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c/nMU-2-036 MU-2B |
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c/nMU-2-801 LR-1(社内呼称MU-2C |
1967/05/11 |
初飛行 |
1967/07/10 |
陸上自衛隊へ引渡 明野航空学校で運用試験 |
1971/05/10 |
航空学校宇都宮校で訓練中に胴体着陸 |
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航空学校霞ヶ浦校で整備訓練機材として使用 |
1998〜99年ごろ |
解体廃棄処分 |
この表の1971/05/10欄にクラッシュ 詳細不明と記入しているのは、下記下郷資料によります。
製造番号 |
型式 |
シリアル・ナンバー |
所有者 |
創始日 |
終焉日 |
備考 |
801 |
LR-1 (MU-2C) |
22001 |
JGSDF・S/SI/SU |
67-07-10d |
71-05-10w |
ex-c/n 036,
67-05-11ff,
71-05-10cr |
終焉日欄のw(終焉)と備考欄のcr(クラッシュ)の日付が一致しています。従って、この機体が1971年5月10日に墜落し、用を成さなくなったことを示します。それで、この事故について調べているのですが、手持ちの雑誌にそれらしい記述が見当たりません。
一方、小栗新之助著「自衛隊青春日記」に次の記述があり、宇都宮北駐屯地で22001号機が胴体着陸した連続写真が掲載されています。
「1974年9月のある日、LR-1飛行機で、学生がタッチアンドゴー訓練中、機体の主脚1本を折った 〜 LR-1が学校配備になって初めての胴体着陸だった。」
問題は、その日付です。下郷資料による1971年終焉から3年後の1974年に航空学校宇都宮校で学生が訓練をしていたという矛盾です。どっちを信用していいのか分かりません。
質問 22001号機の最後について、ご教示ください。