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日本は米軍が日本国内に駐在することを認める
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米軍と自衛隊は有事の際に協力する
航空歴史館
ノースアメリカンF-86セイバーの歴史年表
1944〜1948年 1949年 1950年 ■の枠内は日本及びその関連事項 以下同じ 1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 未完 新 航空自衛隊のF-86Fの機数変遷
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 14 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 西暦 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 合計 空自へ納入 7 132 114 95 72 51 9 480(注2) 内訳 供与 7 128 135 三菱製 4 114 95 72 51 9 300 用途廃止 12 9 60 12 15 13 4 20 4 9 5 2 5 3 3 6 3 8 24 39 35 81 47 37 13 12 480 内訳 事故消失 11 2 3 5 9 10 4 6 2 7 1 4 1 2 5 1 1 1 1 2 78 米へ返還 45 15 1 7 44 10 3 59 5 1 190 保有機数 7 139 241 327 339 378 372 359 356 336 332 323 318 316 311 308 305 299 296 288 264 225 190 109 62 25 12 0 一時保管 75 75 16 22 27 26 26 26 26 26 26 26 26 26 23 20 12 12 6 0 実働機数 7 139 166 252 339 378 372 359 356 336 316 301 291 290 286 282 279 273 270 262 238 199 167 89 50 13 6 0 (注1) 下郷資料から独自に摘出した数字であり、検証はしていない
(注2) 1959年に未使用(木更津基地に保管)のまま米に返還した45機を除く実質納入機数は435機である
年表
1944〜1948年 | |
1944/11 | 米陸軍 ノースアメリカン社に高性能ジェット戦闘機の開発を指示 |
1944/12 | 米海軍 ノースアメリカン社に艦上ジェット戦闘機の開発を指示 |
1945/01/01 | 米海軍 XFJ-1(NA134) 3機発注 |
1945/05/11 | 米陸軍 XP-86(NA140)の設計案を認可 |
1945/05/18 | 米陸軍 直線翼スタイルのXP-86(NA140)のモックアップ審査で、不許可とした |
1945/05/28 | 米海軍 FJ-1(NA141) 100機発注 |
1945/08 | ノースアメリカン社がXP-86に後退翼採用を計画 |
1945/09/18 | ノースアメリカン社が後退翼のXP-86 1/23スケールモデルの風洞試験を開始 |
1945/11 | 米陸軍 XP-86(NA140) 3機発注 |
1945 | GE社が、軸流式ジェットエンジンTG-180 → J-35-GEを開発 |
1946/02/28 | 米陸軍 後退翼のXP-86(NA140)のモックアップ審査で承認 |
1946/08/09 | XP-86(NA140)の組立を開始 |
1946/11/27 | XFJ-1(NA134) 1号機(39053)が初飛行 発動機J35-GE-2 |
1946/12/20 | 米陸軍がP-86として33機発注 |
1947/08/08 | ノースアメリカン社イングルウッド工場でXP-86(NA140) 1号機(45-59597)が完成 発動機J35C-3 |
1947/09/18 | 米軍再編成、空軍が独立 |
1947/10/01 | XP-86 1号機(55-5957)ムーラック空軍基地で初飛行 |
1947/10 | FJ-1(NA-141)を米海軍に引渡開始 |
1947/10/16 | 米空軍 ノースアメリカン P-86A-1(NA151)を33機発注 |
1947/10/16 | 米空軍 ノースアメリカン P-86B(タイヤの大型化など改良)を190機発注 |
