1953年12月12日、翌年元旦の紙面を飾る写真のために浜松基地を飛び立った朝日新聞セスナ195
JA3005
そよかぜ号は、富士山をバックに編隊飛行中のL-5スチンソン(浜松操縦学校)を撮影中にエンジンが不調となり
、3000メートルの高度から下がり始めました。
浜松基地または藤枝飛行場(現静浜基地)までの飛行は無理と判断した井上操縦士は、不時着を決意し田子の浦海岸へ着陸しました。地面は写真のようにゴロ石の不整地で
したが、奇跡的に転覆を免れ乗員4人は無事でした。
終戦後8年目、いがぐり頭やもんぺ姿の子供たちには興味深々の出来事です
事故の原因は、ジャコブス7気筒空冷エンジンの6番シリンダーのヘッドにある吸排気弁のどちらかのロッカーアームを留めるナットが外れ、弁が開きっぱなしになってバックファイアーを起したものです。
それは、同乗していた山田機関士がカウリングを開けたところ、下のカウリングにボルトとナットが落ちていて判明したもので、応急で叩いて修理しました。(東京から整備課長らが駆けつけて修理したという記録もある)
当時は、ボルトとナットの新品が入手困難で使いまわしをしていたため、その劣化が第一原因でした。
翌日、地盤の少しは固いところまで人々がロープで牽引し、井上飛行士一人が乗って写真のように無事滑走して離陸し、藤沢飛行場で点検したのち、羽田へ帰還しました。浮かび上がった時には盛大な拍手が沸き起こったということです。
よいしょ よいしょ
見送る人々、バックには漁船も 田子の浦らしいいい写真です
JA3005の経歴については初期登録航空機全集参照