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航空歴史館 掲載25/12/15

 

1986年 アメリカに戻ったF-4Sと残ったゲートキーパー

写真/文章  ヒコキチ



撮影 1989/04/30 厚木基地 ゲート展示準備中の機体   ヒコキチ

  ヒコキチさんから1986年当時 日本からF-4Sが米国へ戻る際の記録などを投稿いただきましたので纏めて紹介します。 (編集部)



  1986年4月8日〜5月5日にかけて、CVW-5(第5空母航空団)傘下、空母ミッドウェイCV-41搭載のF-4Sファントムの2飛行隊がアメリカに帰りました。 以下の通りです。

 4月8日出発機
  
NF100-157261
   NF101-157258
   NF106-153808
   NF107-154781
   NF110-153820
   NF201-155568
   NF202-155580
   NF203-153868
   NF205-153880
   NF206-153910
   NF210-153879
   NF213-153780
 4月26日出発機
   NF101-153881
   NF102-158358
   NF105-155746
   NF111-155570
   NF112-155880
   NF113-155897
   NF115-155504
   NF200-153827
   NF212-155565
   NF214-157300
   NF215-157265
   NF216-155852
 計 24機

 # NF112は、トラブル発生のため、厚木に引き返しています。バディを組むNF111と共に。 あらたに 5月5日に離陸し アメリカに戻りました。
 上記の内、モデックス100番台は VF-161所属。200番台は VF-151所属です。

 ちなみに、VF161のコールサインは "ロック "。 VF151のコールサインは "スィッチボックス" でした。

帰国準備の様子

ハンガー内で整備中のVF-151 NF212-155565
撮影1986/04/03 厚木基地 ヒコキチ


往年のオリジナル機体カラーを再現したVF-161「NF101」-153881
撮影1986/04/03 厚木基地 ヒコキチ


帰国を前にモデックスを消されたF-4S
撮影1986/04/03 厚木基地 ヒコキチ




エプロンに並ぶ
VF-151 NF216-155852、VF-151 NF200-153827、VF-151 NF215-157265
撮影1986/04/03 厚木基地 ヒコキチ



 トランスパック・ルート 厚木→アガナ→バーバスポイント→デビス・モンサン。 そのほとんどが、アリゾナ州の砂漠にある現役を一旦退いた航空機の置き場に向かいました。
 その内、★NF101-153881はアリゾナ州のピマ・ミュージアムで余生をおくることになったとのことです。
(編集補足 NF101-153881 1987年アリゾナ保管当時の写真 他サイトリンク )

 現在 厚木基地の"ゲートガード"として、正門入って右側のジェットパークに置かれている F-4Sファントム(BuNo.155807)は、CVW-5(第5空母航空団)の機体ではありません。
 この155807号機、VMFA-451(第451海兵戦闘攻撃飛行隊)で運用していたF-4Sです。 ひんぱんに岩国基地にMCAS BeaufortからUDP配備(6か月ローテーション配備)されていました。 帰国せず日本に残されていった機体です。
 1980年代頃ではVM06のモデックスを、1986年代頃にはVM04のモデックスをつけて VMFA-451に在籍していました。 岩国基地に配備されていた頃、厚木や横田にも飛来しています。

 1980年代は、もう ロービジ化が進み、ほとんどの機体がロービジ塗装でした。
そんな中、VF-161のNF101の機体だけ1機のみ、ロック・リバーズ本来のオリジナル塗装に塗り替えられました。この日のために。
撮影1986/04/03 厚木基地 ヒコキチ


帰国準備に忙しいCVW-5エプロン。

VF-161 NF102-158358(空中給油プローブ突起)
撮影1986/04/03 厚木基地 ヒコキチ


往年のオリジナル機体カラーに塗り替えられた、VF-161 NF101-153881
撮影1986/04/03 厚木基地 ヒコキチ


VF-161 NF115-155504(空中給油プローブ突起)
撮影1986/04/03 厚木基地 ヒコキチ


 そして、帰国のため厚木基地の滑走路を離陸するとき、エアボーン後も高度20フィートの超超低空をしばらく維持し、スモークに見立ててJP-5の燃料を尾部の燃料排出口から噴射しながら TAKE OFFしていきました。
まさに さよなら!! ファントム!!



事情あり、日本に残していった機体

空母ミッドウェイ 消火等作業訓練用機体 VF-151 NF207-153843
 撮影1990/02/12 ミッドウェー甲板上 ヒコキチ


用廃機となり、NIPPIノースにて 胴体輪切りとなった機体 VF-151 NF211-155745
撮影1984/06 厚木基地 ヒコキチ




運用時の厚木基地内での様子

1984年 ハンガー内のVF-161とVF-151のF-4S
撮影1984/06 厚木基地 ヒコキチ


機体全塗装は 仕上げるのに1機につき約2週間です。
撮影1984/06 厚木基地 ヒコキチ


撮影1984/06 厚木基地 ヒコキチ





文/写真  ヒコキチ  2025/12/16 掲載