伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

 

 航空歴史館 


陸上幕僚監部付飛行隊Gナンバーの富士LM-1について

 
 問題は、A3608-6 航空歴史館 東京航空(東雲)飛行場の小型機」に、パイパーPA-22の写真を追加した時から始まりました。以下、順を追って書いていきます。

日替わりメモ2011/09/20

 イニシャル「G」の小型機の疑問 

  ところで、PA-22の向こうの機体を、機体塗装と機首に陸自特有のローマ字があることからみて陸上自衛隊機としましたが、それも根拠がありません。
 前輪式、引込脚、二枚ペラの当時の小型機の川崎KAT-1、川崎KAL-2、富士LM-1の3機種を検討しますと、

 川崎KAT-1は生産された2機とも航空大学校に引き取られたので ×
 川崎KAL-2の空自向けは、1964年に陸自に移管されJG20001となったので ○
 富士LM-1は陸自向けに量産されたので ○

となりますが、問題は機首の「G」の文字です。Gを書きいれた陸上自衛隊機がいたのでしょうか。それとも、陸自機以外の小型機でしょうか。ご存知の方は教えてください。それによって、この写真の撮影時期が絞られてくると思うのです。 

日替わりメモ2011/09/25
 

  イニシャル「G」の小型機の疑問 

 皆さんの推理では、主脚カバーの形状などから、ビーチクラフトT-34Aメンターではないかという声が多いです。航空自衛隊のT-34Aは、1964年に陸上自衛隊へ9機移管されて、宇都宮校(機首マークはS)と方面連絡機として使われているので、その可能性がありますが、いずれにしても「G」が引っ掛かります。
 市ヶ谷の陸上幕僚監部直属? まさか? 

日替わりメモ2011/09/26
 

 続々 イニシャル「G」の小型機の疑問 

・ T-34Aではなく、陸上自衛隊のLM-1だと思います  伊藤憲一さんからメール

 「G」記号の機体は、陸自のLM−1ではないでしょうか。

 その根拠として、

(1) ネットの写真があります。ハービーさんの航空機写真館の自衛隊機・陸自機・LM−1の項に、「G」記号をつけたLMー1・21019号機があります。
 http://harby.web.infoseek.co.jp/jglm1.htm

(2)「G」記号は、かつて、陸自機の部隊記号に使われていた、という本があります。

(実は、震災のため家を解体、プレハブに仮住まい中で、航空書籍は家財道具などと一緒に、農業用ビニールハウスの奥深いところに保管中で容易に取り出せなく、下記はうろ覚えの推定です。)

 それは、航空情報1971年7月号別冊「自衛隊の航空機」(No.259)です。陸自機の部隊記号の一覧があって、「G」は、かつて使用していた(この時点で既に使われなくなった)記号だったようです。「G」の部隊名も書いてあったように思います。

 そして、(2)から、「G」記号は少なくとも1969年ごろには使われなくなったのではないでしょうか。(部隊の廃止、改編などかもしれません。)

(3) T−34Aではないと思います。これも、私のほんの推測でしかありませんが、1964年に空自のT−34A9機が陸自に移管された際には、全機、当時の岩沼分校(記号は「SI」)に配属されたと思います。機体も、OD色ではなく、オレンジ色に塗られたと思います。その後、各方面隊に分散移籍したあと、一部(?)がOD色に塗り替えられたようですが、これは、1970年以降で、このころは既に「G」は使われなくなっていたと思います。

  なお、この「G」部隊の存在期間、また、他ににどんな機種が配備されたのかは、わかりません。

結論の1

 この写真により、東雲で写された自衛隊機は富士LM-1であることが確定しました。

撮影1965年前後 航空自衛隊静浜基地 ハービー

結論の2

 航空情報1971年7月号別冊「自衛隊の航空機」記載の表により、「G」マークが陸上幕僚監部付飛行隊と判明しました。


 本文の部隊説明は、北部方面航空隊、東北方面航空隊、東部方面航空隊、中部方面航空隊、西部方面航空隊、第1ヘリコプター団、航空学校について記載があるだけで陸上幕僚監部付飛行隊の説明はありません。

残る疑問

 陸上幕僚監部付飛行隊の基地やLM-1以外の機体がいたのかどうかなど、運用の時期と内容が不明です。