1973年4月5日、北朝鮮は外交ルートを通じて、中国の民間航空にYS-11型飛行機1機を修復するよう依頼した。
当機は1967年8月に日本が製造・出荷したプロペラ式の双発輸送機で、すでに3年もの間地上に置かれており、あらゆるゴム部品が老化していて、エンジンは作業中の温度超過(?)により傷み、油漏れもひどく、50個の外側の客室のガラスにはすべて程度は異なるがひび割れや裂け目があり、タイヤとブレーキ装置はすべて老化してひどく摩損しており、プロペラ等を含む大部分の部品が使用期限を過ぎており、修理は非常に難しかった。
1974年1月、民航101工場(注)は当機の特別修理任務を正式に引き受けたが、この型の飛行機を修理したことなく、完全な技術資料、テスト設備、特殊工具・機材がない中で、30人の特別修理グループが形成され、北朝鮮が提供したわずかな資料を利用して、学びながら模索して、当工場の修理の条件や経験を活かして、適切で実行可能な特別修理プランを制定し、困難を克服し、代用品や設備、部品を製作して採用し、YS-11型飛行機の機体と各システムに対し、4000時間の飛行後に相当する修理を行い、17の項目を取り替え(?)、特別修理作業は徐々に行われ完成した。
1974年6月に北朝鮮の機上勤務・地上勤務要員による検査・引き取りを経て、出荷された。YS-11型飛行機の特別修理任務の完成により鼓舞され、1974年に飛行機11機の全面的修理を完成させ、生産高は1973年より2機増えた。
(注) 中国民航101工場は元北京空港の附属工場、現在北京空港内の北京飛機維修工程有限公司(AMECO
BEIJING)の前身
北京志の表紙
編輯説明(この説明により1995年の数年後の発行ということが分かります)
○ 多分、これは日本での初めての報道だと思います
瀋陽にいるguandamzakさんが、
北京志のコピーを送ってくれました。
ブラジルのVASP航空から日航製造へ返され、1969年7月に大韓航空にリースされたYS-11(c/n2043
JA8682→PP-CTD→PP-SMX→JA8682→HL5208)が、その12月にハイジャックされ元山付近の飛行場とも平壌飛行場とも言われていますが、着陸時に損傷した以後の消息が全く不明でした。
友人の調査によると、約3年間放置されていた同機を、1972年に北朝鮮が中国に修理を打診し、中国民航の工場が1974年に引き受けて、傷だらけの状態から4000時間定期点検並みの修復を施し、北朝鮮の検査を受けて出荷したというのです。
Twitterに書かれた根拠(原典)が明示してないので、何とも言えませんが、一応信用するとすれば、北朝鮮はハイジャックから5年後に、飛ばせる状態のYS-11を持っていたということになります。
しかし、フライトマニュアルは操縦席にあったでしょうが、修復のためのテキスト類を日航製造が提供したといった話は聞いていませんので、どの程度のレベルで完成したのか、また、その後北朝鮮でどの程度飛ぶことができたのか疑問もありますね。
拉致被害者の問題で、大きな進展が見られそうな今、ミステリアニスなYS-11についても、今回の情報をきっかけにして歴史の解明が待たれます。
○ 続 北朝鮮にハイジャックされた機体を北京で修理
昨日の大スクープについて、某業界関係者から、当時、YS-11の技術資料や部品の買漁りがあり、誰が?どこから?どこへ?とのさまざまな憶測があった
が、やはりハイジャックされたYS-11のためだったのか、とお知らせがありました。
中国へ修復を依頼してから作業に掛かるまでの2年という期間が疑問でしたが、それは、さまざまなルートで技術資料や部品を集めて北朝鮮(もしくは中国)へ密輸している期間だったとすれば、説明がつきますね。しかし、それは闇の世界の話でしょうから、もう解明するのは難しいでしょう。
それよりも、壊れた機体を北朝鮮から北京までどうやって運送したのか、そして、修理完成後にどういうナンバーと塗装で北朝鮮へ帰ったのか、どういう任務でどのように飛んでいたのかを知りたいところです。