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航空歴史館 日本におけるベル47ヘリコプターの歴史

日本ヘリコプター輸送株式会社(日ペリ) → 全日本空輸株式会社

追加 2019/07/23 日華ゴムの宣伝の鮮明な写真

日本ヘリコプター輸送・全日本空輸株式会社のべル47系ヘリコプター
・ 日本ヘリコプター輸送・全日本空輸株式会社べル47関連の略史 

 
は日本人によるヘリコプター史上初めての事績を示す (推定を含む)
 
1952/07/15  日本ヘリコプター輸送株式会社設立準備委員会が運送事業申請を行う
1952/10/21  航空使用事業免許
1952/12/10  ベル47D-1輸入 組立て作業開始
1952/12/27  日本ヘリコプター輸送株式会社設立登記
 ベル47D-1 JA7007 JA7008で営業開始
1953/01/02   神宮外苑の全国学生蹴球大会に始球をベル47D-1から投下
1953/02/20   日華ゴムの宣伝飛行開始 JA7007 月星号
1953/03/01  森永製菓の宣伝飛行開始 JA7008 森永号
1953/03/15   江東区洲崎に東京ヘリポート事務所、格納庫完成
1953/05/14  JA7007 月星号が青森県田名郡で民家の屋根に不時着
1953/08/19  JA7013 北海道夕張市で墜落大破  09/13廃棄抹消
1953/10/02  東京ヘリポート設置許可 
1953/10/20  東京ヘリポート開所式挙行
1954/06/03  JA**** サンスターの宣伝飛行開始
1954/06/30  JA**** ヤンマーディーゼルの宣伝飛行開始
1954/07/23   JA7007 谷川岳頂上着陸 高地着陸新記録
1954/08/27   JA**** 岡山県で農薬散布の初テスト
1954/11/30  愛称を日ペリ 航空と決定
1955/03/01  JA7023 松下電器産業の宣伝飛行開始 ナショナル号
1955/04/25   郵便週間記念行事で手紙を運ぶ
1955/05/20  洞爺丸台風による倒木消毒のため薬剤散布開始 北海道 2年間
1955/06/21  A7008 薬剤散布中に勇払郡で不時着大破 修理復旧
1956/02/11  JA7012 岐阜県で融雪剤散布中クラッシュ
1957/01/17   送電線架設公開実験挙行
1957/12/01  商号を全日本空輸株式会社と改正
1958/03/01  極東航空と合併 存続会社全日空 ヘリコプター引継ぎ無し
1958/08/28   神奈川県でいもち病薬剤散布実施、以後全国で実施 1972年に中止
1958/06  北海道で送電鉄塔建設の資材を運搬
1958/12/16  北陸電力と長期賃貸契約締結
1959/11/13   北海道で野ねずみ駆除毒餌散布事業開始
1960/02/03  福岡市長浜にヘリポート設置
1960   防振装置エアロビジョン開発 大河ドラマ太閤記合戦場面撮影
1960/05/11   ヘリコプターによる東京ー旭川を9時間9分で飛行 ヘリ空輸新記録
1964/12/22  都営東京ヘリポートに移転 日ペリ東京ヘリポート廃止
1970   ベル47に右キャビンにテレビカメラ用貼り出しを設置
   以下略

