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     合体メカの実例とシリアルナンバー変更の理由

合体メカの理由とシリアルナンバー変更の理由
62-7497の場合   真の497と偽の497
92-7939の場合
参考 三菱製F-86Fの銘板
参考 F-86の計器盤 各型

 

合体メカの理由とシリアルナンバー変更の理由

    
  航空自衛隊のノースアメリカンF-86Fの歴史を探るうえでの大きな障害は、主翼を入れ替えた機体が相当数存在したことです。研究の基礎として総数480機の各機毎の経歴を確かめることから始めなければなりませんが、そのリストづくりをたいへん困難なものにしております。

 航空自衛隊としては、あとでマニアや歴史家が困ろうが泣こうが知ったことではない訳ですが、それにしても、なぜこのような処置をとったのでしょうか。

@ 幸田恒弘さんの推論

 F-86Fの主翼交換に「合体メカ」という実にふさわしい呼び名をつけたのはハチロク研究家の幸田恒弘さんでした。

  合体メカそのものは、一種の部品取りということで当たり前の行為なのですが、F-86Fに限って異常に多いのは、当初は木更津基地内にモスボールされていた耐用年数(飛行時間)未了の主翼を持つF-86Fの有効活用であったと思われます。

 既にタカンやサイドワインダー改修を施している機体の主翼を取り換える必要が生じたときに、モスボール機を持ち出してこれらの改修をするよりも、手っ取り早く主翼だけを頂戴しろということです。木更津基地のモスボール機に限らず、耐用年数未了でまだ使える主翼ならどの機体のでもよかったのかもしれません。

A 佐伯の推論

 ご丁寧に親元の胴体のナンバーを変えてしまった機体があるのは、機材を眠らせておくのはおかしいじゃないかという批判に対抗するため、あたかも全機飛んでいるかのごとく偽装したのではないかと想像します。当時パイロット養成が間に合わなくて木更津に格納されていた機体(一部はそのまま米国へ返送)について、国会で議論になった事実があります。

B Aokiさんから反論

   佐伯さんのあたかも全機飛んでいるかのごとく偽装という説にどうも納得できません。F-86Fの寿命は、主翼の疲労度合いから決められていたと考えるのが自然だと思います。

であれば、合体メカを作った際に、胴体側の機体番号を与えてしまうと、せっかく若い主翼を付けたのに、胴体側の年齢で寿命が早く来てしまうことになります。管理上、より長く飛行機を使おうとして合体メカを作ったのであれば、主翼側の機体番号で管理しなければ、意味がないと思います。

 従って、合体メカに対する空自の措置は、マニアの眼から見れば不自然であっても、目的からすれば管理上の合理的な措置だともいえるでしょう。

結 論

 一般論としては、例えば、民間機は登録記号を胴体のかまちに打刻することが義務付けられているように、事故等の際に機体を確定する必要から胴体を固有番号としています。

 民間機で、主翼を取り替えたときに登録記号の変更を認める例があるのかどうか、疑問ですし、変えたところで実益はあまりないように思います。要は、航空局の検査で寿命を延ばしておけばいいだけのことです。

 自衛隊の場合には、その例外規定があるのかどうか知りません。想像ですが、シリアルナンバーの変更はF-86Fに限られた特殊な取り扱いであると思います。その理由は、AとBをミックスしたものではないでしょうか。

 あくまで推定に過ぎませんので、F-86F合体メカについて皆さんのご意見を承りたいと存じます。

 

7497

62-7497の場合  2018/02/23 全面的に書き換え

 
真の497と偽の497

 なんと 497がふたつ!! どっちが本物だ?? 大きな疑問を残す2枚の写真は滅多に見られない瞬間のたいへん貴重な記録です。

撮影1982 入間基地 予備三曹
 


撮影 緒形栄喜

 

まず、62-7497の経歴は正しいかどうか検討してみます。

F-86F-40NA 62-7497の経歴

 

