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航空歴史館 日本におけるベル47ヘリコプターの歴史

株式会社熊谷組(海洋航空株式会社)→東日本航空株式会社(東武鉄道株式会社)

    

・ 海洋航空株式会社、東日本航空株式会社略史

1953/06/08  熊谷組が海洋航空株式会社設立 社長は熊谷組専務の牧田甚一
1953/06/06  使用事業免許
1955/07/26  不定期航空運送事業免許
1961/04  東武鉄道が資本参加し東日本航空株式会社に変更
1968  ヘリコプター部門を廃止

 航空情報1968年2月号国内ニュース
 
1986/05/01  運航部門を共立航空撮影株式会社に譲渡

 

 熊谷組はデハビランドDH-104 ダブ JA5011を、1953年に設立した子会社の海洋航空に運用させて魚群探知などの業務に乗り出し、ベル47は1958年から同じく運用させています。1961年に海洋航空に東武鉄道が資本参加して商号を東日本航空株式会社と変え、ダブの後継のエアロコマンダー680F(湯布院に展示を使って事業を継続しましたが、1986年に共立航空撮影株式会社に営業を譲渡して航空事業から撤退しています。
 ベル47は、熊谷組が3機、東日本が2機、いずれも新造機を取得していますが、1968年に農薬散布事業から手を引き、ヘリコプター部門を廃止しました。

・ 海洋航空、東日本航空のベル47リスト は写真募集中

登録記号

製造番号

型式 熊谷組
(海洋航空)
登録日

東日本登録日

東日本抹消日

備考
JA7038 141 47G-2 58/12/19   61/ 60/09/27 新日本ヘリコプターへ
JA7039 140 47G-2 58/12/19   61/ 59/11/07 59/10/24長野県にクラッシュ
 JA7050 158 47G-2 59/10/15 62/12/12

1968

日本農林ヘリコプターへ
JA7082 192 47G-2   61/03/22 61/12/05 61/11/26栃木県にクラッシュ
JA7317 223 47G-2   62/01/06 1968 日本農林ヘリコプターへ

・ 川崎ベル47G-2 JA7050
東武鉄道が資本参加した直後 撮影1961/10/18 調布飛行場 
geta-o

 

日替わりメモ2013/12/09

〇  熊谷組(海洋航空)→東日本航空(東武鉄道)

 初期のヘリコプターを使う使用事業免許の航空会社のリストを作ると、意外なところで各社がつながっていることを発見します。

 デハビランド ダブを持っていた熊谷組が子会社の海洋航空(株)に運用を任せ、その海洋航空が東日本航空につながっているのは、東武鉄道が航空事業に参入したからです。東武鉄道は、同じ池袋の西武鉄道がデパートの上にヘリポートを設けるなど航空事業を華やかに展開していることに心穏やかでなかったのでしょうかね。

 海洋航空(株)に資本参加して東日本航空に商号を改めたと資料にはありますが、熊谷組が円満に譲り渡したのか、乗っ取り同様であったのか興味あるところです。この系統のベル47で唯一写真のあるJA7060は、東日本航空発足直後の撮影ですが、東武鉄道の表示にしています。営業部を本社の埼玉県新座市でなく、池袋の東武ビルに置いているのも東武の熱意を物語っているようです。

 しかし、西武が朝日航洋として発展を遂げたのに対し、東武は後に事業を共立航空撮影に譲り、空から撤退した模様です。

・ 西武(堤一族)対東武(根津一族)という対立構造があったのかどうか、ヘリコプターという無機物を通しても歴史の裏表がぐんと開けてきます。
 昨日は、へそ曲がりの佐伯にとって面白い話しだと日本ヘリコプターを的にしましたら、「
歴史がどうのこうのと言いながら、伝聞だけで載せていいのか!」というお叱りを受けました。
 信頼する方(Yさん)からの情報なのでそのまま載せたのですが、そういうことよりも、無機物のヒコーキ、無機物のヘリコプター、更に無機的なパソコンに一人で立ち向かっている時に、へそ曲がりや冗談や漫談や世間風俗への当り散らしなどが許されなかったら、いくら趣味とはいえ、こんなことをとてもやってられませんわなあ。
 まあ、いい加減な推測や誤りがあったら直ちに通報してくださいと常に申し上げているのですから、少し広いお心で接して頂ければと願っております。

 

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