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航空歴史館 掲載11/03/30
追加18/03/23

 

日本軍人が育てた中国共産軍飛行士 東北老航校

 日本軍人が育てた中国共産軍飛行士 東北老航校  
   
訃報 初期生の二人 と記録番組の放映
   ブログ 中国のマニアのブログ イラストと諸元など

 1946~1948年に収集した日本軍用機のリスト

 北京の日本軍用機展示

  

 

 日本軍人が育てた中国共産軍飛行士  東北老航校 

                          取材 2011/03 GUNDAMZAK 解説 佐伯邦昭


 
中国の国共内戦時代、山奥に隠れていた関東軍第2航空軍独立第101教育飛行隊の隊長林弥一郎以下300人は国府軍に投降するつもりが誤って八路軍に投降し、奉天にいた林彪から八路軍飛行教育を強く要請され、隊員の安堵を条件として受け入れました。

 こうして設立されたのが東北老航校、後の東北民主連航空学校で、千名に及ぶ飛行士や整備士を卒業させました。中国航空博物館(北京)総合展示館の東北航校の展示写真によりますと、使用した航空機はすべて日本陸軍機でした。

東北航校展示コーナー 手前の物品は日本人が残したもの


航空学校辞令 林彪の名がある


東北航校第1期卒業生

最終ポスト、左から「空軍13師団師団長」、「北京軍区副司令兼軍区空軍司令」、「空軍第8師団師団長」、「北京軍区空軍副参謀長」及び「空軍副司令」といずれも朝鮮戦争を経て、空軍幹部に上り詰めた

訃報

2015/03/30  訃報  GUNDAMZAKさんから

 旧関東軍第四練成飛行隊の元に設立した東北航空学校の当事者の二人がなくなりました。 2月27日劉玉堤さん(最終は北京軍区空軍副司令、中将)、3月17日方子翼さん(最終は広州軍区空軍副司令、中将)、前者は飛行一期乙班のパイロット練習生、後者は教官、ともに中日戦争、朝鮮戦争の経験者 でした。


2018/03/06  訃報 と記録番組の放映  GUNDAMZAKさんから

 2018年3月4日に東北航空学校卒業生の二人がなくなりました。一人は上の写真にもある林虎さん、91歳、1947年5月ー1948年9月在学、飛行一期乙班。もう一人は輝先 さん、本名は輝先、91歳、1949年11月在学、飛行三期、最終は北京軍区空軍司令、中将。


 中国のテレビ局が東北航空学校の記録番組を制作しました、現在ネット上に公開しており、当時学校の日本人数人にも取材しています。参考にリンクを送ります。

 《上海纪实-档案》 20170324 东北航校秘档1

http://tv.cntv.cn/video/VSET100223311352/b2219f1cf48d4a738758a06f68448ada

《上海纪实-档案》 20170327 东北航校密档2

http://tv.cntv.cn/video/VSET100223311352/8b85bec408924b2fbae5b0db714f9b9f

 《上海纪实-档案》 20170328 东北航校秘档3

http://tv.cntv.cn/video/VSET100223311352/4e5e37031f414144805903249f403ac6

 《上海纪实-档案》 20170329 东北航校秘档4

http://tv.cntv.cn/video/VSET100223311352/b0a9b80f37494f28baef556e729374ff

航校揭秘 红鹰展翅 档案20110216

http://tv.cntv.cn/video/C30340/30fb4158a5d54b938ccdbfb1d6a14073

 

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人民空军初创时期使用的日制

人民空軍創設初期に使用した製飛行機

前書き翻訳

194631日、東北民主連軍航空学校は 、通化で正式に成立を宣告しました。これは中国・日本共産党の指導下に創設した最初の航空学校、今年は学校創建50周年(1996年)です。東北老航空学校が使用した飛行機は、大多数は東北各地の日本軍から 鹵獲したもので、各型日本製飛行機は120機余り。航空学校はその中の46機(36機が飛行可能)を主要装備として、苦労を重ねた訓練を展開して、人民空軍の基礎を固め ました。 

 これらの飛行機、はすべて戦争の年代に 鹵獲したものを使用したため、当初から技術データと履歴文書などが欠落し、後でも完全なる文字記録がされなくて、50年近いたつ現在、多くの史料は 埋没する寸前、かつ多くの飛行機の適切な型番は論争があります。筆者は国内外のデータを総合的に整理して考証して、我が軍の草創期に主要に使用した日本製飛行機の情況を紹介します 。

(以下、機体ごとのイラストと諸元等が描いてあります。必ずしも正確ではありません。)


人民空军初创时期使用的日制 は残念ながらこのホームページからは開きませんでした。希望者には、メール送信しますので佐伯までお申し出ください。

 


機体

立川キ55 九九式高等練習機






向かって左から3番目が大澄国一


タイヤとプロペラの使いまわし 着陸後ただちに他の機体に取り付けた


自転車用ポンプでエア充填


ガソリンの代わりにアルコールでテストした



川崎キ45 又はキ45改 屠龍



 

三菱キ51 九九式襲撃機



国民党マークは偽装  垂直尾翼の白と水色模様は見方識別のため

 

滑空機の自作



 

学校は瀋陽から長春まで5回移転した



学校移転で外翼、エンジン、主脚カバーを取り外す


分解した機体は馬車で牽引した





日本人が画いた見取り図 東安


ジオラマ

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 航空機研究シリーズ126 1946~1948年に収集した機体(修理待分を含む)


 この表は、不確定要素を多く含みます。 以下、取材者のメモを付しておきますが、残念ながら現物の撮影はできなかったようです。


立川 キ55 九九式高等練習機
  

立川 キ54 一式双発高等練習機


中島 キ43 一式戦闘機 隼一型  4機 (吉林省朝陽鎮とハルピン付近で回収されたものを含むらしい)


”北美”はノースアメリカンを指す。よって”北美”式はAT-6テキサンのことである。


”零”式は、三菱A6Mを指す。
2018/03/07訂正 鐘馗を零戦と間違えて記載したもので、 中島キ44 二式戦闘機 鐘馗は3機保有しているとのこと。


”重〇”式は、川崎キ45改丁 二式複座戦闘機 屠龍 この3機は1949年に華北防空大隊に配属され、迎撃任務に就いている。


三菱キ30 九七式軽爆撃機を指すらしい。

 

この表に洩れている日本機

国際キ86 四式基本練習機

満洲飛行機キ79 二式高等練習機

三菱キ48 九九式双発軽爆撃機ニ型 2機のうち1機はニ型を一型にしてある

三菱キ51 九九式襲撃機ニ型

三菱キ15 九七式司令部偵察機

立川キ36 九八式直協偵察機

三菱キ57 一〇〇式輸送機

三菱キ46-Ⅲ 一〇〇式(司令部偵察機)防空戦闘機型

 

日本及び米国製発動機

 

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199 ・ 北京の日本軍用機展示へ続く7