件(1958年)」でもそうだったように、“フェンスの向こう”からいきなり狙い撃ちの銃弾が飛んでくる時代でもあったから、マニアは滑走路の端で草むらに身を隠し、周囲に気を配って恐る恐るシャッターを押していたのに違いない。
東西冷戦下の緊張が強く漂う中、そしてカメラを所有すること自体も珍しい時代に、厚木基地でこれほど多くの海軍機が撮影されていたということは、『驚き』以外の言葉が見当たらないのである。
このように、“命からがら”で撮影された「伝説の写真」を現在まで大切に保管されていた先達の皆さん、この写真集の企画に賛同し、快く解説と写真のキャプションを執筆して下さったライターの方々、そして、ごく細部に至るまでアドバイスをしてくれた旧友たちの心境かい協力無くして、本書の発行はまったく不可能であった。
現在厚木をHOME・SITEMAP・サイトマップベースにしているCVW5は近い将来、岩国へ移転するという。
そのときは厚木基地の歴史等を特集する記事があちらこちらで書かれることであろうが、本書では終戦直後の1945年から1972年(空母ミッドウェイが横須賀を母港とする)までのく‘歩み’’を、地元に長く住んでおられる米海軍機研究家の早川雅明氏に執筆していただいた。
今までどうも良く解からなかった部分を整理して、マニアの視点でまとめられたものだから、掲載写真と照らし合わせて読んでみると趣も一層深まるのではなかろうか。
当時を知る人には“アツギ”を新たな思いで懐かしみ、また、若い人たちには名実ともに『海軍機のメッカ』と言われていた頃の“NAS
ATSUGI”の物凄さを想像して欲しい。
この先の頁をじっくりとめくりながら、楽しんでいただければと願っている。
2009年8月
赤塚 薫
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過去の4冊は、AGCに連なる人々による写真を発表したもので、当時の米軍機が出尽くしているように思えました。しかし、世間は広いもので、彼らがその存在を知らなかったマニアの写真が、あるいは取り損ねた機体の写真がどこかに眠っているのだということを、このたびも思い知らされます。
そして、個人の1冊のアルバムに触発された赤塚さんの熱意が、更に類を呼び、発表の機会もないまま眠っていた著名マニアの写真が大量に発掘されたのが今回の特徴です。写真解説や機体解説にCHECKER
TAIL3部作と同じように山内秀樹さん松崎豊一さんの名前がありますので、それぞれの写真が第一級史料に仕立て上げられていることも言をまちません。
スパイ機ロッキードU-2の銀色の写真は世界に反響を呼ぶだろうと囁かれています(我々は黒塗装の写真しか知らない)し、チャンスボートF7Uカットラスの追浜格納庫内の写真など、いちいち挙げていたらきりがなくなるほどの珍しく貴重な史資料の山です。
また、我がホームページでおなじみの戸田保紀さんが70枚に及ぶ写真を、或いは中井八郎さんが神戸入港の航空母艦など、とページをめくるたびに溜息が出る心境です。
さて、第一級史料といいましても、学術的なかたぐるしいものでないことは、次のin the Good Old
Daysというフレーズが雄弁に物語っています。
1ページの文字拡大
それは、CHECKER
TAIL第1冊から一貫しているもので、基地や部隊のことが全くと言っていいほど分からなかった時代に、ヒコーキが好きというだけで通っているうちに仲間どうしの情報交換がはじまり、次第に専門的にのめり込んでいった若者たちの懐かしの記録なのです。
ですから、厚木基地周辺の自然が残る風景、村落や鉄道や道路やボンネットバスからトヨペットクラウン等々、米軍機と一緒に写り込んだ、つまり、若者たちの目に沁み込んでいた風物が特に力を入れて回顧されているのです。
厚木に無縁の人には、これでもかこれでもかと書かれる描写にやや食傷気味になりますが、地域を特定して回顧するならば、どこでもこんな風になるのだと思っておきましょう。
○ 英語版 CHECKER
TAIL4 から思うこと
CHECKER
TAIL4
在日アメリカ海軍機写真集の書評末尾に「厚木に無縁の人には、これでもかこれでもかと書かれる描写にやや食傷気味」と書きましたが、英語版CHECKER
TAIL4の「Weekly Photos Archives」は、厚木人のノスタルジアが取り除かれた解説になっています。海外でも玄人筋に好評だそうです。例えば、1957年に撮影されたマクダネルF3H-2Nデモン136982の解説はこんな具合です。
Broad band across the vertical fin
and wing tips were trimmed in
International Orange. Light blue painted
training missile of Sidewinder is
mounted under the starboard inner
launcher. VF-122/CVG-9[NG] was the
second squadron deployed to West Pac
with F3H-2N Demon aboard USS Ticonderoga
16SEP57-25APR58, following
VF-124/CVG-12[D] which deployed
19APR-17OCT57 aboard CVA-16 USS
Lexington.
筆者の山内さんによると、この飛行機の誕生から消滅までと空母搭載時期などのすべての日付まで知った上での記述だそうです。なぜそこまで調べあげられるのかというと、CHECKER
TAILにも写真がたくさん採用されているH.G.さんが取り寄せていた米海軍の個別機体記録の膨大なマイクロフイルムが基礎資料になっています。それを丹念に解読しながら、他の公刊資料や部隊OBが発行したアルバムなどと付き合わせて修整リストが作られています。1日15時間マイクロフイルムとパソコンと格闘しながら、解読はまだ道半ばという気の遠くなる作業だそうで、米海軍海兵隊機でこれほどのリストを作っているのはマニア多しと言えども大阪の山内さん、日本飛来機に限って言えばGO
NAVY!の広江さんくらいのものでしょう。(H.G.さんは惜しくも去年亡くなりました)
分野が違うし、レベルが段違いに低いとはいえ、趣旨としては航空史探検博物館の各種リストづくりも同じです。日本には米海軍機のマイクロフイルム記録のようなものが公式に全く整備されていないので、数十年前のことになると航空局へいっても防衛省へいっても資料の探しようがないという状況ですから、マニアがこつこつと当っていくほかないわけです。
その意味で航空史探検博物館が現世後世の史家の研究の糸口になるデータベースになるようにしたいと考えている次第です。 フ