1947/12/16 | 米空軍 F-86Bの発注を取り消し。 |
1947/12/16 |
米空軍 F-86A-1(NA151)188機
発注 発動機はジェネラルエレクトリック社で開発中のJ-47を指定 |
1948/03/10 | 米海軍が空母ボクサーでFJ-1の離着艦テスト実施 |
1948/04 | FJ-1 30機引渡完了 |
1948/04/26 | XP-86 1号機(45-59597)が音速を突破 発動機J35-A-5(製造権GE社 → アリソン社に譲渡) |
1948/05/20 | P-86A-1(NA151) 1号機(47-605)が初飛行 発動機J-47GE |
1948/05 | ノースアメリカン社が全天候戦闘機P-86D(NA164)の開発を開始
J47-GE-17 発動機アフターバーナー付発動機、燃料自動電子システムなど採用のJ47-GE-17 |
1948/06/01 | 米軍用機名称変更 戦闘機 [P] Pursuit → [F] Fighter |
1948/06/09 | 米空軍 F-93A(F-86C)を118機発注 |
1948/09/15 | F-86A-1(47-611)が速度世界新記録 1077.855km/h |
1948/09/23 |
F-86A-1(47-610)の発動機をJ-35からJ-47GE-7に換装しテスト開始 |
ここまでが、直線翼のFJ-1フューリーの開発と生産、その陸軍型に後退翼の思想を取り入れたP-86、それのエンジンをGE社のJ-47に換装して、名戦闘機F-86セイバーが誕生するまでの4年間の歴史です。 |
1949年 1949 | |
1949/01 | 米空軍 F-93A(F-86C)契約をキャンセル |
1949/02 | 1st Fighter Interceptor Gurup 94th Fighter Interceptor Squadron にF-86A-1を配備開始 |
1949/02 | 1st Fighter Interceptor GurupがF-86Aのニックネームを募集し、Saberに決定 |
1949/03 | J-47GE-13を搭載したF-86A-5(NA161)の引渡開始、合計333機生産 |
1949/06/01 | ノースアメリカン社 F-86D(NA165)のモックアップ完成 |
1949/08/09 | 米空軍 YF-86D2機、F-86D122機発注 |
1949/08 | カナダ空軍 カナデア社にF-86Aライセンス生産100機を発注 |
1949/09 | F-86A-1(NA151) 188機引渡終了 |
1949/11/15 | ノースアメリカン社 オールフライングテイル等に改良したF-86Eの設計案を提出 |
1949/12/22 |
YF-86D 原型1号機(50-577)初飛行 発動機J47-GE-17( 電子燃料管制装置、アフターバーナー付) |
1949年の動きをまとめてみました。F-86A-1の部隊配備が開始され、そのトップを切ったHat
in the Ringのエンブレムで有名な94th Fighter
Interceptor
Squadronが属するグループが名称を募集したところ400件近い応募があって、その中から”SABER”が選ばれたのでした。SABERは、サーベル(仏)です。ハチロクの肢体からの連想、或いは左下のフューエルベントがサーベルを吊り下げた姿からだともいわれています。 |
1950年 1950 | |||
1950/01/17 | 米空軍 F-86E(NA-170)111機発注 | ||
1950/01/25 | YF-93A(F-86C) 48-317 初飛行 | ||
1950/06/25 | 朝鮮戦争勃発 | ||
1950/07/31 |
ノースアメリカン社
発動機をJ47-GE-27としたF-86F(NA-172)の設計
を開始 |
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1950/08/09 | カナダのCL-13 Mk1 1号機 RCAF19101 初飛行 | ||
1950/08/10 | 警察予備隊発足 | ||
1950/08/19 | ノースアメリカン社 F-86A-1 49-1069にオレンダ発動機を搭載F-86A-5(NA-167)生産開始 | ||
1950/09/23 | F-86E-1 1号機 50-579 初飛行 | ||
1950/10 | カナダのCL-13 Mk2 1号機 RCAF19102 初飛行 | ||
