航空歴史館 |
ダグラスDC-2 J-BBOT 阿蘇号の事故
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1 中島自主生産のDC-2第1号機 民軍共用機 ジャンル |
2 上海飛行場で事故、その修理の概要 |
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3 航空歴史館技術ノート DC-2/DC-3関連の話し |
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3-1 アルクラッド24Sについて |
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3-2 リアブレイス・ストラットについて |
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3-3 バンジーについて |
写真 杉山ひろかず 解説:佐伯邦昭 アドバイス:にがうり | ||
参考文献 | ||
上甲 昇著 |
日本航空輸送史 ダグラスDC-2編 |
JAHS CONTRAIL |
野沢 正編 |
日本航空機総集 中島篇 |
出版協同社 1963年初版 1983年改訂新版 |
航空機関士宮本晃男編 |
DOUGLAS DC-3 旅客飛行機取扱解説 |
育成社昭和15年初版 18年再版 |
日本航空協会 |
日本民間航空史話 |
日本航空協会 昭和50年2版 |
伊藤隆吉著 |
飛行機とその設計 |
工業図書株式会社 昭和16年刊 |
川村 黎著 |
科学新書23 航空の物理 |
河出書房 昭和16年刊 |
Douglas J. Ingells著 |
The PLANE that changed the WORLD |
Aero Publishes 1966年刊 |
半田邦夫著 |
航空機生産工学 |
オフイスHANS 2002年刊 |
清水 啓著 |
戦争とアルミニュウム |
カロス出版 2002年刊 |
その他 米軍C-47/R4Dマニュアル 全日空整備教程 航空雑誌別冊 日本のダグラスDC-3研究技術編(現在休止中) |
1 中島自主生産のDC-2第1号機 民軍共用機ジャンル
1 後部胴体のクローズアップ
2 水平尾翼下の胴体にある銘板の拡大
解 説
2及び3から、中島航空機株式会社製造のDC-2 第6号機 J-BBOTであることが確定でき、かつ、下表から日本のダグラスDC-2判明分9機のうち の7の機体であることが分かります。
中島は2から6まで5機分の組立て部品を輸入してノックダウン生産し、それで力をつけて自主生産に移ったものと思われますが、事故機のプロペラブレードにハミルトンの商標が付いているなどから、まだかなりの部分で輸入部材に頼っているものと推定されます。
中島におけるダグラスDC-2の生産状況表 (上甲昇氏資料による)
判明機体
ダグラスC/N
中島C/N
登録記号
愛称
1
1323 (完成機NC14284輸入)
-
陸軍1001
2
1418 (日本向け組立て部品)
第1号(ノックダウン生産)
J-BDOH
富士
3
1419 (日本向け組立て部品)
第2号(ノックダウン生産)
J-BBOI
新高
4
1420 (日本向け組立て部品)
第3号(ノックダウン生産)
J-BBOO
霧島
5
1421 (日本向け組立て部品)
第4号(ノックダウン生産)
J-BBOQ
筑波
6
1422 (日本向け組立て部品)
第5号(ノックダウン生産)
J-BBOR
愛宕
7
-
第6号(中島製)
J-BBOT
阿蘇
8
-
第7号(中島製)
J-BBOU
金剛
9
-
第8号(中島製)
J-BBOV
伊吹
3 迷彩塗装と白帯
4 胴体白帯の民間登録の文字 の拡大
解 説
緑もしくは茶色の濃淡2色による迷彩塗装をし、 胴体には陸軍機の外征部隊識別の白帯があります 。
しかし、日の丸はありません。白帯の中には民間機登録記号を書いています。民間機であれば規程により尾翼にJ、胴体にJ-BBOTを大きく表示しなければなりませんが、それはありません。軍用機のようでもあり、民間機のようでもあります。日本航空機総集Vol 5 中島篇の1983.3.31改訂新版に「中島ダグラスDC-2旅客輸送機(陸軍徴用迷彩塗装機)」として真横の写真が掲載されています。迷彩と胴体の白帯(阿蘇号よりも太い)のほかは文字等は一切見えません。日の丸もありません。だからといって総集編者のように陸軍徴用と断定していいのかどうか、疑問が残ります。
それは、陸軍徴用迷彩塗装でありながら、日本航空輸送または大日本航空の旅客機として内台路線を飛んでいるからです。厳密に徴用機とするわけにはいきません。それを白帯の中のJ-BBOTが示しています。
日本政府の国策によって誕生した日本航空輸送株式会社については、当初から次のような協定があり、政府(つまり軍隊は)いつでも有償で日航輸の航空機等を使用できる権利を持っていましたが、DC-2については、内地と台湾の連絡飛行のスピードアップをはかりたい軍と日航の思惑によって導入された形跡がありますから、大陸戦線等を考慮してはじめから迷彩を検討していたとも考えられます。
政府ハ公益上必要卜認ムルトキハ相当ノ金額ヲ給与シテ各路線二使用スル飛行機ヲ買収シ又ハ使用スルヲ得ルコト。
政府ハ非常事変ノ際二於テ各路線ノ飛行機、格納庫其ノ他ノ設備及乗員並二地上勤務員ヲ使用スルヲ得ルコト。但シ此ノ場合ニハ相当ノ使用料ヲ支給スルコト 。本機は、1940年2月5日に大日本航空株式会社内台線下りの飛行中、那覇を離陸してまもなくエンジン不調で魚釣島に不時着し、乗員乗客は翌日全員救助されましたが、機体は大破し登録抹消されました。つまり最後は民間運用中ということでした。
以上のようなことから、「民軍共用機」というジャンルを設けておきましょう。
新 魚釣島事故新聞記事
吉田さんから紹介いただいた新聞記事内に当事故の記事がありました。
1940年2月6日 HOUJI SHINBUN https://hojishinbun.hoover.org より引用
記事内で「内台定期旅客機」と書かれています。
「遭難地點圖」と旧字で書かれていますが 遭難地点図のことです。(編)
以上 1940年2月6日 HOUJI SHINBUN https://hojishinbun.hoover.org より
5 上海飛行場で岸田史郎さんが修理 2008/03/08J−BAAIさんから連絡
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3 ダグラスDC2/DC-3関連のお話し
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