・ 日本ヘリコプター輸送・全日本空輸株式会社ベル47リスト は写真募集中

登録記号

製造番号

型式

全日空登録

全日空抹消 全日空後 備考
JA7007 619 47D-1
G-2
52/12/06 58/03/014 朝日ヘリコプター  
JA7008 624 47D-1
G-2
53/01/09 73/09/12   交通博物館
全日空研修センター
JA7012 653 47D-1 53/06/02 66/11/29   66/11/15JA7062と空中衝突
JA7020 1007 47D-1 55/01/18 63/03/16    
JA7021 1021 47G 55/05/11 69/06/28    
JA7023 1015 47G 55/07/04 63/07/11   63/06/17北海道にクラッシュ
JA7040 138 47G-2 58/12/19 72/02/14    
JA7041 147 47G-2  58/12/19 72/02/25 東邦航空  
JA7053 170 47G-2  60/02/22 68/03/16   66/09/27JA9012と空中衝突
JA7058 177 47G-2 60/06/15 63/07/17   63//03/17山梨県にクラッシュ
JA7086 195 47G-2  61/04/10 71/02/09   70/06/24茨城県にクラッシュ
JA7087 198 47G-2  61/05/08 71/07/04 大坂エアウエーズ  
JA7088 199 47G-2 61/05/10 67/06/02   c/n2112へ改造
JA7089 202 47G-2 61/06/03 70/02/26    
JA7328 225 47G-2 62/04/03 69/05/09 東邦航空  
JA7337 242 47G-2 62/07/03 72/02/14    
JA7363 2005 KH-4 63/05/09 72/10/17 中日本航空  
JA7365 2006 KH-4 63/05/08 69/06/28   68/10/08宮城県にクラッシュ
JA7373 2014 KH-4 63/10/11 72/01/14 新日本ヘリコプター  
JA7395 2032 KH-4 64/05/11 72/01/18 新日本ヘリコプター  
JA7400 2036 KH-4 72/05/11 72/01/18 新日本ヘリコプター  
JA7423 2061 KH-4 65/06/18 72/04/03 新日本ヘリコプター  
JA7455 2089 KH-4 67/01/21 70/02/26   69/08/19北海道にクラッシュ
JA7088 2112 KH-4 67/06/02 72/03/11 武蔵航空 c/n199から改造
JA7497 2127 KH-4 68/03/13 72/02/29 武蔵航空  
JA7498 2131 KH-4 68/03/28 72/10/17 中日本航空  
JA7501 2132 KH-4 68/04/02 72/02/29 東邦航空  
JA7510 2135 KH-4 68/06/18 72/10/17 中日本航空  
JA7524 2153 KH-4 69/04/15 77/12/14 全日空整備   78/03西日本空輸へ
JA7539 2171 KH-4 70/02/18 78/03/22 全日空整備   78/03西日本空輸へ

・  日本ヘリコプター輸送(以下「日ペリ」と略す)という社名のとおり、同社中野専務はヘリコプター時代の到来を予測して先ず2機のベル47D-1を輸入し、 専用の飛行場(ヘリポート)を作り、商業宣伝飛行から農薬散布まで幅広い分野に投入して、固定翼のダブやヘロンによる定期航空の赤字を埋めることで、日ペリの基礎固めに貢献させました。
 まさに日ペリ(全日空)はヘリコプター、それもベル47で呱々の声を上げ成長してきたのです。そのパイオニア精神は上表の
マークで証明されます。ヘリコプターによる宣伝、作物 と森林の病害虫対策、遭難者救助、 資材運搬など全日空がベル47で開発した事績は多いです。そういう意味で日本における商用ヘリコプターの普及に最も貢献した会社ということができます。

・ 日本初のヘリコプターによる宣伝飛行
JA7007とJA7008 世界の航空機 1953年4月号




・ 日本で初めてのヘリポート 
      東京都江東区洲崎 日ペリ東京ヘリポート 
      

・ 機器の自社開発(考案)

  最初の宣伝飛行は、助手席に乗った整備士がビラやお菓子を撒くという程度のものでしたが、次第にいろいろな用途に使われるよ うになると、機体に多くの工夫が凝らされるようになります。その代表的なものが三角型ホッパーに紛剤を入れてベンチュリー効果で散布する葉山式と呼ばれる散布機で、これを考案した葉山忠治整備士は、ヘリコプターの改良に心血を注ぎ川崎機械明石工場まで出向いて、経験による不具合や改造改修へのアドバイスなど多大な貢献をしたことで有名です。

 以下、主な考案を4点紹介しておきます。ただし、すべてが日ペリで考えられたものかどうかについては確証はありません。

ア 防振用のウエイト

イ バッテリーをフレームに搭載


ウ ベンチュリー効果型薬剤散布装置

 農業用薬剤散布は、農林省の後押しがあって日ペリに続いて各社が参入し、散布機もベンチュリー効果応用から、インペラー(レシプロエンジンの過給器の羽根)を回転させて散布する方法など進化しましたが、 全日空は1972年に撤退し、それが理由と思われますが15機のベル47のうち12機を1972年中に処分しています。

エ テレビカメラ用張り出し
航空情報1970年4月号国内ニュース

本ヘリコプター輸送・全日本空輸株式会社べル47各機の写真

 

