「俗説」が「通説」として通ってしまうのが曲者なのです。
JRBはビーチクラフト製雑用輸送機、SNBはビーチクラフト製偵察練習機というのが本来の定義ですが、海上自衛隊で使用された機体は全機JRB-4です。
米海軍のJRB-4は当初からJRB-4として完成した機体が多いのですが、SNB-2/-2C,、JRB-2/-3として完成し、JRB-4に改造されたものも数多くあります。
米海軍から海上自衛隊に供与された35機のうち33機は当初からJRB-4として完成したものですが、JMSDF6406(Bu.No.29616)とJMSDF6410(Bu.No.29611)はSNB-2Cとして完成した機体です。
殊にJMSDF6410は、SNB-2Cとして米海軍に引き渡された後、患者輸送機SNB-2Hとなり、その後JRB-4Hと改称、そして通常のJRB-4に再改造されています。
しかし、海上自衛隊でJRB-4に課せられた任務は「SNB」としての多発機(双発機)操縦訓練ならびに計器飛行訓練でした。
従って、内部では通称「SNB」で通っていたのは事実です。
なお、JMSDF6420
(Bu.No.44683)は、SNB-2P/-3P/-5Pと同様、胴体下面にカメラ窓があり、垂直写真撮影に用いられましたが、JRB-4P等の呼称は与えられず、機体にもJRB-4と記載されていました。
米海軍・海兵隊で使用したJRB/SNB/C-45系列の戦後の変遷をまとめると次の通りです。
1940年代末期から1950年代初期にかけて、当時すでに存在した各種派生型を含め、残存していた多くのJRB/SNBがREBUILT(再生)されました。その結果発生したのが、JRB-6,
JRB-4(SNB), JRB-4(SNB), JRB-4(SNB)Pの4機種です。
これら4機種は一切海上自衛隊に供与された機体はありません。従って、海上自衛隊機にはJRB-4(SNB)もJRB-4(SNB)も、ともに1機も存在しません。
1962年9月18日の米軍機呼称統一によって、これら再生機のうちその時点で残存していたJRB-4(SNB)とJRB-4(SNB)PがそれぞれTC-45JとRC-45Jに改称されました。つまり、それ以前にJRB-6、
JRB-4(SNB)を含む再生機と再生の対象にならなかったJRB/SNB系列の機体は米海軍から除籍されていました。
なお、TC-45Jは、その型式名が示す通り「練習機」で、VT
AP(プロペラ推進高等練習機)に分類されていましたが、訓練部隊に配属されていた機体を除いて他は「軽輸送機」として使用されていました。しかし、1964年11月、訓練部隊によるTC-45Jの使用頻度が減少したため、VU
MP(多発雑用機)に再分類され、その時点で385機残存していたTC-45JはすべてUC-45Jに呼称変更されました。
(因みに1964年10月31日時点での米海軍TC-45Jの訓練部隊使用機はVT-6の15機のみ、他の370機は軽輸送機として使用されていました。)
これから先は、米海軍機の解説になってしまい、本論からズレますので、ここまでにします。
JRB/SNB/C-45には親しみは深くても、深く研究する人が少なくて、過去にも多くの執筆者がいい加減な調査でいい加減な記事を書き、それが孫引きされているのが残念です。
佐伯から : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲においても、理由が分らないままSNB-5を使ってきましたが、以後、JRB-4に統一します。