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質問箱050

質問10/03/16
新 追加19/11/29一応解決

  
   
 JT001・JT002の日航ビーチクラフトH-18?

 

更 JT001 JA5030 元伊藤忠 機と判明
更 JT002 元UC-45F 67126と判明

 

JT001の日航ビーチクラフトH-18? PAPPY

 
 
写真はJALの訓練機のビーチクラフトH-18尾輪式と思いますが,"JA"ではなく"JT"なのです。
”日本たばこ産業”でもないしJAL TRAINERの略で"JT"かなと思いを巡らしています。

 これって何? 教えて下さい。時期ははっきりしませんが1970年代前半の羽田整備場裏手での撮影です。

  


2010/03/18 その機体は河口湖自動車博物館にあります  佐伯邦昭

 或る方から連絡を受けて、河口湖自動車博物館で撮った写真を調べてみました。ありました。また、ヒコーキ雲にも2004、2007、2009の各年の記録にも掲載しています。A3901参照 (いずれも館外のF86とT33の並びに置いてあり、撮影可でした)

撮影2007/08/30 佐伯邦昭
 

コックピット計器盤からは、ラジオコールナンバーなどは見られなかった

 羽田整備場で写された機体と河口湖自動車博物館の機体では、胴体帯とJT001の書き方が違っていますす。


2010/03/19

 藤原洋さんから、JALアーカイブスからの答えとして第一報が届きました。要旨は次のとおりです。

 1960年代のジェット時代を迎えてJALは羽田に乗員訓練所と整備訓練所を設け、この機体は整備訓練所の初歩技能訓練用に使ったビーチクラフトD-18と思われる。訓練は、塗装、配線、動翼着脱などが行われた模様で、写真は第2機体工場をバックに第2整備工場の軒下から写したもので、時期は1972年2月〜6月ではないかと思われる。 

PAPPYさんからメール

 佐伯さん、お忙しいのにいろいろご尽力頂き感謝しています。流石、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の威力はすごいですね。2〜3日でこれだけの情報が集まってくるとは、河口湖には驚きました。 整備用訓練機ならばJT-001で問題なく納得しました。長年の疑問が解消しすっきりしました。
 藤原洋様とアーカイブスの吉田仠様にもお礼を申し上げます。また第2報があればよろしくお願いいたします。 あの頃は、整備訓練所のことは知りませんでしたが、羽田のターミナルで撮影してもフィルムを56枚残し帰りがけに整備場裏手に寄っていました。ここには保安庁機や、新聞社の機体や、民航機が駐機しており、たまには珍しい機体があったりします。当時はフェンスもなくセキュリティも甘く黄色のCABのパトロールがいなければ誰何されることもなく写真が撮れる良き時代でした。


新 2019/11/29  BeechCraftA36さんによる調査

 BEECH 18 PRODUCTION LIST ? PART ONEに、198年にNobuo Harada氏が第二次大戦機のコレクションの中に加えたという記事がありました。よって、次の表が成立しました。本機のオリジナルは、米陸軍航空隊のC-45F 43-35888であり、次いで伊藤忠航空のJA5030、日航整備訓練所のJT-001、河口湖自動車博物館のスクラップ置き場という経緯をたどっています。 

1944/06/13 c/n6653   C45F-BH  43-35888A (UC-45F 43-35888説あり)
1948 木更津の部隊 
  払い下げ 時期不明
1956/11/22 JA5030登録 大和航空 機首ナンバー bP 定置場調布飛行場  伊藤忠のC-45(C18S)参照
1961/09/15 伊藤忠航空輸送(商号変更)
1969/10/03 抹消登録
  日本航空整備訓練所の整備訓練機材 JT001と記入  
1987 河口湖自動車博物館が所有

 

002

 

JT002も居ました 飛行浪人  新 BeechCraftA36
 

 JTナンバーのビーチH-18ですが、私はJT002を撮影していました。塗装は初代日航のでした。
 時期ははっきりしませんが1980年頃、大阪の千里中央でのジャンク市会場でした。

  

以下 クローズアップ



2010/03/27日替わりメモ

○ JT002も居ました

 JT001の正体が判明したら、またまた驚くべき写真が届きました。大阪千里中央でビーチクラフト18のC又はD型が分解されて丸ごとジャンク市にかけられております。その右主翼と胴体に残るナンバーがJT002です。JT001の写真に見られる左翼のJALと胴体のJAPAN AIR LINESなる文字はありません。
 1機まるごと分解し、それを並べて販売するという、近頃はやりのマグロの解体ショーを連想するような写真を見ながら、儲かるとの成算があってのことなのか、利潤度外視の宣伝目的なのかさまざまな思いがわいて来ると同時に、マニアとしてはこの可哀そうな航空機の本来の所属やナンバーを知って線香の1本でも手向けてやりたい気になります。日本航空の整備OBさんからの連絡を待ちたいです。
 もうひとつ、ジャンク市に来ている人々の手に写真機が見えないのが注目です。今時こんなことをすれば、ご婦人がたまでが携帯やデジカメを向けますが、1980年頃では、ジャンク品のためにフィルムを使うなどもってのほかということだったのでしょう。それだけに飛行浪人さんの撮影は、世相とこのビーチ機の末路を伝える 大切な記録となりました。ありがとうございました。


新 2019/11/29 BeechCraftA36さんから

 最近昔のモノクロネガを整理している中で、JT001/002に関する資料が出て来ました。岩国に居たUC-45F 67126(海兵隊の連絡機UC-45J参照)と判明しました。ただ、米海兵隊用廃後から日航整備訓練所に至る経緯は不明です。

  撮影1975/10/18 BeechCraftA36

東京から大阪まで輸送


SNB-5 / 67126のプレート

新明和工業のメンテナンス記録プレート


1969/12/28に伊丹で撮影したNAVY時代の同機  海兵隊の連絡機UC-45J参照