1950/10 | F-86A-5(NA-167) 339機引渡完了 | ||
1950/11/01 | 中共空軍のMig-15が参戦 | ||
1950/11/29 | 4th Fighter Interceptor WingのF-86A 横須賀到着金浦 | ||
1950/12/13 | 4th Fighter Interceptor WingのF-86A 金浦から初出撃 | ||
1950/12/17 | F-86A Mig-15を初めて撃墜 | ||
1950/12 | ノースアメリカン社 オハイオ州のコロンバスの工場でF-86の製造準備に着手 | ||
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1951年 1951 | |
1951/02 | 米海軍 FJ-2 300機発注 |
1951/02/22 | オーストラリア政府がセイバーの国産化を決定 |
1951/04/12 | 朝鮮戦争 Mig-15がB-29爆撃機を8機撃墜 破、 B-29の単独飛行が不能になる |
1951/03/16 | ノースアメリカン社 F-86H(NA-187) 計画案を空軍に提出 |
1951/03 | ノースアメリカン社 F-86D-1の引渡を開始 |
1951/04/12 | 米空軍 F-86F(NA-172) 109機発注 |
1951/05 | F-86E-1(NA-170) 生産終了 |
1951/06 | 米空軍 F-86F(NA-172) 109機 を360機に増加発注 |
1951/06/17 | 朝鮮戦争 F-86 空襲で初の被害 |
1951/07 | 米空軍 F-86H(NA-187) モックアップ審査 |
1951/09/08 | 対日平和条約、日米安全保障条約調印 |
1951/09 | ノースアメリカン社 J-47GE-27発動機不足のためF-86FをF-86E-10(J-47GE-13)に切替 |
1951/10 | 米空軍 F-86H(NA-187) 150機発注 |
1951/10 | ノースアメリカン社 F-86A-5の一部をRF-86Aに改造 |
1951/10/26 | ノースアメリカン社 F-86FのFB型の設計を開始 |
1951/10/23 | 朝鮮戦争 Mig-15がB-29爆撃機を7機撃墜破、B-29の昼間行動が不能になる |
1951/11 | 朝鮮戦争 F-86E朝鮮で51st Fighter Interceptor WingのF--80と交替 |
1951/11 | 朝鮮戦争 Mig-15bis 出現初飛行 |
1951/12/19 | 米海軍 XFJ-2B(133756) 初飛行 |
1950年暮れにハチロクの宿敵となるミグ15が朝鮮に現れ、1951年に入ると、それまで悠々と爆撃をしていたボーイングB-29に襲い掛かります。これには、F-80やF-84でも歯が立たず、空軍はノースアメリカン 社にF-86のE型F型の増産を急がせます。海軍は、直線翼のFJ-1ヒューリーを後退翼のF-86型にしたFJ-2に切り替えて大量発注し、戦線に投入します。F-86セイバー史の激動が始まる訳です。 |
1952年 1952 | |
1952/03/19 | F-86F-1(NA-172) 51-2850 初飛行 |
1952/03 | ノースアメリカン社 FJ-3 開発に着手 |
1952/05 | F-86E-10(NA- ) 生産終了 |
1952/05 | F-86F-20NH(NA-176) 初号機51-13070 初飛行 |
1952/06 | 朝鮮戦争 F-86F-1(NA-172) 84th Fighter Interceptor Wingに配備 戦闘行動開始 |
1952/08/05 | 米空軍 F-86F-30(NA-191) 109機発注 |
1952/05 | F-86E-1(NA-170) 生産終了 |
1952/06 | 米空軍 F-86F30NA(NA-172) 967機発注 |
1952/08 | ノースアメリカン社 6-3ウイングのテストを開始 |
1952/08/01 | 保安庁、保安隊発足 |
1952/09 | セイバーの初号機XP-86 45-59597墜落 |
1952/09 | ノースアメリカン社 F-86F-20NH(NA-176) 引渡開始 |
1952/10 | ノースアメリカン社 FJ-2 初号機(131927) 完成 |
1952/10/19 | 米空軍 F-86F-30NH(NA-193) 259機発注 |
1952/10 | NATO フランスにCL-13によるNo.2 Wing編成 |