更 ・ JA7007 ベル47D-1  7007
世界の航空機1953年2月号

日本飛行機全集1995年版

1953年当時の日ペリの雑誌広告から 日ペリ東京ヘリポート


新 日華ゴムの宣伝飛行日華
 
 日華ゴム株式会社(現・株式会社ムーンスター)は創業143年目の歴史のある会社ですが、創業当時から宣伝活動に関しては数々の活動を行っていました。大正3年には坂本寿一氏を久留米に招き自作の飛行機を当時の久留米練兵場で飛ばし宣伝活動をしたようです。(竹上真也)

日華ゴム倉田泰蔵社長(3代目)とパイロットの神田好武氏 
撮影1953 (株)ムーンスター提供

 地面が濡れているようですが、これはヘリを下ろした場所は河川敷や学校の校庭でしたので飛来前には「水まき作業」をしたようです。この作業に日華社員が動員されたようです。

久留米工場正門前広場 
撮影1953 (株)ムーンスター提供

拡大

 上記雑誌掲載の画像と違う点が2点あります。
@ キャビンの下の左右のスキッドの間に木の箱のようなものが映ってますが、どうもメンテの為の道具類やパイロットの私物が入っていたようです。飛行場に下ろすわけではないのでメンテは自前なのかと。
A 少々判りにくいのですがエンジンのやや後ろに三角形のものが映ってます。スピーカーのようです。上空から音楽を流したりしたようです。この2点は「日ぺり」の他の機体にはなさそうです。

取引先(小売店)に年2回無料配布していたPR誌 
(株)ムーンスター提供

  以前社内で聞いたこのイベントは長期間であったのでヘリコプターは2機使ったはずとのことでした。上の@の画像からJA7007は確定ですがこのパンフレットの画像から答えが出ました。三重県・奈良県の画像(下3枚)の機体の色と上のJA7007とは色が違うようです。おそらくもう1機のJA7008 ではないでしょうか。

2019/07/23日替わりメモ

 株式会社ムーンスターを定年退職された竹沢さんが、かねてから注目していたヒコーキ雲上のべる47D-1 JA7007による日華ゴム月星くつの宣伝飛行記事について調査を開始し、社内のマーケティング部門の協力も得て、倉庫の中から60年以上前の写真を見つけ出しました。

 日本のベルパイロット第1号の神田好武さんと社長のツーショットもさることながら、本社の広場で真横から撮った写真は、宣伝スピーカーの位置が分かるなど貴重なものです。

・ JA7008 ベル47D-1  7008
東京国際空港 撮影1962/12 geta-o

交通博物館 撮影2000/05/13 Twinbeech
 

交通博物館
 撮影2002/10:にがうり

交通博物館 撮影2005/05 飛行浪人

交通博物館 撮影2004/02 よっさ

交通博物館 撮影2005/08/07 すいふと

ANAグループ安全教育センター 撮影2009  提供全日空

・ JA7012 ベル47D-1       012
日ペリ東京ヘリポート 撮影1964/02/19 geta-o

1960年頃発行ポストカード 提供Twinbeech


航空情報1967年1月号国内ニュース
 

・ JA7020 ベル47D-1
航空情報1963年10月号国内ニュース 8月15日

・ JA7021 ベル47G-2    021
大阪国際空港 撮影1962/07/02 geta-o


航空情報1961年9月号国内ニュース


東京都立高等航空専門学校 撮影2011/03/07 佐伯邦昭

・ JA7023 ベル47G-2    023
ナショナルの宣伝 世界の航空機


航空情報1963年8月号国内ニュース

・ JA7040 ベル47G-2
NHKチャーター 日ペリ東京ヘリポート 撮影1962/03/06 geta-o

・ JA7041 ベル47G-2
NHKチャーター 広島空港 撮影 1964/09/09 佐伯邦昭

・ JA7053 ベル47G-2    053
阿蘇山 撮影1962/11 
geta-o

航空情報1966年12月号国内ニュース

・ JA7058 ベル47G-2   
航空情報1963年5月号国内ニュース

・ JA7086 ベル47G-2   
航空情報1965年6月号国内ニュース

・ JA7089 ベル47G-2
航空情報1961年9月号国内ニュース

・ JA7455 ベル47G3B-KH4
撮影日場所不明 提供YM

航空情報1969年10月号国内ニュース

機番不明
航空情報1965年6月号国内ニュース