HOME SITEMAP 日替わりメモ 質問箱 陸上自衛隊H-19研究へ
仮 説 3号機の一次的なナンバー付与ではないか? 2020/01/29 大石治生 シコルスキーS-55・H-19研究で館山基地で撮影された陸上自衛隊H-4002についてですが、1955年に引き渡された川崎KAL-2 タ-90001との一連の写真で写ってますので、シリアルナンバーを40002に変更されたH-4003が「H-****」の形式を「4***** JG-****」に変更する過渡期に機番整理のために付与されたものなのでしょうか? H-4002 1954/07/01 c/n55-691? 陸上自衛隊に引渡 H-4002 浜松航空学校に配備 1954/09/22 静岡県でクラッシュ (下郷資料による) 1954/10 廃棄 (下郷資料による) H-4003 1954/07/01 c/n55-692 陸上自衛隊に引渡 H-4003 浜松航空学校に配備 1956/11 シリアルナンバーを40002に変更 1975/03/20 用途廃止 また、千葉県茂原市の萩原交通公園に展示されていた機体についての情報があれば東京オリンピックで 映像中継に使用された機体についての調査に繋がるのですが。
仮 説 3号機の一次的なナンバー付与ではないか? 2020/01/29 大石治生
シコルスキーS-55・H-19研究で館山基地で撮影された陸上自衛隊H-4002についてですが、1955年に引き渡された川崎KAL-2 タ-90001との一連の写真で写ってますので、シリアルナンバーを40002に変更されたH-4003が「H-****」の形式を「4***** JG-****」に変更する過渡期に機番整理のために付与されたものなのでしょうか?
H-4002
H-4003
また、千葉県茂原市の萩原交通公園に展示されていた機体についての情報があれば東京オリンピックで 映像中継に使用された機体についての調査に繋がるのですが。
疑 問 下郷リストによれば、1954年7月に陸上自衛隊へ引渡され、2か月 半後の9月には大破して廃棄された、つまり真夏の間だけの現役で した。 しかし、館山航空基地の写真 、隊員が襟巻付きの冬の服装で、明らかに寒い時期の撮影です。 下郷リストのどこかが間違っているのでしょうか?
疑 問
下郷リストによれば、1954年7月に陸上自衛隊へ引渡され、2か月 半後の9月には大破して廃棄された、つまり真夏の間だけの現役で した。
しかし、館山航空基地の写真 、隊員が襟巻付きの冬の服装で、明らかに寒い時期の撮影です。
下郷リストのどこかが間違っているのでしょうか?
人物が冬服を着ている写真
館山航空基地 撮影 時期不明 大野芳希
下郷資料によるH-4002の経歴
1954/07/01 c/n55-691? 陸上自衛隊に引渡 H-4002 1954/09/22 静岡県でクラッシュ (下郷資料による) 1954/10 廃棄 (下郷資料による)
航空情報1954年月11号ニュースフラッシュの記事
1954年の台風14号では、9月11〜12日に、愛知、三重、岐阜県の東海地方を中心に記録的な大雨となり、孤立した町村が多かったので、22日に災害救援のヘリコプターが出動してもおかしくありません。 1956年11月陸上自衛隊がH-19のシリアルナンバーをJG-***形式に変更した際に、この機体を抜かしているので、その時に存在しなかったことは確かです。 ということは、1954年9月以降修理して、この写真のように使用状態にあったのかもしれません。 大破ではなかったのか? 因みに墜落記事を載せている図書は航空情報だけで、酣燈社版写真集自衛隊の航空機、雑誌世界の航空機、日本航空協会版日本航空史年表のいずれにも記載がありません。
1954年の台風14号では、9月11〜12日に、愛知、三重、岐阜県の東海地方を中心に記録的な大雨となり、孤立した町村が多かったので、22日に災害救援のヘリコプターが出動してもおかしくありません。
1956年11月陸上自衛隊がH-19のシリアルナンバーをJG-***形式に変更した際に、この機体を抜かしているので、その時に存在しなかったことは確かです。
ということは、1954年9月以降修理して、この写真のように使用状態にあったのかもしれません。 大破ではなかったのか? 因みに墜落記事を載せている図書は航空情報だけで、酣燈社版写真集自衛隊の航空機、雑誌世界の航空機、日本航空協会版日本航空史年表のいずれにも記載がありません。