1952/10 | アメリカ政府 CL-13 Mk.2 Mk.4をF.2 F.4としてイギリスへMDAP供与開始 |
1952/11/03 | 米空軍 F-86H(NA-187) 150機 を175機に増加発注 |
1952/11/19 | F-86D 1,124.137km/h世界速度新記録樹立 |
1952/10 | 米海軍 XFJ-2 空母コーラルシーで着艦テスト |
1953年 1953 | |||
1953/01 | ノースアメリカン社 F-86F-20NH(NA-173) 10機引渡完了 | ||
1953/01 | ノースアメリカン社 F-86F-25NH(NA-176) 引渡開始 | ||
1953/01 | ノースアメリカン社 F-86F-35NH(NA-191) 生産 開始 | ||
1953/02 | 経団連が防衛産業マスタープランを日米両政府に提出 (この中にF-86F国産化も含まれていた) | ||
1953/03/04 | 朝鮮戦争 米空軍 F-86E-10に20mm機銃4門を付けて実戦テスト実施 | ||
1953/04/30 | XF-86H 初号機52-1975 初飛行 | ||
1953/05/18 | ジャクリーン コクラン CL-13 Mk.3 19200 で女性世界速度新記録樹立 1,049.83Km/h | ||
1953/05 | ノースアメリカン社 F-86K 開発開始 | ||
1953/05/05 | ダレス国務長官 54会計年度に日本向けMSA(防衛援助計画)の予算を計上すると発表 | ||
1953/06/11 | 米空軍 F-86H-10(NA-203) 300機発注 | ||
1953/06 | 米空軍 立川基地でF-86F-30を写真偵察機のRF-86Fに改造 Haymaker計画 | ||
1953/06 | 米空軍 F-86Dによる初の防空軍団編成 | ||
1953/07/15 | 日米がMSA(相互安全保障条約)交渉を開始 | ||
1953/07/21 | カナダ CL-13A Mk.5 初号機23001 初飛行 | ||
1953/07 | 米海軍 FJ-2 発注300機を200機に削減 | ||
1953/07/03 | XFJ-3 初飛行 | ||
1953/07/16 | F-86D-30NA 51-6145 世界速度記録更新 1,151.88Km/h | ||
1953/07/27 | 朝鮮戦争 休戦協定締結 | ||
1953/08/03 | オーストラリア製セイバー コモンウエルスCA-26 発動機R/RRエイボンRA7(3402kg) 初飛行 | ||
1953/08 | ノースアメリカン社 F-86F-25NH(NA176) 341機生産終了 51-13070〜13169 | ||
1953/08 | ノースアメリカン社 F-86F-25NA(NA193) 生産開始 51-13170〜13510 | ||
1953/09 | NATO 西ドイツにCL-13によるNo4 Wing編成 | ||
1953/09/04 | F-86H-1 初号機52-1977 初飛行 | ||
1953/10/16 | 米海軍 FJ-4 発注 | ||
1953/10/30 |
池田・ロバートソン会談共同声明発表 日本の防衛力漸増計画
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1953/12/14 | TF-86F 初号機 初飛行 するも墜落 | ||
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1954年 1954 | |
1954/03 | F-86F-25NH(NA-193) 259機生産終了 52-5272〜5530 |
1954/03/04 | 日米でMDAP(相互武器援助協定)の4協定締結 |
1954/05 | ノースアメリカン社イングルウッド工場でF-86Fの生産を終了 |
1954/07 | ベトナム ディエンビエンフー陥落 フランス軍敗北 |
1954/07/01 | 防衛庁、三自衛隊発足 |
1954/07/13 |
新三菱重工がノースアメリカン社とF-86FのIRAN技術契約締結 |
1954/07/13 | オーストラリア製セイバー コモンウエルスCA-26 Mk.30 量産1号機 A94-901 初飛行 |
1954/07/15 | YF-86K 初飛行 52-3630 |
1954/08/17 | TF-86F 2号機初飛行 53-1228 |
