茨城県 伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

航空歴史館

センピル教育団関係者が撮影した写真
 

A3003 茨城県 Ibaraki Prefecture 霞ヶ浦海軍航空隊
 
写真提供井上ひろかず 解説佐伯邦昭

 井上さんが入手した40枚に及ぶネガの一部で、センピル教育団の関係者が写したと推定されています。

 センピル教育団とは、1921(大正10)年から1922(大正11)年にかけてイギリスから招へいしたセンピル空軍大佐を団長とする航空教育団(British Aviation Mission)のことで、海軍は臨時海軍航空術講習部を設け、霞ヶ浦飛行場で海軍航空全般の指導を受けました。

 センピル教育団による講習は、海軍航空その後の大発展の原動力になったといわれています。一緒に持ち込まれた各種の飛行機も同様でした。

講習教材機

イギリスから舶着  その後の影響
アヴロ初歩練習機 愛知と中島で国産
グロスター スパローホーク艦上戦闘機 三菱一〇式艦上戦闘機に発展
パーナル パンサー艦上偵察機  
ソッピース クック艦上雷撃機 一三式艦上攻撃機に発展
ブラックバーン スイフト艦上雷撃機 三菱八九式艦上攻撃機に発展
ビッカース バイキング水陸両用艇   
スーパーマリン シール水陸両用艇    
スーパーマリン チャンネル飛行艇  
ショート F5飛行艇 広海軍工廠と愛知で国産

                        以上 昭和35年出版協同社刊 日本の航空機ー海軍機篇ーによる


グロスター スパローホーク艦上戦闘機の列線 霞ヶ浦飛行場


       
 最も多く持ち込まれたのがスパローホーク艦戦で、センピル教育団はこれを練習機として訓練しました。

 発動機 BR2 200馬力 単座 全幅8.5m 全長5.9m 全高3.1m 全備重量926kg
 最高速度105ノット 

 記号のJN.とはJapan Navyの略でしょうか。
 


空母鳳翔へ着艦するビッカース バイキング水陸両用艇




 杉山さんの空母機動部隊への始動に鳳翔へ一○式艦戦が着艦する詳細な写真が紹介されていますので、是非、併せて見てください。 

 艦船に詳しいかつおさんに両方を見てもらって感想をいただきました


 着艦直前の複葉飛行艇が中心線より大きくずれているのではらはらさせる写真です。

  鳳翔は最初から空母として起工した世界最初のものというタイトルを持っています。完成当時は3本の短い煙突が直立していますが、可動(可倒式)式でこの写真では右舷(写真左)にアンテナ支柱と同じように倒されています。

 甲板上に多数張られた縦の線。手元資料では、これは当時の英国式で直径12mmの鋼策で間隔は6in、甲板からの高さ150mmの高さに張り、車輪軸中央に設けられた錨型の拘束駒を索の上から噛みこませて、その摩擦抵抗で停止させる、とあります。当時の飛行機ならこれで止まったのでしょうか。

 後の改装で艦橋は無くなり、煙突も他の空母並みに舷外へ折り曲げられ固定されているし、制動索も横に変更されています。WWUには練習空母として終戦まで生き残りました。改装延長飛行甲板幅は22.7m、長さ180mですからかなり窮屈です。

 呉港の丙錨地で艤装中の「大和」の有名な写真で、右方に写ってい小型空母が「鳳翔」です。

 全く影の薄い空母ですが、 前述の通り空母として起工され完成した世界初の空母です。因みにこれより早く完成している英国空母は総て他艦からの改装だそうです。

 

 

ビッカース バイキング水陸両用艇

 雪の中を陸にあがってきたバイキングです。水陸両用艇は、これとスーパーマリン シールが持ち込まれましたが、海軍では使い物にならず、終戦まで国産されることはありませんでした。
 その意味で、新明和のPS-1 US-1は画期的な水陸両用艇の成功例ということができます。

 発動機 ネピア 450馬力 4人乗り 全幅14.0m 全長10.2m 全高4.6m 全備重量2540kg 最高速度89ノット 
 

 

建設中の飛行船格納庫  霞ヶ浦飛行場

  飛行船の格納庫は、第一次世界大戦でドイツから賠償品として持ってきたものです。それを霞ヶ浦航空隊に移築中の写真です。陸上自衛隊航空学校霞ヶ浦校参照)   

 別名、「押収格納庫」とも言われていたそうです。1923(大正12)年 関東大震災の時に移築中だったそうですが、ちょうどお昼時だったので高所にいた作業員さんも降りていて、けが人はいなかったそうです。  (日本陸海軍の翼のかけら 掲示板から)


ショート カルカッタ飛行艇

 カルカッタ飛行艇(1928年初飛行)はセンピル教育団の滞在中よりも、かなり後年になるので、帰国してからの撮影かもしれません。

 川西では、ショート社にカルカッタを原型とする飛行艇を発注し、KF型飛行艇として海軍で実用試験に供しました。その結果は極めて良好で、日本初の巨大飛行艇となる海軍九○式二号飛行艇に発展しました。その技術が二式大艇、PS-1へと継承していきます。