経緯
日替わりメモ2012/02/02
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航空産業遺産に新しい1ページ
中島艦上偵察機彩雲の発動機架覆が発見されました。旧日本軍用機史においても航空産業遺産分野においても超ド級のニュースです。詳しい経過が零戦談話室にありますので、是非読んでください。
実は、三浦さんから航空機の部品らしいものがあるので、調べてくれと佐伯へ照会があったのが始まりで、当方の航空歴史館総目次への掲載も考えたのですが、旧日本軍用機に関して高度の知識を持つ人の出番が多い零戦談話室の方が適当として、佐伯から投稿してみたものです。
そうしたら、あっという間に彩雲のものであること、そして大変貴重な遺産であることが判明しました。
戦後、航空車輪を荷車などに活用した話はたくさんありますが、この場合は、鶏や狸の小屋だったそうです。よくぞ活用してくださったと感謝です。
彩雲については、太平洋の島に残る残骸の輸入復元を、呉零の修復を受託した人がその金の半分を充てて実施するということでしたが、その後どうなっているのか知りません。ですから、日本国内において、彩雲の残る実機資料としては初めてであろうと思います。しかも発動機架のカバーがそのままというのがすごいです。
日本航空協会航空遺産継承基金さん、感想をお聞かせください。
日替わりメモ2012/02/03
〇 続 航空産業遺産に新しい1ページ
中島艦上偵察機彩雲の発動機架覆につきまして、日本航空協会航空遺産継承基金から電話があり、大いに関心を持っているとのことでした。実物の今後の扱い(寄託等)については、
三浦さんの考えを尊重しながら、いい方向に行くように仲立ちをしていきたいと思っています。
皆さんの反響の中で、鶏小屋などで使われたこと、そのためか小さな穴が開けられていることについて、彩雲を生産した中島航空機の誇りとして富士重工が引き取って修復すべきだという意見や、鶏小屋活用も日本の戦後航空史或いは社会史の一断面であり、そのまま郷土資料などとすればいいというような意見があります。あなたはどう思いますか。
日替わりメモ2012/02/04
〇 続々 航空産業遺産に新しい1ページ
長野県飯田市の某氏宅にある物体について計測した結果、世界の傑作機108艦上偵察機彩雲に記載されている寸法と一致しました。よって、正式に艦上偵察機彩雲の発動機架覆として都道府県別・展示保存機総覧にアップしました。大寒波と雪の中でメジャーを充ててくださった
三浦さんに感謝します。
年末に磐田市で緑十字の一式陸攻の増設タンクが発見されたニュースN928を流しましたし、雑誌航空ファンも1ページを割いて紹介していますが、今回の彩雲はそれ以上の大発見です。
世界の傑作機108で、鳥養鶴雄氏は、彩雲設計製作に関わった吉田孝雄、福田安雄、内藤子生、三木繁麿、萱場嘉夫ほかの人物が、戦後初の国産ジェット機富士T-1の開発に携わり、彩雲の技術がT-1に蘇ったと書いています。さて、航空ファン・世傑編集部と鳥養さんはどうしますかね。
日替わりメモ2012/02/06
〇 大発見! 艦上偵察機彩雲の発動機架覆
大発見!としてニュースフラッシュ欄と表紙絵に取り上げました。反響を見ますとそれだけの価値があることを皆さんが認めています。
杉山さん提供の未発表分を含む彩雲の写真も載せておきました。米占領下のテニアン島における写真はよく知られているようですが、別角度からの写真もあります。よく見ていくと少しずつばらされている様子が伺えまして、「米兵のお土産ハンターに狙われていた」という意味がわかります。
故郷へ持ち帰られた部品がどうなっているのか、オークションに出る日本軍用機の機器類などがそうなのかと思い当たりますが、プロペラなど彩雲の部品もまだまだどこかで眠っているのでしょうね。
それに反して、日本国内に残っていた発動機架覆の出現は奇跡に近いと言わなければなりません。67年間処分もされずよくぞ永らえてきたものです。開口部点検窓のパネルも納屋の隅の方で下積みになっているかもしれません。
写真では上下半分ずつの金属の色が違います。世傑108の渡部利休さんの図では、上半分がステンレススチールと書いてありますので、上がSUSで下がアルミ系と思われます。
三浦さんによりますと、ステンレス部分が結構錆びているので、安物のSUSなのかなあと‥。
物資欠乏当時の技術を知ることもできる遺産ですよね。
また、機銃や弾丸生産の豊川海軍工廠の疎開なのに、艦上偵察機の部品が土産というのも何やら不思議な歴史を感じさせます。群馬県大泉での彩雲の生産や改良設計と愛知県豊川との間に何らかのつながりがあったのか、豊川に近い豊橋海軍航空隊で事故用途廃止になった彩雲の部品なのか、終戦後に給料代わりに現物支給された(或いは)拾ってきた鉄屑なのか 等々‥。
日替わりメモ2012/02/07
〇 続 大発見! 艦上偵察機彩雲の発動機架覆 ogurenkoさんから情報
彩雲の件ですが、大発見ですね。興味深いです。しかるべき施設に永久保存して欲しいです。
そして気になる来歴ですが、豊川工廠に関係があるようですが、東海地区だと中島飛行機の半田工場で彩雲と天山を生産していたと思います。そして、岡崎基地で最終的に艤装を実施していたと読んだ事があります。
半田の博物館に彩雲のパネル展示がありました。そして、飛行場跡にもまだ滑走路が分かるように道と縁石がありました。たいした情報ではありませんが、元名古屋市民として思い出すのはこれくらいです。
佐伯から : 大きな情報です。これで彩雲と豊川海軍工廠とのつながりがぐっと近づいてきました。ありがとうございました。
日替わりメモ2012/02/12
更なる調査で文字が発見されました。
佐伯の判読では、誉 枕 100 というように読めます。右の方には鉛筆で書いたらしい楕円もあります。誉文字の判読が正しければ、これで寸法と品名が一致し、彩雲の発動機架覆であることが100パーセント確定します。
誉について、世傑では秋本実氏が「こうした傑作を生みだした中島の技術陣の功績は高く評価されるべきである」と結んでいます。雑誌航空ファンと世傑編集部には、この大発見を知らせて1週間たちますが、何の動きもありません。よほどお忙しいのでしょうね。
日替わりメモ2012/02/13
にがうりさんの判読では、「誉 枕」ではなく「誉 航」であろうと。なるほどです。
日替わりメモ2012/03/31
〇 彩雲発動機架覆 その後の情報
航空ファン、モデルアートに続いて、中日新聞と信濃毎日新聞が飯田市の彩雲発動機架覆大発見を報じました。そうしたら同市内から2個目の現物が現れました。こっちも、何物かが分らず鶏小屋などにしていたみたいです。
中日新聞は、愛知県半田市の中島飛行機半田製作所(現在は輸送機工業株式会社)が、彩雲を400機生産したと書いており、これを読んだ輸送機工業株式会社がぜひ引き取って社内に展示したいとの意向を示しているそうです。 注:日本航空機総集での彩雲生産数は小泉19機、半田379機、計398機
これらのことから類推するに、飯田市に疎開した豊川海軍工廠が中島飛行機半田製作所に協力して、何らか彩雲に関係する作業を行っていた可能性がでてきましたね。インターネットとともに新聞の波及効果で、更に新たな発見や証言が出てくることを大いに期待しましょう。
なお、中日新聞記事については、零戦談話室をご覧ください。保管してきた三浦さんが実物のそばに立っている写真で、改めてその大きさを実感できます。
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