菊池飛行場は菊池市泗水町一帯の陸軍基地でした。戦後開拓されその面影はわずかしか残っておりません。
慰霊碑建立の趣旨は写真のとおりで碑裏面に少年飛行兵戦没者の名が刻んであります。
碑を建立し管理されている倉沢 泰さんは 大正10年生まれ83歳、昭和17年1月陸軍高射砲隊に入隊後、4月千葉県の陸軍防空学校へ進み17年10月より各県を転々され宮崎の小林で終戦、熊本に帰りわずかに残った兵舎に住み、開拓を始められました。
慰霊碑は昭和26年に門柱や廃材で作り無縁仏を祀ったのが始まりですが、菊池飛行場で亡くなった人も慰霊することになり、現在の形になりました。
昭和38年から少飛会や戦友会と地元区民で4月に合同慰霊祭を行っています。
なお、倉沢さんは隣接の富の原保育園園長です。
菊池飛行場 昭和15年4月建設 開隊16年7月26日
現在の住所 菊池市泗水町
陸軍航空通信学校菊池教育隊と太刀洗陸軍飛行学校菊池教育隊
第103教育飛行団及び107教育飛行団
滑走路 東西1000、南北950芝張り