USAF S/N 55-3937 

1956/08/08

航空自衛隊に供与 第2航空団など遍歴

1966/10

岐阜基地第2補給処に格納

  総隊司令部飛行隊に配属

1982

主翼を62-7456と交換

1982/03/15 航空自衛隊F-86F退役式で最後の滑走
1981/07/01 用途廃止
1981/11/03 入間航空祭に展示
  アメリカへ返還 米海軍が保管後払下げ 
 

カリフォルニア州 ウエスタン ミュージアム オブ フライトに展示

 予備三曹さんは、主翼を取り付ける交換作業で、左主脚を担当し、テストフライトで無事収納されるを見届けてほっとしたそうです。記憶では、取り換えた機体のシリアルナンバーは62-7456でした。交換作業の後でシリアルナンバーを62-7497に変たので、2機の同ナンバーが並ぶ結果となりました。

 真正の62-7497は、1982年3月に航空自衛隊F-86F退役式で滑走し、書類上は同年7月1日に用途廃止の手続きを行いましたが、同年11月の入間航空祭で展示されました。その際、整備員は銘板が62-7497であることを確認してくれたそうです。 

撮影1982/11/03 入間航空祭 たか

 次に、Western Museum of Flightのホームページに「The Museum’s F-86 (serial number 55-3937) was built in 1952 for the Japanese Air Self Defense Force (JASDF) and was the last F-86 in its inventory.」とあり、JASDFのF-86Fで、元米軍シリアルナンバーの55-3937と明記しております。

 これを信ずるならば真正の62-7497であることに疑いを入れる余地はありません。航空ファン自衛隊航空機オールカタログ(1999/11発行)にも詳細なレポートがあり、山康弘氏は機首に残る数字の痕跡から#497とみて間違いないとしています。

Western Museum of Flightにて 提供 予備三曹  


排気口カバーのプレート

 

 次に、主翼を真正の62-7497と取り換えた上に偽の62-7497となった62-7456の経歴を検討してみます。

F-86F-40NA 62-7456の経歴

 

USAF S/N 55-3877

1956/07/12

航空自衛隊に供与 第2航空団など遍歴

1977/05/09

第4航空団第7飛行隊で用途廃止 アメリカへ返還 (書類上のみ?)

 下郷資料には合体メカの記述が無いので、予備三曹さんの記憶による主翼取替が本機であるとすると、用途廃止後にアメリカへ送られることなく5年間経過して、入間で偽の62-7497になったわけです。

 

一応の結論

 F-86F退役式という大切なセレモニーを前に主翼を取り換えたのは、62-7497が式典で無事に飛んでくれるための措置だと考えられますが、5年前の退役機の主翼を充てたという事がどうしても理解できません。

 5年前の62-7456の退役理由が主翼以外の箇所の耐用年限又は故障であり、主翼は十分に使えるものだったとしても、何も5年前の機体を持ち出さざるを得ないほどハチロクが払底していたのでしょうか。1982年3月15日を過ぎてもアメリカへ返す予定の機体があったのに、それらを使う考えはなかったのでしょうか。

 また、常識的には、主翼を取られた飛行機はそのままスクラップ場行きだと思うのですが、#456にわざわざ#497の欠陥主翼を取り付けて、しかもシリアルまで#497にしてしまうという、その手間はいったい何故?

 数ある合体メカの中で、この両機の扱いが最も分かりにくい例の一つであります。 

 と、いまだに疑問が残りますが、真の62-7497が、航空自衛隊F-86のラストフライト(雨のため滑走のみ)を行い、現在は、カリフォルニアの博物館に健在という事実だけは確定しておきたいと存じます。

       

7939

92-7939の場合

 

 宮城県の瀬峰場外離着陸場に置いてあったF-86F 92-7939です。左写真は、里帰り零戦が仙台空港から飛来すのをる待っている人々です。この時に、機体をこまかに観察した伊藤憲一さんは、キャノピーナンバーが92-7877となっているのを発見しました。

撮影 瀬峰場外離着陸場1978/11/11  伊藤憲一

撮影 瀬峰場外離着陸場1989/08  シシオ

 第1節の例でいくと、#877の胴体に#939の主翼をつけて、シリアルナンバーも#939に変えてしまったということが考えられます。

           