1954/09/03 | 中共が台湾金門島を砲撃開始 |
1954/09/06 | 東南アジア条約機構(SEATO)成立 |
1954/09 | 米海軍 FJ-3 初の配属 VF173 |
1954/10/28 | XFJ-4 初飛行 139279 |
1954/10/28 | ノースアメリカン社 F-86F-40(NA-227) 設計開始 |
1954/11/02 | カナダのCL-13B Mk6 1号機 23371 完成 |
1954/11 | 米空軍 台湾へ F-86F 供与開始 |
1954/11/19 | 日米でMDAP(相互武器援助協定)の武器貸与交換公文を発表 |
1955年 1955 | |
1955/01 | F-86H-10 引渡開始 |
1955/02/06 | アメリカ第7艦隊 台湾海峡に集結 |
1955/02/19 | 東南アジア条約機構(SEATO)発足 |
1955/05 | FJ-3 VF-173 初 空母ベニントンに搭載 FJ艦載機の空母初実戦配備 |
1955/06/03 | 日米でT-33A、F-86F日本国産の覚書締結 |
1955/05/25 | 米空軍 F-100 3機が木更津に泊着 横田基地に配備 |
1955/06/27 | 米空軍 ノースアメリカン社にF-86F-40(NA-227) 215機発注 55-3816〜4030 |
1955/08/24 | 外資審議会が新三菱重工とノースアメリカン社のF-86F-40生産技術援助契約を承認 |
1955/09/04 | 台湾 金門、厦門地区で砲撃戦激化 |
1955/09 | 米空軍 韓国にF-86 30機供与 合計35機となる 目標は100機 |
1955/09 | ノースアメリカン社 F-86D 生産終了 |
1955/09/22 | 航空日行事 三越百貨店屋上にF-86Fを展示 米軍用途廃止機に日の丸を描画 |
1955/10 | ノースアメリカン社 F-86F-40(NA-227) 1号機(55-3816)完成 |
1955/12/22 |
米空軍 木更津で航空自衛隊へF-86F-25 F-86F-30を初供与 52-7401〜7407の7機 |
1956年 1956 | |
1956/01/10 | 浜松に航空自衛隊航空団設置 築城基地でF-86Fの訓練を開始 |
1956/01/23 | 在欧米空軍がF-86Fを全機F-100に機種変更すると発表 7sq×25機 |
1956/03/01 | 航空自衛隊航空団のF-86Fが築城基地で初公開飛行実施 |
1956/03/09 | 新三菱重工業 F-86F-40 ノックダウン生産開始 |
1956/04/11 | ノースアメリカン社 F-86H-10 引渡完了 |
1956/06 | カナディア社 CL-13B Mk6 コロンビア空軍に引渡開始 |
1956/08/09 | 新三菱重工業 F-86F-40-MIT ノックダウン1号機 62-7701 初飛行 |
1956/09/14 | 韓国空軍 F-86F F-51から成る3ウイングを編成 |
1956/10/01 | 築城の航空団を第1航空団と改名 第1飛行隊編成 |
1956/10/01 | 浜松に第2航空団第3飛行隊編成 |
1956/10 | ノースアメリカン社 F-86L 完成 |
1956/10 | スペイン空軍 F-86F-40 13機受領 |
1956/11/14 |
米空軍 板付基地 5w8FTWにF-100 6機到着 配備開始 |
1956/12/04 | ノースアメリカン社 FJ-4B 1号機 139531 初飛行 |
1956/12/28 | ノースアメリカン社 F-86F-40(NA-227) 最終号機完成 55-5047 |
1957年 1957 | |
1957/01/09 | 第1航空団のF-86F 2機が空中衝突 航空自衛隊F-86F初の事故 |
1957/02/01 | 第1航空団第5飛行隊編成 |
1957/04/09 | 日米でT-33A、F-86F日本国産第3次協定締結 T-33A 33機 F-86F 120機 |
1957/04 | 米空軍 日本、沖縄、韓国、台湾に F-86G 配備 |
1957/05/01 | 第2航空団が浜松から千歳に移動開始 09/02 千歳基地で編成完了 |
1957/05 | 石川島播磨重工田無工場でJ-47GE-27の生産を開始 |
1957/07 | 米軍F-86D 70機供与の意向表明 |
1957/09 | 新三菱重工業 F-86F-40-MIT 第2次発注純国産機生産開始 |
