パイパー・コマンチ、N5518Pの件を調べてみました。自分は米国の航空業界にて27年、機体を探すのは結構得意なのですが、この機体、及び関係していたと思われるサンボーン・エンジニヤリングの情報は非常に少ない様子です。
判明している事は、この機体、1971年12月30日米国イリノイ州のロックフォードと言う空港で墜落しています。乗員二人とも死亡。天候が頗る悪く計器進入中に進入最低高度以下に降下し木に激突。操縦者が事故が起こる前15時間以内に12時間も操縦していたのが事故加担要因と事故報告書に書かれています。
そのサンボーン・エンジニヤリング会社はロックフォードからそれ程遠く無いイリノイ州アルゴンクインと言う町に登記されていましたので事故の場所、機種、登録番号、と話が一致するのですが、そのサンボーン・エンジニヤリングはその場所には既に無く、現在似た様な名前の会社が数件ありますが、この機体に描かれていた名前との関係があるかどうかは判りません。ただ、サンボーンを名乗る会社の一つが自分の勤め先のコロラド州コロラド・スプリング市にあるので、今度関わりがあったのか聞いてみたいと思います。
1960年代には世界一周やらの記録作りの飛行が結構流行っていて、その中でもパイパー・コマンチはそう言った類の飛行に数回使われていて、有名なのは記録を多数更新したマックス・コンラッド氏、英国の女性飛行家シーラ・スコットさん、皆コマンチを使っています。
その中でも有名なのは1964年、日系二世のヘンリー・オーエ氏もパイパー・コマンチを使い、米大陸から日本まで初の単発機での太平洋横断飛行を成し遂げ、我ら日系人にとっては誇らしい記録です。写真で見る東京国際空港の歴史1964参照
この機体はレストアされ我が国で今でも大切にされています。
これら、世界一周をした機体を紹介するウェブサイトもいくつかあるのですが、このサンボーン・エンジニヤリングと書かれたN5518P機は出てきません。
1971の事故の為でしょうN5518Pは連邦航空局の記録では、しばらくして1972年の2月に抹消されています。この機体番号は余り運が良くなかったのか、後ほどあるセスナ機も同じN5518Pの番号で登録されたのですが、此方も2009年の7月に米領プエルトリコで操縦経験の浅い50代の医師が夜間に悪天候の影響で墜落死亡事故を起こしています。
よってこの大阪空港で撮影された写真はロックフォード空港で墜落する以前の筈ですから、1971年以前に撮影された事になります。何らかの理由で世界一周を企てたもの、結局断念して米国に戻ったのかも知れませんが、僕の調べる上では以上の事しか判明できませんでした。