航空歴史館その他内外の航空史など 落穂拾い |
ポストカードに見る1940〜50年代を競ったロッキードとダグラス
出展:超空豚はねぶた 解説 佐伯邦昭
|
|
ロッキード コンステレーション |
|
|
|
|
|
|
|
ダグラス DC-4 |
|
ダグラスDC-4はもともと民間機として開発されましたが、むしろC-54として軍事輸送で名声を博しました。戦後、民間に登場したものの、ハワードヒューズの野心的な要求で躍り出たロッキードコンステレーションの速度、与圧、航続距離のすべてに圧倒され受注がストップしてしまいました。 しかし、日本では、米国の幹線航空路に既にDC-4の姿がみられないときにも「なお揺るがぬ信用を誇る傑作機です」と中古機を宣伝せざるをえない航空復興途上の現実があったわけです。 |
|
|
|
ダグラス DC-6 |
|
|
DC-4ではコニーに対抗できないと戦中から考えていたダグラスは、DC-4の胴体を延長して与圧とし、P-47サンダーボルトなどで実績にあるR-2800ダブルワスプエンジンを搭載したDC-6を開発しました。 SASの絵葉書には48 seatsとあります。IATAによるツーリストクラスなどの区別は1952年から設けられて、DC-6は最大76席という資料がありますから、それまでは、実にゆったりした豪華な空の旅を楽しむことができていました。 しばらくの間はコンステレーションとDC-6が拮抗して世界を結んでいました。
DC-6の形状は基本的にDC-4を大きくしただけなので、コニーにくらべると、スマートではありません。しかし、DC−3以来の蓄積による技術で、地上整備など扱い易い飛行機として好評でした。 |
|
|
|
文面ではインドのカラチ到着ですから、南回りでヨーロッパへ向かい、西ドイツで切手を買って投函されたものでしょう。 |
ダグラス DC-6B |
|
この葉書は、1964(昭和39)年ごろで、写真の機体はCity of Kyotoと思われます。 キャプションには Pacific Courier と書いてあり、ナショナルフラッグキャリアーのJALに貢献した飛行機のひとつでありましたが、国際線にはDC-8が飛び、1年後にはボーイング727もやってきます。 |
|
|
|
|
|
OKUBOさんから |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|