写真はJALの訓練機のビーチクラフトH-18尾輪式と思いますが,"JA"ではなく"JT"なのです。
”日本たばこ産業”でもないしJAL
TRAINERの略で"JT"かなと思いを巡らしています。
これって何? 教えて下さい。時期ははっきりしませんが1970年代前半の羽田整備場裏手での撮影です。
2010/03/18 その機体は河口湖自動車博物館にあります 佐伯邦昭
或る方から連絡を受けて、河口湖自動車博物館で撮った写真を調べてみました。ありました。また、ヒコーキ雲にも2004、2007、2009の各年の記録にも掲載しています。A3901参照 (いずれも館外のF86とT33の並びに置いてあり、撮影可でした)
撮影2007/08/30 佐伯邦昭
コックピット計器盤からは、ラジオコールナンバーなどは見られなかった
羽田整備場で写された機体と河口湖自動車博物館の機体では、胴体帯とJT001の書き方が違っていますす。
2010/03/19
藤原洋さんから、JALアーカイブスからの答えとして第一報が届きました。要旨は次のとおりです。
1960年代のジェット時代を迎えてJALは羽田に乗員訓練所と整備訓練所を設け、この機体は整備訓練所の初歩技能訓練用に使ったビーチクラフトD-18と思われる。訓練は、塗装、配線、動翼着脱などが行われた模様で、写真は第2機体工場をバックに第2整備工場の軒下から写したもので、時期は1972年2月〜6月ではないかと思われる。
PAPPYさんからメール
佐伯さん、お忙しいのにいろいろご尽力頂き感謝しています。流石、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の威力はすごいですね。2〜3日でこれだけの情報が集まってくるとは、河口湖には驚きました。 整備用訓練機ならばJT-001で問題なく納得しました。長年の疑問が解消しすっきりしました。
藤原洋様とアーカイブスの吉田仠様にもお礼を申し上げます。また第2報があればよろしくお願いいたします。
あの頃は、整備訓練所のことは知りませんでしたが、羽田のターミナルで撮影してもフィルムを5〜6枚残し帰りがけに整備場裏手に寄っていました。ここには保安庁機や、新聞社の機体や、民航機が駐機しており、たまには珍しい機体があったりします。当時はフェンスもなくセキュリティも甘く黄色のCABのパトロールがいなければ誰何されることもなく写真が撮れる良き時代でした。
新 2019/11/29 BeechCraftA36さんによる調査
BEECH 18 PRODUCTION LIST ? PART ONEに、198年にNobuo
Harada氏が第二次大戦機のコレクションの中に加えたという記事がありました。よって、次の表が成立しました。本機のオリジナルは、米陸軍航空隊のC-45F
43-35888であり、次いで伊藤忠航空のJA5030、日航整備訓練所のJT-001、河口湖自動車博物館のスクラップ置き場という経緯をたどっています。
1944/06/13 |
c/n6653
C45F-BH 43-35888A (UC-45F 43-35888説あり) |
1948 |
木更津の部隊 |
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払い下げ 時期不明 |
1956/11/22 |
JA5030登録 大和航空 機首ナンバー bP 定置場調布飛行場
伊藤忠のC-45(C18S)参照 |
1961/09/15 |
伊藤忠航空輸送(商号変更) |
1969/10/03 |
抹消登録 |
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日本航空整備訓練所の整備訓練機材 JT001と記入 |
1987 |
河口湖自動車博物館が所有 |
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