 一方機首に#877と書いている機体については、AIR JAPAN に1979年7月に松島基地内で用途廃止状態にあった写真とともに「福島県ハワイアンセンターにあったものを引き上げてきた」とのっています。

福島県ハワイアンセンターから引き上げて松島基地に保管(放置状態) 撮影1979/07 遊佐 豊

 更に、1979年9月に、伊藤憲一さんが岩手県江刺市の町外れにあった#877を見ています。

 写真と手記を整理してみると次のようになります。

1978/11/11 

瀬峰場外離着陸場で#939撮影 キャノピーナンバー92-7877を確認

詳細時期不明

福島県ハワイアンセンターに#877があった

1979/07

松島基地内で#877撮影

1979/09 

江刺市内で#877目撃

1989/08 

瀬峰場外離着陸場で#939撮影

 いずれも用途廃止後の記録なので、#877の現役時代に#939の主翼を貰って飛び、#939#877と書き換えられて用途廃止、福島県ハワイアンセンター→松島基地→江刺市と置き場所が変わっていったと推定するしかありません。しかし、両機が合体されていたらしいことは間違いないでしょう。

 

 

三菱
参考 三菱製F-86Fの銘板

○  三菱製ノースアメリカンF-86Fの銘板

 TADYBEARさんにガラクタの中から是非探し出してほしいとお願いしましたら、ミニカー棚から発見したそうです。
 誤解を恐れずにいうなら、雑誌・インターネットを通じてF-86の銘板を公開できたのは初めてです。歴史派・記録派マニアにとっては感激ものであります。

 

 何故かというと、解体ショーで取り外してきたTADYBEARさんもコックピット後方のどこにあったか詳しく覚えていないというほどややこしい場所に貼ってあり、なかなか見付けられないからです。この時は、キャノピーがはずしてあったそうですが、浜松広報館ではキャノピーが開の状態で展示なので、佐伯が座席の後ろを確認しようと首を突っ込んだらボランティアさんに露骨に嫌な顔をされたというようなこともありました。

 そもそも、F-86の銘板にこだわるのは、主翼を付け替えた合体メカや、シリアルナンバーを替えた機体が存在するために、未だに全機の確実な経歴リストが作られていないという事情からです。 

 92-7879の銘板が出てきたことをきっかけにして、せめて残存しているF型とD型のすべてのプレートが確認できることを願うものです。

○ 銘板の貼り付け位置

航空自衛隊浜松広報館エアパークのF-86F 操縦席後方の左サイドで確認できました。

撮影2010/05/01 TADY BEAR 



 

 

射出座席
   F-86Fの射出座席銘板

○  三菱製ノースアメリカンF-86Fに取り付けられていた射出座席の銘板とアメリカから貸与された機体の射出打席の名盤の違い

 F-86Fの射出座席を確認していたら銘板が三菱製とアメリカからの貸与品のものが大きく異なっていたので紹介しておきます。
 
アメリカからの貸与機体

機体番号 02-6418   経歴 リンク
撮影 イガテック (収集品)


銘板取り付け位置


背もたれ機番表示



三菱製機体

機体番号 02-7950   経歴 リンク
撮影 イガテック (収集品)


背もたれ機番表示



 貸与機の座席製造時期が1953年です。 機体を受領したのが1956年ですので 当時はこのデザインの銘板が使用されていたようです。 
 他の国産機体も確認しましたが 後者のシンプルな銘板が使われていました。
 貸与機はアメリカに返還されたことになっているので国内で解体されたのでしょうか? 気になるところです。 (編)


 

計器盤

F-86の計器盤 各型計器盤  蒐集 O.C,C.

1 F-86F-30の計器盤 ノースアメリカン製. 62-7427

2 F-86F-40の計器盤 三菱製

3 F-86F-40 TACAN改修の計器盤 三菱製 02-7946

4 F-86D-45の計器盤 ノースアメリカン製