1957/10 | フランス空軍 F-86K 配備開始 |
1957/11 | 住友金属工業がF-86F の脚オレオ生産開始 |
1957/12/01 | 松島基地に第3航空団編成 |
1957/12/17 | 新三菱重工業 F-86F-40-MIT(NA-231) 第1次発注ノックダウン 最終号機 72-7770まで生産完了 |
1957/12/28 | 新三菱重工業 F-86F-40-MIT(NA-238) 第2次発注純国産機 1号機 72-7771 引渡 |
1958年 1958 | |
1958/02/28 | 米空軍 航空自衛隊にF-86D 引渡開始 立川で81-8401、8402 |
1958/03/29 | T-33A、F-86F国産第3次契約締結 T-33A 33機 F-86F 120機 |
1958/04/28 | 第2航空団にスクランブル体制を指令 |
1958/06/06 | 供与F-86D 15機 横須賀に到着 |
1958/08/01 | 航空総隊、北部方面隊、中部方面隊編成 |
1958/08/01 | 第1航空団第1飛行隊が築城から浜松に移動 |
1958/08/01 | 第2航空団が浜松から千歳に移動開始 09/02 千歳基地で編成完了 |
1958/10/19 | 浜松北基地開庁記念式典で、第1航空団のF-86Fが発のアクロバット飛行を公開 |
1958/11/01 | 浜松の第5飛行隊が松島の第4航空団に移動 |
1958/09/16 | 小牧基地が全面返還される |
1958/10/09 | カナダ CL-13B Mk6 最終号機(c/n1813) 西ドイツ空軍に納入 |
1959年 1959 1957 | |
1959/02 | 航空自衛隊 供与機中45機をアメリカに返還 62-7536〜62-7580 |
1959 | 防衛庁 第3次発注の工期を9か月延伸を検討 要員の教育遅延と次期戦闘機決定までの空白考慮 |
1959/02 | 航空自衛隊 供与機中45機をアメリカに返還 62-7536〜62-7580 |
1959/02/14 | 新三菱重工 第2次発注最終号機 F-86F-40-MIT(NA-238) 92-7880 引渡 |
1959/02/28 | 新三菱重工 第3次発注初号機 F-86F-40-MIT(NA-256) 92-7881 引渡 |
1959/03/01 | 航空自衛隊F-86D初の部隊 第102飛行隊を第3航空団に編成 |
1959/03/11 | 松島基地で整備員がF-86Fインテークに吸い込まれる事故発生 |
1959/03/26 | 第2航空団がF-86Fによる射撃訓練を北海道日高海岸で開始 |
1959/05/12 | 第3航空団が松島から小牧に移動 |
1959/06/01 | 浜松の整備学校を第1術科学校に再編 |
1959/08/01 | 千歳の第2航空団に第6飛行隊編成 |
1959/08/08 | 源田空幕長を団長とする次期戦闘機調査団を各国へ派遣 |
1959/09/16 | 木村秀政氏を団長とする次期戦闘機民間調査団を各国へ派遣 |
1959/11 | 防衛庁 F-86F-40にサイドワインダー2発搭載を計画 |
1959/12/01 | 松島に第5航空団編成 |
1960年1960 | |
1960 | ロケットエンジン搭載のF-86FRのテスト開始 米、日で検討 |
1960 | 第1航空団アクロバットチームを空中機動班として編成スモーク発生装置完成 |
空中機動班機にスモーク発生装置完成 | |
1960/01 | 空中機動班のコールサインがインパルスブルーに決定 |
1960/03/04 | 空中機動班が浜松基地でチェックフライト 空幕の許可を得た |
1960/05/21 | 空中機動班がジョンソン基地で全機スモークの公開飛行 |
1960/10 | 空中機動班をブルーインパルスと命名 |
1960/10/22 | 浜松北基地開庁記念式典でブルーインパルスの新塗装披露 |
1959/12/06 | 新三菱重工業とF-86F-25と-30 18機をRF-86Fへ改造契約締結 2億6千万円 納期1961/12/20 |
1961年 1961 | |
1961 | 防衛省 ロケットエンジン搭載のF-86FRの不採用を決定 |
1961/02/24 | 国産のF-86F-40最終号機 02-7000完成 |
1961/03/08 | 供与F-86D 最終号機引渡 |
1961/07/01 | 第5航空団が浜松から新田原に移動 |
1968/11/28 | 新三菱重工業 RF-86F 1号機を引渡 52-6401 |
続く