キャビネサイズの複写版 印画紙はKodak Electronic Imaging Paper
複写版の裏に貼り付けてあるメモ
この写真は、三菱重工業で零戦と雷電の設計チームにいたU技師が秘蔵されていた写真です。原版は、4.5×6cm(いわゆるセミ判) ですが、それを複写してキャビネ判に焼き付けて一部の関係者に配られた模様です。(赤線は盗用防止のためヒコーキ雲のほうで入れました)
U技師が生前語っていたところでは、海軍には内密で試運転をやり、隣接建物の2階から撮影したものだそうで、長い間、公表を強く拒んでおられました。
裏書は、原版の裏に肉筆で書いてあったものと同じであり、日付「S14. 9. 20」については、日本航空機総集三菱篇に次のような記載があるので、周囲で多数の人物が見守っている情景からしても、この日に初めて1号機の試運転を行ったことを裏付けています。
13年8月に第一次木型審査、同年9月第二次木型審査、14年9月「火星」一一型を装備した1号機を完成、初飛行は10月23日各務原飛行場で志摩操縦士、新谷操縦士により行われ、〜 一部改修のうえ15年1月海軍領収 〜
拡大1 前部
ジュラルミン地肌がまぶしいばかりです。コックピット前のアンテナ支柱がみえないので、いろいろな艤装はまだ取り付けてないガランドウの状態での試運転だと思われます。
右側の主操縦席に運転者の頭が見えます。カウルフラップは全開状態で、金星一一型エンジン、ハミルトン定速3枚プロペラの回転状況を試しているのでしょう。
拡大2 後部
本庄季郎技師が「他の人が設計すれば、後部までこのように太い胴体にすることはなかったでしょう。胴体を細くして、魚雷は吊り下げにして、尾部の銃座は膨らませるとか」(丸メカ22)と言っているように、葉巻のような(工場ではナメクジとも言っていた)胴体は、見る人を驚かせたに違いありません。
主翼付け根と上面の7.7ミリ機銃銃座は、不明瞭ですが、以後の写真で見る形状とは違うようでもあり、16年4月に海軍一式陸上攻撃機一一型として制式採用が決定するまでの間に形が変えられたのかもしれません。
垂直尾翼も2号機以降拡大されたと書いている資料もあります。